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昏の皇子  作者: 水奈川葵
番外編Ⅱ
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領主様に訛りをしゃべらせたい!

 これはヴァルナルとミーナの結婚式後、アドリアンがレーゲンブルトに滞在していたときの一幕。


「難しいね……」

「なかなか守りが堅い……」


 扉を開くなり、オヅマとオリヴェルが難しい顔をつき合わせてつぶやくのを見て、アドリアンは首をかしげた。これが二人の間に駒取り(チェス)の盤でもあれば、勝負でもしているのかと思うのだが、現在、二人がいるのは学習室の一角で、机の上には本が一冊あるだけだ。


「どうしたんだ、二人とも」


 アドリアンは声をかけながら、二人の間にある本を手に取った。


「『習俗百景・ウスクラ~ルシエレ紀行』……なにこれ?」


 言いながら、自然と栞の挟んであるページをめくる。そこは『ウスクラ方言について』の章で、ウスクラという土地における独特の訛りについて書かれていた。


「ウスクラって、帝都の南西にある中都市だろう? 確か、ヴァルナルの出身地だったっけ?」


 アドリアンが尋ねると、オリヴェルが頷いた。


「そう。父上とお祖母(ばあ)様と、テュコ叔父さんの」


 今回の結婚式にはヴァルナルの実家から、実母と実弟が参席していた。

 前の結婚式においては、前妻とその一族の意向で、貴族ではないヴァルナルの実家の参席は認められなかったのだが、今回はそうした気遣いをする必要もなかった。

 結婚式後にしばらく領主館に逗留していたのだが、実母のほうは五日ほどの滞在の後には、もう帰り支度を始めた。但し、これは気分を害してのことではない。


母様(かかさま)は、まー、年とっても現役じゃぜなぁ。いまだに職人どもも頭が上がらんぜ」


 元々、機織り職人であったヴァルナルの母は、とうに一旬節を巡った年(*六十四歳以上)になっても、いまだに現役であるらしい。年を感じさせない意気軒昂な婆様で、ミーナとマリーを見た途端に、


「こりゃあ、しっかと麗しい嫁御とお嬢ちゃんじゃぜに、腕によりかけて、えぇーえ布織ってやりょうぜなぁ」


と、腕まくりしてすぐにも()(*機織りで使う道具)を掴まんばかりであった。

 ヴァルナルとしては、若くして夫に先立たれて以降、兄弟たちを女手一つで育ててきてくれた母でもあるので、のんびり過ごしてもらおうと思っていたのだが、母のほうは長年の習慣が抜けないらしい。


「いんやぁ~……のぅ~も、『わっちゃ』にはこぜなお城で、『ぶわとぉ』茶なんぞ飲みゅうて過ごしょうは合わんぜに。そぜな『あわわ』な時間あったればや、布の一反も織りょうがほどに、『まんしぃな』しとれんぜ。『しょんめな、しょんめな』。お()ンの『やらきぃきぃ』は有難いぜしに、わっちゃ忙しぃんと『くらぶすれん』」


 ただでさえ理解不能な方言であるのに、そのうえ早口な祖母が話すと、もはや異国の言葉であった。それでもオリヴェルを始めとして、オヅマやマリーもこの祖母のことがすぐに好きになった。ヴァルナルの母らしく実直ながら、ときおりひょうきんなところも見せてくれる、愛すべき婆様(ばばさま)であった。

 連れ子であるオヅマやマリーに対しても分け隔てなく、一緒になって絵札(トランプ)遊びなどをしたり、古い指遊びを教えてくれたり、ときに悪戯するオヅマら(アドリアンも含む)を叱りつけることもあった。


 だからこそオリヴェルなどは、祖母の言葉の意味がほとんどわからないことが、なんだか申し訳なかった。なんとなく身振りやそれまでの話の内容から類推はできたものの、できればちゃんと理解したい。そのため、叔父であるテュコなどにも聞いたりしつつ、図書室で見つけた本で言葉の意味を調べたりしていた。


 今日、とうとうその祖母はレーゲンブルトを発ったのだが、見送りにきたヴァルナルとの会話を聞いていたオリヴェルは、テュコに頼んで祖母の言った言葉をいつも持っているスケッチブックに書いてもらった。それをさっきの本と首っ引きで訳していたのだが、そこにオヅマもやって来て、二人で一緒に『翻訳』していたらしい。


 アドリアンは机にあった紙をとって見た。二人の力作の結果だ。


<訳: いや、どうも『私』にゃこんなお城で『のほほんと』お茶なんて飲んで過ごすのは合わないよ。そんな『ぐうたらしてる』時間があるなら、布の一反も織ることができるだろうから、『じっとして』られないね。『ごめんよ、ごめんよ』。お前さんの『優しい心遣い』は有難いけども、私ゃ忙しくないと『落ち着かないんだよ』>


「すごいね。二人でこれ、訳したんだ」


 アドリアンが感心して言うと、オヅマが手を振った。


「まぁ、なんとなくそういうことだろうってわかってたんだけどさ。しかし、テュコのオッサンも相当に訛りきついけど、お婆様(ばばさま)はもうこれ、別の言語じゃね?」

「方言って、お年寄りほど昔の言い方が強く残っているっていうからね」

「これだけキツい訛りで話されたらさぁ、ポロッと同調してしまいそうなものじゃない? でも父上は見送りのときだって、全然話さないんだよ。それがくやしくってさ」


 オリヴェルが不満そうにこぼすと、アドリアンは目を丸くした。


「え? ヴァルナルが? 話すの? ウスクラ訛りを?」

「そうなんだよ! 話すんだってさ。母さんが一度、聞いたことがあるらしい。だから俺もオリヴェルも、どうにかして領主様にあの『じゃぜ』を言わせようとしてるんだけど……()はなかなか厳しくてさ」

「絶対に僕らがいる前だと喋らないんだよ、父上。マリーがお願いしても駄目でさ。ニコニコ笑って、煙に巻かれちゃって」

「なるほど……それで」


 ようやく最初に部屋に入ってきたときの二人の会話の意味がわかって、アドリアンは得心してから、再び本を手にした。


 ウスクラ訛りは、昔、この地に大量にやってきたギリヤ王国からの移民の言葉が元となっている。王国は既に滅びてしまったのだが、使用されていた言語が帝国公用語と混ざり合い、独特でやや難解な方言となってしまったようだ。


「僕とオヅマで『じゃぜ』語をしゃべってても、やっぱり違うみたいでさ。クスクス笑うばっかりで、ぜんぜんノってきてくれないんだ」

「そりゃあ、やっぱり現地の人と話した方が話しやすいだろう。テュコさんに頼んでみたら?」

「テュコさん、婆様を送りに行って、そのままどっか行っちまっただろ。なんか商人らと会合とか何とか……」

「え? でもさっき玄関ホールで見たよ。帰ってきたんじゃない?」


 アドリアンが言うと、オヅマはすっくと立ち上がった。「よし、行こう!」


 三人が足早に玄関ホールに向かうと、テュコは何かを仕入れてきていたのか、荷物の整理を従僕らに指示していた。


「テュコ叔父さん!」


 オリヴェルが声をかけると、テュコはすぐに振り返って相好を崩した。


「おぉう。こりゃオリヴェル……オヅマと、おぃや! 小公爵様まで! ご機嫌うるわしゅう」


 恭しくお辞儀するテュコに、オヅマが正面切って尋ねた。


「テュコさん、領主様……ヴァルナル様って、ウスクラ訛りをしゃべるんだよね?」

「あ? あぁ、そりゃそうぜ。まぁ、今は領主様じゃぜ、ご立派な口ぶりっじゃわいな~」

「でも、僕たちのいる前じゃあ絶対に話さないんだよ」


 オリヴェルが不満げに言うと、テュコはカラカラ笑った。


「そりゃ、父親としての威厳じゃぜ、なん……ま、お()ンら前では、かっこつけとぉぜ」

「でも、僕らは一回、見てみたいんだよ。父上が『じゃぜ』って言ってるの」


 ほんのかすかな甘えをにじませてオリヴェルが言うと、


「なんとか言わせようとして、俺とオリヴェルで『じゃぜじゃぜ』言ってみたんだけど、ノってくれなくてさ。ニヤニヤ笑って見てるだけで」


と、オヅマがむくれる。

 アドリアンはそこまで熱心に考えてはいなかったのだが、真剣な二人を見ていると、だんだんと興味が湧いてきた。


「どうにかできないでしょうか?」

「ふぅ~ん」


 テュコは三人の少年をそれぞれ見ながら、自分の兄にウスクラ訛りを喋らせたい……という、なんとも可愛らしく馬鹿馬鹿しいお願いに目を細めた。


「なん、そぜなこっじゃ、簡単ぜ」



 ヴァルナルは帰ってきたばかりのテュコの部屋に呼ばれて、入るなり目を丸くした。


「お前……なんだこれは」


 部屋は大小の荷物に占拠され、扉からベッドのある位置までの動線と、ベッドの上を除いて足の踏み場もなかった。入ってきてテュコのいる場所まで来る間にも、小さな箱が落ちたのを拾いながら、ヴァルナルはあきれたように言った。


「なにをこんなに……別の商売でも始める気か?」

「なん、オヅマがよぉ、一人でも凍えないような寝袋を作ってたもうぜ、とうるせぇ言ぃよるぜに、色々と試しよぅが。ヴェッデンボリに棲んでるヤクの毛やら、知り合いに聞いた話じゃな水鳥の羽なんぞもきれいに洗って乾かして、布に詰めよぅと、これがなかなかの防寒になりよぉらしぃで……」

「オヅマが? 何だってそんなことを」


 ヴァルナルが首をかしげると、テュコは不満げに唸った。


「お()ン、わっちゃと二人ン時ぞ、そぜに畏まりゅう必要ないぜの。母様(かかさま)も、最後の挨拶もウスクラの言葉忘れょうが、ヴァル坊はすーっかりご立派な領主様ぜなぁと、ちぃと寂しがりょうぜに」

「それは……」


 言い返そうとして、ヴァルナルは背後から感じる視線に眉を寄せる。

 テュコはニヤリと笑って、ますます饒舌になった。


「ミーナさんじゃって、お()ンの訛りょうが好きじゃっぜと言っとろうに。なーん、領主様も家っじゃ、ただのおン()っつぇになりよぉぜぇ」


 いつにも増してキツい訛りで喋りながら、テュコはチラチラとヴァルナルの背後に目線をやる。

 その意味ありげな目配せに、ヴァルナルはようやく弟の意図を悟った。「まったく……」と、あきれたように肩をすくめてから、一息つくなり、早口にまくし立てた。


「なん、大したこっじゃないぜに。ゆうても『わっちゃ』本気でウスクラの言葉で話しようが、なん言うぜ『たご』じゃわからんほどに、『まーぁあ』説いて聞かせん、『いっぞぉち』ぜ。そぜんこっじゃ最初(ハナ)から『ホンの言葉』、『ちゃりべよう』が『えーぇえ』じゃぜ、なん?」


 この怒濤のようなヴァルナルのウスクラ言葉を理解できたのは、当然ながらテュコだけだった。

 荷物の陰に隠れていたオヅマとオリヴェル、アドリアンはさっぱり理解できず、三人でコソコソと囁き合った。


「おい……今の、なんて言ってたんだ?」

「わからない。ルティルム語よりも意味不明」

「えっと『いっぞぉ』……っていうのは、確か『面倒くさい』だったけど」


 あわてて三人は持って来ていた『習俗百景・ウスクラ~ルシエレ紀行』のウスクラ方言の頁を繰ったが、


「ごぁざぐらしぃ! こンとこに隠れよぅぜ、小鬼ども」


 いきなり上から降ってきたこれまた意味不明な言葉に、三人とも唖然となって見上げると、そこにはムゥと睨みつけるヴァルナルの顔が迫っていた。


「あ……父上……」


 オリヴェルが驚いて縮こまると、オヅマはすぐに立ち上がって謝った。


「すみません! 俺が持ちかけたんです。領主様がウスクラ訛り喋ってるの見てみたいって」

「やれやれ。隠れてまで聞くようなことでもなかろうに」

「だって父上、話してくれないじゃないですか」


 オリヴェルが口をとがらせて言うと、ヴァルナルはまた肩をすくめた。


「そりゃ、そうだろう。お前たちに話したところで、結局意味がわからないだろうし。さっき言ってたのも理解できなかっただろう?」

「それは否定できないです」


 アドリアンが冷静に頷くと、オヅマが叫んだ。


「意味がわかるとか、わからないじゃなくて、単純に、領主様の訛りが聞きたかっただけです!」

「……聞いてどうするんだ?」

「そりゃあ、もちろん……皆に言い触らして……ゴアンさんとか、喜びそうだし……」


 言いながらオヅマはそろそろとヴァルナルから離れる。

 ヴァルナルはにこやかに笑みながらも、拳を握りしめていた。すぅぅと息を吸って、


「コラ! オヅマ!!」


 怒鳴りつけるなり、オヅマはぴゅうと逃げていく。「すんませーんッ!!」


「あっ、待ってよ。オヅマ」


 オリヴェルも追いかけて部屋を出て行くと、


「ちゃんと言い触らさないように言っておきます」 


と、アドリアンは軽くヴァルナルに頭を下げて小走りに出て行った。


 テュコがハハハッと大笑いすると、ヴァルナルは表情を緩めてつぶやいた。


「まったく……『ごぁざわらし』どもめ」


 それからしばらくの間、ヴァルナルはこの三人を呼ぶときに、『ごぁざわらしども』と言うようになった。悪ガキども、という意味である。



【終】




** みんなで楽しもう!? ウスクラ方言指南 **


なん……しゃべり出しとか、しゃべり終わりにつける言葉。『まぁ』とか『でしょ?』みたいな感じ。


わっちゃ……我、儂の意


ぶわとぉ……のほほん、のんびりの意


あわわ……ぐうたら、怠惰の意


まんしぃな……じっとする、大人しくする、黙るの意


しょんめな……ごめんね、わりと軽めな謝罪の意


やんわりゃあきぃ……柔らかいお気持ちから、優しい心遣いの意


くらぶすれん……落ち着かない


まーぁあ……いちいち、回りくどい


いっぞぉ……面倒くさい的な意味


ホンの言葉……帝国公用語のこと


たご……他人、ほかの人


ちゃりべる……しゃべる、話す、軽口の意


えーぇえ……ラク、簡便の意


ごぁざぐらしぃ……悪いやつめ、とか。なんか怒ってるときの言葉


ごぁざわらし……悪ガキの意


*** *** *** *** *** ***


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― 新着の感想 ―
異世界モノで現地の方言で短編なんて、初めて読みました! 面白いですね〜。 更新ありがとうございました!
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