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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第九章
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第四百二十六話 マリーのお説教(1)

 翌、大帝生誕月(たいていせいたんづき)の本祭の日。


 領主家族ほか、アドリアンとティア、それに侍女のカーリンと近侍ら一同が集まった朝食の席で、まずマリーが念押しするように言った。


「今日はお勉強はお休みよ!」


 何日も前からマリーはアドリアンにお願いをしていた。大帝生誕月の本祭が行われるこの日だけは、勉強を休んで一緒に祭りに行ってほしいと。

 本当は十日前にあった前祭も一緒に行こうと約束していたのに、その前日にオヅマとケンカして絶交状態に陥ったために、アドリアンはマリーに謝罪して同行しなかった。祭りに行くとなれば、必ず身辺警護としてオヅマが()いてくる。まだその時点においては、アドリアンはオヅマの顔を見るだけでも、苛立ちと焦燥で落ち着かなかった。


 だが、最近になるとアドリアンもそろそろ怒りを解くべきなのだろうとは思っていた。

 この絶交期間中、オヅマはアドリアンが最後に通告したように、声をかけてくることはなかった。だが不意に顔を合わせるたびに、何か言いたそうにしては結局口を噤んで、悄然と去って行く後ろ姿を見て、アドリアンもそろそろ罪悪感が積もってきてはいたのだ。


「無理を言ってはいけませんよ、マリー。小公爵様も、毎日お勉強をしてお疲れなのですから」


 ミーナが表情のうかないアドリアンを(おもんぱか)ってたしなめる。

 アドリアンは笑って否定した。


「大丈夫です、男爵夫人。僕らもたまには気分転換しないといけませんから。マリー、今日は一緒に行こう」

「良かった!」


 心底嬉しそうなマリーに、ティアもホッとしたように言った。


「良かった。マリー、この前もとても楽しみにしていたんですよ。お兄様が来られないから、とても落ち込んでいて」

「あら、ティア。落ち込んでいたのはわたしだけじゃないでしょ? ティアだって楽しみにしていたじゃないの。アドルと一緒に踊りたいって」


 マリーがサラリと言うと、アドリアンは顔を真っ赤にする妹を見つめた。


「えっ、あっ……あの、あの……そう、できればいいかな、って」


 ティアは恥ずかしそうに顔をうつむけて、小さい声で言ったが、マリーはまったく頓着しない。


「ティアだって、カーリンだって、お祭りでみんなで踊るのを楽しみにして、一生懸命練習していたんだから。だから、ちゃんとみんなで踊るわよ。アドルも! マティも! テリィも! エーリクさんも!」


 ビシビシと言いつけられて、近侍らは急に思ってもみなかった事態に固まった。


「お兄ちゃんもよ!」


 最後にマリーがオヅマにも釘をさしたが、オヅマのほうはまったくやる気がなかった。


「無理だろ。踊りなんか……もう忘れたよ」

「お兄ちゃんだったら、一節(ひとふし)踊ればすぐ思い出すわよ」

「…………俺は警護担当だから踊っている暇はない」

「あ、それならば僕も」


 エーリクがすかさず言うと、マリーはギロリと並んで座っている二人を睨みつけた。


「問答無用! みんなで一緒に踊るの!!」


 マリーが叫ぶと、ハッハッハッと大笑いしたのはヴァルナルだった。


「まぁ、今日は騎士らも警護につくから、エーリクもオヅマも気にせず遊ぶといい」

「しかし……その、僕は踊りというのが苦手で……」

「もう遊ぶような年じゃないです」


 エーリクはそれとなく拒否の意向を伝え、オヅマはハッキリ断ったが、


「残念だが……この館の権力者はここにおられるマリー嬢なのだ。あきらめなさい」


と、ヴァルナルはニコニコ笑って退けた。

 確かに、この館においてヴァルナルが全面的にマリーの味方であるのは、誰しもが知るところであった。

 特にマリーが仲違いしたままの兄とアドリアンのことで、いずれ何か一計を案じているのであろうと推測しているヴァルナルとしては、もはや頼み込んでもマリーの提案に乗るしかない。

 マリーもまた、父からの絶大な信頼に応えるつもりであった。


「ありがとう、お父さん」


 短い親子の会話の中で、その日、アドリアンを始めとする近侍らもまた、祭りの輪舞に参加することが強制的に決まったのだった。



***



「アドル、一緒に行きましょう」


 領主館から出るなり、マリーは有無を言わさずアドリアンと手を繋いで歩き出した。

 最近ではティアやカーリンとほとんど一緒にいることが多いマリーが、わざわざ一緒に行こうと言ってきたことに、アドリアンはすぐ意図を察した。


「説教かい? マリー」

「まぁ、アドル。意地悪な言い方ね」

「ハハ。ごめん。でも、物申したいことがあるんでしょう? マリー嬢」

「物申したいだなんて……そんなご大層なことじゃあないわよ。でも、この際だし、はっきり訊くわ。アドルは何に怒ってるの?」


 唐突に問われて、アドリアンはすぐに返事ができなかった。思わずサッと目を逸らす。

 マリーはフゥと一つ息をついてから、話し出した。


「お兄ちゃんがとっても失礼なことを言ったのは、確かにそう。しっかり怒られても仕方ないわ。でも、いつものアドルだったら、そろそろ許してくれてると思うのよね。お兄ちゃんがああいう……なんていうか、ちょっと言葉選びが下手だっていうのはわかってると思うの、アドルは。でもずーっと怒ってるってことは、アドルは本当はあのとき言われたことじゃないことで、なにか怒ってることがあるんじゃないの?」

「…………」


 その質問はある意味、アドリアンの胸に巣食う黒々とした、まとまりのつかない気持ちの中枢を打ち抜くものだった。


 確かに当初はオヅマのあの言葉 ――― 『お前に友達なんかいない』という無神経な言葉に傷つき、怒っていたのではあるが、実際のところそれは本当の意味でのアドリアンの怒りの対象ではなかった。

 いや、そもそも怒ってもいなかった。

 冷静に考えればオヅマの言ったことは間違っていない。

 もっともであればこそ腹立たしくもあったが、それも怒りとしてはそう持続するようなことではなかった。だから、いつまでも口を利かないでいる理由は他にあるのだ。

 それはやはりオヅマへの暗い羨望だった。

 怒っているという形をとってはいても、所詮、アドリアンはオヅマから逃げていた。

 いや、オヅマを羨ましく思う自分から目を背けたかったのだ……。


「お兄ちゃんね、心配したがりなのよね」


 沈黙するアドリアンに、マリーは言った。


「心配したがり?」

「あ、違う。えーと、心配性っていうの? 今はそうでもないけど、私が子供の頃……あ、もっと小さい頃ね、そりゃあもう心配ばっかりして。私がちょっと転んで、泣いただけでも、誰かにいじめられたのかとか、痛い思いしてないかとか、ものすごく心配するのよ。でもね、お兄ちゃんが心配するのは、それだけ大事に思ってるってことなの」

「それは、そうだろうね」


 アドリアンが最初にレーゲンブルトに来たときも、オヅマがマリーのことを特に気にかけているのは、すぐにわかった。

 表向きは素っ気なくとも、マリーが泣いていると必ず理由を尋ねて励まし、もし誰かによって傷つけられたと知れば、泣かせた相手に食ってかかることもあった。

 そのときのオヅマは本当に狂犬か何かのようで、放っておいたらそのまま殺してしまうんじゃないかとすら思えるほどで、さすがにアドリアンも驚いてたしなめたことが何度かあった。

 正直、近侍となるのもマリーの一声がなかったら、オヅマは断っていたかもしれない。

 それくらいオヅマにとってマリーは大事な妹だった。


「アドルのこともそうなのよ」


 マリーはそっと言った。

 アドリアンは一瞬固まり、まじまじとマリーの緑の瞳を見つめた。


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