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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三部 第一章

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第四百三十七話 故郷の空

 レーゲンブルトから帝都に向かうまでの間に、当然ながらアールリンデンにも立ち寄ったが、アドリアンはついぞ父親と会うことはなかった。向こうから来いと命令されれば行ったであろうが、言われない限りは特に挨拶する必要もないと考えていた。

 テリィ以外は荷造りもさほどになかったので、三日ほどの滞在の後、一行は出発しようとしたが、見送りにやって来た家令のルンビックがアドリアンに小さな箱を差し出した。


「なんだ?」


 アドリアンが(いぶか)しんで尋ねると、家令は少し言いにくそうに、


「公爵閣下からの贈り物にございます」


と答える。

 アドリアンは眉間に皺を寄せたが、なんらの装飾もないその箱を見て、それが店かどこかで買ったようなプレゼントの類でないのはすぐにわかった。もしそうなら丁重に受け取りを拒否したことだろう。

 老家令の真摯(しんし)な眼差しに負けて、アドリアンは箱を受け取った。すぐに中身を確認すると、青地の布の上にやや古ぼけたようなペンダントが入っている。何気なく取って、側面にあった小さな突起部分を押す。カパリとペンダントの蓋が開き、中には公爵夫人であるリーディエの細密画が嵌め込まれてあった。

 鴇色(ときいろ)の豊かな髪を胸に垂らし、やさしげな青い瞳が柔らかく微笑んでいる。

 アドリアンは無表情に見つめて、パチリと蓋を閉じた。


「これは、公爵閣下のものではないのか?」

「左様にございます」

「持っておけということか?」

「……左様に、ございます」


 冷たい顔で尋ねる小公爵に、ルンビックは苦い思いを噛み潰しながら同じ言葉を繰り返した。

 遡ること五ヶ月前。とうとう小公爵は父である公爵に対して、亡き母について言及した。後日になってから、このことを公爵の腹心であるルーカス・ベントソンから聞いた老家令は、自らもまた不甲斐ない大人の一人であったことに慚愧(ざんき)した。

 公爵夫人リーディエが死亡した頃は、ルンビックもまた大事な一人息子を亡くしたばかりであった為に、公爵の哀しみと自らの悲嘆を同一化していたのだろう。そのせいで、まだ幼かったアドリアンに対して無関心な公爵を(いさ)めることもせずにいた。やがて公爵の怒りが自分に及ぶことを恐れた日和見と、常態化したその状況に馴れて、奇異を感じることもなくなっていった……。


「あの小僧……大人のくせして、子供に甘えるなと言っていた。反論できないな」


 ルーカスからオヅマの言葉を伝え聞いた老家令は、それこそその時になって初めて、死んだ息子からガツンと叱られた気分になった。長く生きて経験を積み重ねたつもりでいても、老人もまた未熟者となり得るのだ。


「ルンビック」


 アドリアンに声をかけられて、ルンビックは下げていた頭を上げた。


「公爵閣下に確かに受け取りましたと、お伝えしておいてくれ」

「…………かしこまりました」


 短い言葉の中に、ルンビックはまだかろうじて父子の絆の可能性を感じた。じわりと涙が目の端で震えたが、スンと(はな)をすすって、いつものごとく鹿爪らしい顔に戻る。


 アドリアンは箱にペンダントを戻すと、馬車に乗り込んだ。

 少し遅れてマティアスとテリィが乗り込んでくる。騎乗して護衛するオヅマとエーリクを除いて、近侍は小公爵と一緒の馬車に乗ることになっていた。


「あれ? その箱はなんですか?」


 ヨイショとマティアスの隣に腰かけたテリィが、座席の隅に置いた箱を見て尋ねてくる。

 アドリアンは箱をしばらく物憂げに見てから、マティアスに預けた。


「鞄にしまっておいてくれ」

「よろしいのですか?」


 ルンビックとのやり取りを見ていたマティアスは尋ねたが、アドリアンはそれ以上何も言わなかった。言われた通りにマティアスがアドリアンの手持ち鞄に箱を入れたタイミングで、馬車が動き出す。


 レーゲンブルトを発つときには、それこそ馬車窓から名残惜しそうに手を振っていたアドリアンだが、このアールリンデンでは窓の外を見ることすらなかった。

 三日間、滞在しただけでも、アドリアンにはわかった。

 五ヶ月前にアールリンデンを出てレーゲンブルトに行くときには、公爵に対してアドリアンが物申したことが使用人達に伝わって、彼らの態度も少しは改まったように思えた。が、再び戻ってきたアドリアンに対し、彼らはやはり冷たかった。型通りの礼儀を示しながらも、些細な嫌がらせ ―― 寝室の部屋の灯りが質の悪い獣脂蝋燭になっていたり、用意してもらった靴がすでに小さくなっていたものだったり ―― は、相変わらず続いている。

 結局、何も変わらないのだ。この公爵邸の人間は。おそらく彼らの多くはハヴェルに懐柔されており、今後も彼のためにアドリアンを(おとし)めるのだろう。

 いつか自分が公爵となれば、彼らに解雇という制裁を与えることができる。だが、そのためには公爵にならねばならない。あの薄ら笑いを浮かべる従兄弟を、徹底的に追い落とさねばならない……。


 アドリアンは揺れる景色を見つめた。

 遠くグァルデリ山脈が霞んで見える。

 帝都のアカデミーで学ぶのも、よりよい成績を修めるのも、すべては公爵という力を得るためだ。父からただ与えられるだけでは、グレヴィリウスを治めることはできない。大公爵ベルンハルドのその時から決められたように、この公爵家において主となるためには、並び立つ者を粛清せねば認められないのだ。


 アドリアンは深く息を吸い、目を閉じた。

 瞼裏にさっき見た母の姿が浮かんだが、それを切り裂くようにアドリアンは目を開いた。陰鬱な目は、およそ十二歳の少年とは思えぬ冷たさを孕んで、故郷の空を見つめていた。


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