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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三部 第一章
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第四百四十二話 帝都を前に(2)

「うわぁっ!!」


 いきなり声をかけられたロビン・ビョルネ医師は驚きのあまり思わず大声を出したが、月の光で、そこにいるのがオヅマだとすぐにわかったらしい。


「オヅマくん! あ、いや……オヅマ公子、どうしてそのようなところに?」

「そりゃこっちの台詞だよ。ビョルネ先生も寝られないのかい?」

「君もですか? 睡眠用の薬香をお渡ししましょうか?」

「いらない、いらない。たまたま夢見が悪かったのかして起きてみたら、なんか気分が落ち着かなくて……どうでもいい昔のことばっか思い出しちまって」

「ハハ、同じようなものですね」


 そう言ってビョルネ医師は少し寂しげに微笑んだ。


「同じって、先生も嫌な夢でも見たのか?」

「…………えぇ。昔の夢を。川の音がするせいでしょうかね」

「それって」


 オヅマは言いかけて、一瞬止まった。

 レーゲンブルトでトーマスから聞いたことを思い出し、口を噤む。だがビョルネ医師はオヅマのその反応で、なんとなく察したようだった。


「もしかして、トーマスが言ったんでしょうか? ……エドガーのことを」

「あ……うん」


 帝都に行くことが決まって以降、また例の()を見ること数度。()に出てきた『エドガー・ビョルネ』のことが気になって、オヅマはトーマスに尋ねた。





「なぁ、トーマス先生。もしかして、エドガーって人と親戚か何か?」


 そのとき、動きを一瞬止めたトーマスがどんな顔をしていたのかはわからない。だが振り返った彼に、いつものふてぶてしさはなく、めずらしくひどく困惑している様子だった。


「どうして君がエドガーのことを?」

「あ、いや……その……ちょっと聞くことがあって」

「誰から?」

「うーん……誰だったかな」


 濁すオヅマを、トーマスはじぃぃと追求するように見つめてきたが、結局オヅマは何も言えなかった。まさか夢で見たのだと言ったところで、信じてもらえるはずもない。

 黙りこむオヅマに、トーマスはため息まじりにつぶやいた。


「エドガーは弟さ。僕ら、三つ子だったんだ」

「三つ子!?」

「僕もよくわからないけど、母さんがなかなか出来なくって、神様みたいに有能な先生にいっぱいお願いしたら、三人も子供を授けてくださったらしいよ。だけど僕らを産んだ母さんは死んじゃって、エドガーも……死んじゃったよ」

「えっ!?」


 オヅマは驚き、思わず声を上げた。

 快活で楽しい変人であった、エドガー・ビョルネ。彼と、もはや会えなくなってしまったというのか?

 呆然となるオヅマに、トーマスは怪訝(けげん)に尋ねてくる。


「ねぇ、エドガーのこと……ロビンから聞いたの?」

「えっ? いや……」


 否定してからオヅマはしまったと思った。ロビン・ビョルネから聞いたというほうが、この場合、一番すんなり信じてもらえそうなものだ。しかし……


「ま、ロビンが言うわけないか。できれば、彼にはエドガーの話はしないでおくれよ」

「……どうして?」

「エドガーは川で死んだんだ。溺れてね。三人で遊んでいた……けど、気がついたらエドガーは流されてた」

「川で……死んだ?」


 オヅマは聞き返しながら、()で見た奇抜な男がもはやこの世にいなくなっていることに、ひどく胸が痛んだ。彼の死の原因が直接、自分にあるわけではない。でもこれもまた、もしかしたらオヅマが()と違う選択を行ったことによるものなのだろうか……?


「ロビンはエドガーのことを思い出すと、ひどく気鬱になるんだ。一緒に遊んでいたのに、自分が気付かなかったことを、いまだに悔やんでいてね……」





 だからロビンにはエドガーのことは言ってくれるな……と、オヅマはトーマスから頼まれていたのだが、意外にもそのロビン・ビョルネ医師の方からエドガーの話題を持ち出してきた。大丈夫かと、ビョルネ医師の顔色を窺ったが、月光に照らされた顔にあまり変化はない。

 オヅマは迷いつつ、思いきってビョルネ医師に尋ねた。


「あの、トーマス先生から聞いたんですけど、エドガー……さん、は川で死んだ、って」


 ビョルネ医師は一瞬、何かをのみ込むかのように唇を噛みしめてから、オヅマの視線を避けるように、川の方へと顔を向けた。


「えぇ、そうです。夏の日に……川エビを釣りに行ったんです。まだ幼い日のことです。昔、私達の住んでいた家の近くには、小さい川があって、よく三人で遊びました。エドガーはいつもちょっと変わったことを思いついて、面白がってやるんです。あの日もきっと、何か思いついたんでしょう。一人で少し離れて行って……私は、また彼が何かやろうとしているんだろうと思って、わざと気付かないフリをしました。驚いてやらないと、機嫌を悪くするんですよ。誰かを驚かせるのが大好きないたずらっ子でした」

「へぇ……なんか、トーマス先生に似てるな」


 オヅマが何気なく言うと、ビョルネ医師はいきなりクルリと振り返った。その顔はひどく切羽詰まって見える。

 オヅマは思わず問いかけた。


「どうしたんですか?」

「……いえ」


 ビョルネ医師はすぐに顔を伏せたが、かすかな動揺が声に含まれていた。


「ビョルネ先生? 俺……いや僕、何か悪いことを言いましたか?」

「いいえ。オヅマ公子……違うのです。僕は、時々わからなくなるんです。昔のトーマスは、あんなではなかった……」

「え?」

「昔はもっと真面目で、あんなフザけたことを言うような子ではなかったんです。エドガーが死んで……変わってしまった。あの日、何があったのか……僕は、いまだに聞くことができない」

「どういうことです? エドガーさんは、川で溺れ死んだんでしょう? 先生も近くにいたんじゃないんですか?」

「違うッ! 僕は……」


 ビョルネ医師は気色ばんだ様子で顔を上げたが、当惑するオヅマと目が合って、すぐにハッとしたように口を噤んだ。顔を見せたくなかったのか、クルリと背を向ける。


「あぁ……トーマスがそう言ったのですね」


 つぶやくように言って、ビョルネ医師はまたしばらく、川を眺めていた。その背に示された明らかな拒絶に、オヅマは何も言えず、同じように月の光を映す川面を見つめるしかない。


 アオサギの声が響き、無言の時間を切り裂くと、ビョルネ医師が静かに言った。


「オヅマ公子。今の……エドガーの話は、忘れてください。僕にもトーマスにも、二度とその名を出さないでください」

「え……と、はい。……わかりました」


 オヅマはおとなしく頷くしかなかった。それくらいビョルネ医師の表情は暗く、苦しげに歪んでいた。


「では、失礼」


 ビョルネ医師はそれでもきちんと折り目正しく挨拶をして、穹廬(テント)へと戻って行った。


 オヅマは迷ったが、とりあえずエドガーについては忘れることにした。

 もはや彼は()でしか見ぬ住人となってしまった。この先、会うこともないのであれば、これ以上、考えたところでどうしようもない。それに……たぶん会わぬほうがいいのだ。彼にはどこか得体の知れぬところもあったから。


 アオサギが暗い川面を横切って飛んで行く。その姿を追えば、東の空が白み始めていた。

 帝都が朝を迎えようとしている……。


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― 新着の感想 ―
エドガーがトーマスに成り変わってる???なにがあったんだろうねぇ
更新ありがとうございます✨ エドガー、死んだのに死んでない… ってゆう一族を思い出しましたw
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