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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三部 第一章

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第四百三十九話 ブルッキネン伯爵家(2)

 その日はそのままブルッキネン伯爵家に宿泊することになった。

 思っていた通り、ブラジェナはリーディエの思い出話をしては涙ぐんでいたが、相手するアドリアンは微笑んで相槌を打つだけで、母について尋ねることはしなかった。あまりにもブラジェナが饒舌で口を挟む余地がなかったというのもあるが、そもそもリーディエ個人について聞きたいと思わなかったのだ。アドリアンが興味を示したのは、リーディエによって提言されたいくつかの先進的な施策で、それについては後日にでも調べようと思い、あえてブラジェナに問うのは控えた。




「まぁ、あのおば……伯爵夫人に下手に聞いたら、いちいちリーディエ様の自慢話がついて回るだろうからなぁ」

「オヅマ。君、さっきからちょこちょこ、伯爵夫人を言い間違えそうになってるぞ」


 アドリアンはフッと笑ってから、木剣を構える。オヅマもヘッと笑い返してから、打ち込んだ。カンカンとひとしきり打ち合いが続く。


 就寝前に軽く素振りをするのはオヅマの日課であったが、今日はブルッキネン家に逗留(とうりゅう)することになったので、修練場の一隅を借り、アドリアンとエーリクも加わって、軽く打ち合い稽古をしていた。マティアスも一緒に来ようとしていたが、


「君は久しぶりに母上に会ったんだろう? この後、アカデミーに入ったら会う機会も少ないんだ。今日はご両親とゆっくり話すこと」


と、アドリアンが無理やり家族の団欒へと送り出した。

 テリィは満腹食べて、もうぐっすり寝ている。


 互角の剣撃が続き、ざっと双方が間合いをとったところで、パンパンと激しく拍手する音が修練場に響いた。


「素晴らしいです! お二方とも……さすがはクランツ男爵から直々に教えを受けているだけありますね!」


 声をかけてきたのは、簡素な騎士服を着た青年だった。

 癖の強い少しくすんだ金髪に、人懐っこそうな丸い顔にはそばかすが残り、ペールブルーの瞳はニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている。

 オヅマらと同じように、夜の練習に来たらしい。

 エーリクがすぐさま立ち塞がって、男を制止した。


「小公爵様に何用か?」


 さすがに剣を突きつけることをしなかったのは、この時間に修練場に来るのであれば、ブルッキネン伯爵家配下の騎士であることが推測できたからだろう。案の定、男はエーリクの態度に怒ることもなく、すぐさま(ひざまづ)いた。


「失礼を致しました。私はブルッキネン配下シュテルムドルソン騎士団所属のイーツェリと申す者。小公爵様始め、近侍の皆様方とはお初にお目にかかる」

「初めまして、イーツェリ卿」


 アドリアンはにこやかに応じた。先程声をかけてきた様子からしても、さほどに警戒すべき対象と思えない。


「もしかして卿も練習にみえたのだろうか?」

「はい。いつもこの時間に素振りと、今は闘競会(ダルスタン)に合わせて剣技の練習を」

闘競会(ダルスタン)に出るんですか?」


 思わずオヅマが大きな声で尋ねると、イーツェリはやや驚いたように青い目をパチパチとしばたかせた。


「え、えぇ……もちろん」

「あぁーッ! いいなぁーっ」


 オヅマは羨ましくて、思わず大声で叫んだ。

 三年に一度、グレヴィリウス門下の各所騎士団の騎士らによって競われる闘競会(ダルスタン)が今年、開催される。しかし騎士らから聞いて楽しみにしていたオヅマは、その闘競会(ダルスタン)に出ることは勿論、見に行くこともできない。理由はアカデミーに入学して間もなくの時期で、そんな余裕はないからだった。


「オヅマ。イーツェリ卿が驚いておられるよ」


 アドリアンはオヅマの不満げな声を聞き、すぐに察して注意した。しかしオヅマはいまだに納得がいってないのかして、ブツブツと文句を垂れる。


「ったくさぁ、新年明けて落穂(おちほ)の月になってからなんて、もう入学して一ヶ月は経ってる頃だってのに、なんで駄目なんだよ」

「入ってからの三ヶ月間は、授業紹介から始まって、履修登録とか、教科書を揃えたりとか、予習で忙しくなるだろうから、そんな暇はないって……トーマス先生だって言ってただろう?」

「あの人、履修科目なんて適当に決めたって言ってたぜ。紙に科目を書いて、おはじきをその上で投げて、おはじきが落ちたところに行くとか何とか」

「トーマス先生の話を出すんじゃなかったな……」


 アドリアンが渋い顔で言うのを見て、イーツェリはハハッと笑った。


「そうですか。小公爵様たちは闘競会(ダルスタン)をご覧になられないのですね?」

「はい。残念ながら。年明けにはアカデミーに入学しますので」

「そうですか。しかし、アカデミーでの勉学は楽しいものになるでしょう。私などは、試験を受けようという気すら起きませんが。マティアス坊ちゃまも一緒に行けて何よりです。勉強熱心な方ですから、きっとよき領主となるべく、懸命に取り組まれるであろうと期待しております」


 イーツェリの言葉の中には、将来の主人に対しての自然な敬意があった。オヅマはちょっとばかり意外だった。以前にオヅマを罪人のように扱ってきた騎士とはまったく違っている。


「なんか、アンタは前に見たヤツと違うな。アイツは最初(ハナ)っから人のこと罪人扱いしてきたけどさ」


 オヅマの指摘に、イーツェリはすぐ思い至ったのだろう。ペコリとオヅマに頭を下げた。


「あの折は申し訳ないことを致しました、オヅマ公子。私も実は、あのときオードソン卿と一緒にいたのです……」

「オードソン卿?」

「ラッセ・オードソン卿です」

「あぁ、そういやそんな名前だったな……」


 以前、シュテルムドルソンに来たときに、オヅマの愛馬であるカイルを盗まれそうになり、駆けつけてきて賊を捕らえるのかと思いきや、オヅマらを不当に(おとし)めてブラジェナに嘘の報告をしていた騎士。彼がこのシュテルムドルソンの騎士団の長だと聞いたときには、内心、呆れ返ったものだ。あの威張りくさった男が取り仕切っているというだけで、騎士団としての質も知れている。

 その後、マティアスからの謝罪も受けたが、そのときにはマティアス自身、ラッセに対して思うところがあるような口ぶりだった。


「オードソン家は長く我が家の護衛騎士として務めてくれているから、そう無下にもできないんだ。レーゲンブルト騎士団と違って、我が騎士団に入ろうなんていうのは、地元の者たちがほとんどで、彼らは戦よりも(もっぱ)ら領地の警備が主な仕事だ。あまり無理は言えなくて……」


 (あるじ)と騎士は主従関係ではあるが、彼らの間でその関係に見合うだけの信頼が互いになければ、それは当然脆弱なものとなる。(あるじ)には忠誠を誓うに値するだけの振舞い ―― 品格と俸給 ―― が求められ、騎士には時に自らが盾になっても主を守護できるだけの能力 ―― 献身と技倆 ―― が求められる。

 ブルッキネン家の場合、オードソン家のような累代(るいだい)家臣がいることは心強いが、反面、長年の固着した関係性は、良くも悪くも()()()()を生む。代を重ねるに従って、家臣が主人より力を持つ構図は珍しくない。


「オードソン卿は長くブルッキネン伯爵家をお守りしてきたという自負が強いものですから、外部からやって来た騎士に対して、少々過敏になるところがございまして……」

「ふぅん。そんなもんかねぇ。レーゲンブルト(うち)なんざ、どこの馬の骨ともわからなそうなのがウヨウヨいる混成部隊だからな。よくわかんねぇや」


 オヅマが首をひねると、イーツェリは苦く笑った。


「レーゲンブルト騎士団は、特に実力のある傭兵が中心となって成立した騎士団だと聞いております。あれだけの猛者(もさ)を纏めるだけの才覚が、クランツ男爵にはおありなのでしょう。我々とは……」


 溜息まじりに、やや投げやりな口調になるイーツェリに、鋭く問うたのはアドリアンだった。


「それは、ブルッキネン伯爵に対しての批判ですか?」


 ブラジェナのリーディエに対する過剰な尊崇には辟易するところはあったものの、伯爵夫妻は基本的に裏表のない、誠実な人柄であるというのがアドリアンの認識だった。当主のアハトは昆虫についての研究など、貴族としては珍しい趣味を持っているにしても、ブラジェナと二人、領主としての資質に不足があるように思えない。マティアスも含め、アドリアンはブルッキネン家の人々がないがしろにされるのは許せなかった。

 しかしイーツェリはあわてて首を振って弁明した。


「まさか! 私はそんなつもりはありません!! 領主様のことは勿論、奥様のことも、尊敬しております。あの方々のお陰で、シュテルムドルソンの今の豊かさがあると思っておりますから! ただ、その……」

「騎士団が全員、イーツェリ卿と同じ考えを持っているとは限らないってところか。オードソン卿を始めとして」


 言いにくそうなイーツェリに代わって言ったのはオヅマだった。イーツェリは目を伏せ、否定しなかった。


 オヅマは一年ほど前の馬泥棒騒動のことを思い返した。

 あの時、ブラジェナ自身はオヅマに頭を下げたが、ラッセ・オードソンから直接の謝罪はなかった。あの男に対しての罰は、譴責(けんせき)と減給程度であったはずだ。それはある意味、ブラジェナがあの男に対して持ちうる権力の限界を示している。

 もしレーゲンブルトにおいて、カールが同じようなこと ―― 馬泥棒を見逃すよう半ば強迫、その後に領主への嘘の報告 ―― をしたならば、ヴァルナルは騎士権剥奪の上、追放。その後、他の騎士団や近隣傭兵組織に『埒外者(ゼルガイ)』であるという触れを出すだろう。そうなれば戦士として生きる術は失われる。そこまでひどい屈辱を受けたら、普通の騎士であれば復讐を考えるだろうが、もしそうなったとしてもヴァルナルはあっさり返り討ちにするだろうから、罰を下すことにも躊躇しない。そもそもレーゲンブルトでそんな恥ずかしいことをしでかす騎士は皆無だが。


 イーツェリは重い空気を払いのけるように明るく言った。


「マティアス坊ちゃまが領主となられれば、きっと皆が喜ぶでしょう。伯爵閣下のご誠実な人柄と、奥方様のご聡明なところを受け継いでおいでです。ましてこれから小公爵様の近侍として勉学に励まれれば、もはやどこをとっても完璧な伯爵になられるはずです!」


 アドリアンとオヅマ、エーリクは、三人共に目を見合わせてから、三者三様に微笑んだ。確かにマティアスが伯爵位を継ぐために努力しているのは間違いない。


「ま、マティが当主になったときには、アンタがちゃんと支えてやってくれよ」

「イーツェリ卿が闘競会(ダルスタン)で、いい成績を残すことができれば、伯爵も今後のことも含めて考えるだろう」


 オヅマとアドリアンからの激励に、イーツェリは大きく胸を打って答えた。


「はい! マティアス坊ちゃまの盾となるべく、奮励努力致します!!」


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