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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第九章
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断章 ― 道化と医者 ― Ⅰ

「お前自身を護るものだ」


 そう言って差し出された銀色の液体。

 つやつやと光を浮かべたそれは、ひどく禍々(まがまが)しいものに思えた。

 他の人間に勧められたものであれば、その液体が入ったゴブレットを持つことすら、ためらったことだろう。

 だが今、目の前にいるのは、誰よりも尊崇する人であった。本能が危険と知らせても、無視するだけだ。


「有難く、頂戴いたします」


 恭しく受け取って、一気に呷る。グラリと視界が歪んだ。


「ヒャッハハハハハ!!!!! チビッコ騎士様が飲んだわいのォ! 飲んだわいのォ! 清き毒が巡る、巡る、巡る、巡るゥゥゥゥ~」


 道化がオヅマの周囲を跳び回って踊り出す。

 忌々しい道化。

 いつも主君の側に付き従って、離れない(ゴミ)

 昨日、確か怒られて両足を斬られていたはずなのに……いつの間に足がくっついたんだ……?


 だんだんと意識が混濁してくる。



  ―――― 道化が回る。


 吐き気がしてくる。


  ―――― 道化が回る。


 頭が痛い……。


  ―――― 道化が回る。


 痛い、痛い、痛い……。


  ―――― 回る、回る、回る……。



 こんな道化のことなど考えたくないのに。

 苛立たしいだけの存在。


 消えろ。消えろ。消えろ……。




「お目覚めになりましたかな?」


 本城に与えられた一室でオヅマが目覚めると、道化が立っていた。

 水をいれた木の椀を差し出してくる。

 オヅマは道化を睨みつけながらも、受け取った水をゴクゴク飲み干した。どれくらい眠っていたのか、喉がカラカラだったのだ。フゥと一息ついてから、異変に気付く。


「あ……う……」


 喉が、熱い。

 焼けているかのように、熱くて、痛い。


 カランと椀が床に転がった。

 オヅマは喉元を押さえながら、よろよろと立ち上がる。


「なに……を……」

「ホゥ、ホゥ。これはこれは、この毒を()んでも歩きよるとは大したモノ。閣下もお喜びになられますなぁ~」

「ど……く……?」


 オヅマはかすれる声で問うた。

 道化の首を掴もうとして、スルリと避けられる。

 オヅマはバタリとその場に膝をついた。


「グッ……」


 必死で吐き出そうと喉を絞る。だが上手く出来なかった。ゴホゴホッと激しく咳き込むと、道化がまた笑い出す。


「ヒャッハハハハッ!! 毒が巡る、巡る、巡る、巡る~ゥ。さぁて……生きるやら、死ぬやら。死ねば間抜けと(そし)られようぞ~」


 愉しげに道化が歌って、四つん這いになったオヅマの周囲を回る。


 冷たい床の上についた両手の先、爪の色が黒く変わっていく。

 何かが這っているかのように背中あたりがムズムズする。

 吐き出す息が熱い。

 火を吐いているかのように。


 自分で自分が恐ろしい。

 まるで全く違う生き物になったかのように思える。


「やめ……ろ……この……」


 やかましく鈴を鳴らして自分の周りを跳びはねる小さな道化が苛立たしかった。引っ捕まえてやろうと思っても、伸ばした手は虚しく空を掻き、ペタリと床に落ちる。

 惨めに藻掻くオヅマを見て、道化がまたけたたましく大笑いした。

 哄笑(こうしょう)が耳元でワァンワァンと唸り、気味悪く脳に染みこんでくる。


「クソ……道化……」


 オヅマは悪態をつきながら、ドサリと冷たい床の上に倒れた。




 額に触れるひんやりとした感触。

 その心地よい冷たさに、フワリとオヅマは目を覚ました。

 ボンヤリとした視界に、穏やかな微笑を浮かべた(あるじ)の姿が見える。

 途端に安堵が押し寄せた。


「閣下……」


 呼びかけて、喉の痛みや熱が消えていることに気付く。あれほどに苦しかったのが嘘のように、少しさっぱりした気分だ。


「よく頑張ったな、オヅマ」


 額に乗せた手が、柔らかくオヅマをいたわってくれる。

 一瞬だけ、オヅマはその優しさに甘えた。

 そっと目をつむって、主君の硬く大きな手の感触を確かめる。

 だがすぐにその手は額から離れた。

 オヅマは再び目を開き、目の前にいる人に問うた。


「あれはどういうことですか? 道化は毒だと言っていました」

「あぁ……最初から少しキツめのものを与えられたようだな。ヴィンツェもお前には期待をかけておるのであろう」

「ヴィンツェ……?」

「あの道化はヴィンツェンツェという名だ。覚えておく必要もないが……これから、お前の世話もしてもらうことになる」


 主君の言葉であれば無条件に従うのが常であるのに、そのときのオヅマには道化のけたたましい哄笑が脳裏に残って、今も甲高い声がいやらしく鼓膜を引っ掻いていた。


「……()りません」


 眉を寄せて、きっぱりと断るオヅマに、主君(かれ)はフッと笑い、なだめるように軽く肩を叩く。


「オヅマ。私はお前に、与え得る最高のものを与えたいのだ。地位や財産などといった軽薄なものではない。誰もが手に入れようとしても、手に入らぬ……特別なものだ」

「そのために、ヴィンツェの試練を受けろと?」

「……嫌か?」

「…………」

「嫌ならば、無理は言わぬ」


 優しい言葉であるはずなのに、それは冷たい刃のように、オヅマの忠誠を刺した。

 途端に息が荒くなり、心臓が激しく鼓動を打つ。

 オヅマはあわてて主君の服の端を掴んだ。


「閣下……ランヴァルト閣下、お願いです。見捨てないでください」

「何を言っている?」


 主君 ―― ランヴァルトはやわらかく微笑み、いつものように囁きかけた。


「私は決して、お前を見捨てはしない。案ずることはない、オヅマ」


 その言葉が本当に信じられるのであれば、オヅマは拒否できただろう。

 毒を服み、苦しみながら、自らの肉体を作り変えていくことは恐ろしかった。自分が削り取られていくようで……。


 だが結局、オヅマは受け入れた。

 それがランヴァルトの望みであるのならば、オヅマの為になるのだと、あの人が言うのであれば、疑問など持つ必要もない。


「ハハハァ~ハァ~。やれやれ。ご主人様はわずか六つの時分から清毒を入れられたというのにのォ~。お前なぞ、地べた這う虫のごとき、卑しくもしぶとい、醜い、浅ましき、半端モノが……。や~れ、やれやれ……なんとも情けなや。この程度でヒィヒィ哭きわめきよる」


 再び毒を服まされてのたうち回るオヅマを、ヴィンツェンツェはいかにも汚らしいものであるかのように見下ろし、嘲弄する。

 オヅマはギリッと歯軋りして、熱い息を吐きながら反駁(はんばく)した。


「……誰が……泣いて、なんか……ない」

「たわけ! みっともなく声上げて、哭くを言うぞ! えぇい、この馬鹿め。阿呆め。暗愚め。魯鈍(ろどん)め。頓馬の無能め。お前のごとき蒙昧(もうまい)なる孺子(じゅし)に、教え諭す我が身の哀れよ」


 毒で身動きが取れぬとわかっていて、ヴィンツェンツェは絶え間なくオヅマを鞭で打ち据え、ひどい言葉で責め立てる。うち続く誹謗と侮言、痛みが、徐々にオヅマの気力を奪っていく。


 こんな小男相手に、項垂れている自分が情けなかった。

 所詮は虎の威を借る狐に過ぎない小物。

 それでもオヅマはこの傴僂(せむし)の老人の背後に立つランヴァルトに、頭を下げるしかないのだ。


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