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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第九章
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第四百十五話 素晴らしい友人

 その日の午後。


「ともかく謝るよ。ごめん」


 いきなり学習室に現れるなり、頭を下げてきたアドリアンにオヅマは目を丸くした。


「なにが?」

「この前……狼狐(おおかみぎつね)に襲われたときのことだよ。変なこと言って、ごめん。少し気が動転していたみたいだ。君の髪の色も変わってたし。あ、もう戻ったんだな。あれも似合っていたけど、やっぱりオヅマはその色がしっくりくるよ」


 オヅマはますます訳が分からなかった。

 急に謝ってくることもそうだが、普段のアドリアンからすると、妙に早口で饒舌(じょうぜつ)で、どこか上滑りしているように聞こえた。それでいて顔は切実なので、なんとなく()されるように頷くしかない。


「あぁ……うん」

「じゃ、いいな。これで仲直りしているよな?」

「はぁ? なんなんだよ、いきなり」

「いや。ちゃんと仲直りしたってことをわかってもらわないといけないから」

「わかってもらう……って、誰に?」

「マリーに。いや、マリーだけじゃないな。下手をしたらティアやカーリンも勘違いしているかも……」

「なにをぶつくさ言ってんだ、お前」


 オヅマはさっぱり意味がわからず眉を寄せたが、アドリアンはきっぱり会話を打ち切った。


「いいんだ。これで、この話は終わりだ」


 言うだけ言って、いつもの場所に座ると、行政官の置いていった資料を手に取って読み始める。


 今、学習室にはオヅマとアドリアンだけがいた。

 エーリクは例のアドリアンから紹介してもらった郷土史家を訪ねており、マティアスは昨夜遅くまで小論文をまとめていたらしく、自室にて仮眠中。テリィはオリヴェルと二人で水彩画の特訓。ついでにマリーら女子は、ミーナから礼儀作法の授業を受けている。


 まったくもって納得できないまま、謝罪を受け入れる羽目になって、オヅマはモヤモヤした。そもそも仲直りといっても、一方的にアドリアンが怒っていただけで、オヅマは何とも思っていない。

 狼狐に襲われたあとにアドリアンがやって来て暗い顔をしているから、いつもと変わりない調子で声をかけただけだった。それが、いきなり様子が変わって怒りだしたと思ったら『澄眼(ちょうがん)』を習得したいとか言い出すし、泣きそうな顔で出て行くし、そのあとやって来たマリー達に見られて怒られるし、もう散々だった。


 今も謝ってはきたものの、結局アドリアンが怒った理由はわからないままだ。

 といって、またこの前みたいに聞いても怒らせるだけなのだろう。こういうときは放っておくしかない。どうせ自分で悩んで悶々とした挙句、勝手に解決するか、それでもどうしようもなくて相談してくるだろうから。


 そもそも今は、アドリアンのご機嫌を伺っている場合ではなかった。

 例のトーマスからの問題に頭を悩ましているのだから。


 物語形式の推理論述は、すべてがルティルム語で書かれている上に、出てくる暗号は帝国古語だとかで、いちいち込み入っていて、面倒くさいことこの上もなかった。辞書を二冊用意して、首っ引きで読み進めねばならない。しかも時間制限があり、一刻ほどしたらトーマスが回収しに来る予定なのだ。

 机上(きじょう)の問題と、離れた場所に見えるアドリアンの澄まし顔がいちいち鬱陶しくて、怒ってなかったのに、オヅマはなんだかイライラしてきた。


 ふくれっ面を頬杖に乗せながら、コツコツと中指で机を叩く。


 もはや解く気も失せたまま、トーマスの問題を読み進めていると、ふと視線を感じた。

 顔を上げて、オヅマはギョッとなった。アドリアンがひどく強張った顔で、こちらを凝視していたからだ。


「あ……悪い。気になったか」


 あわてて自分の癖に気付いて、オヅマは中指をひっこめた。

 さっきまでの苛立ちも吹っ飛んでしまう。それくらいアドリアンの顔は愕然(がくぜん)と色を失っていて、見てはいけないものを見たかのようだった。


「君、それ……癖か?」

「え? あぁ……」

「いつから……いや……そういえば何度か見たことがあった……」


 ブツブツとつぶやいて、アドリアンはぎこちなく目線を資料に戻す。だが、まったく動かない瞳が、目の前の文字を追っていないのは明らかだった。


 オヅマはハアーッとわざとらしく溜息をついて立ち上がった。

 もう無視できそうにない。トーマスの問題は後回しだ。


 ドスンとアドリアンの前の机に尻を乗せると、不機嫌も露わに問うた。


「ほんとお前、何なの? さっきから。っつぅか、この前から」


 アドリアンはオヅマを見ようともしない。こういうときに発揮される鉄壁の無表情は、不本意にも幼い頃から鍛えられたせいで、まさしく取り付く島もない。平坦な口調も。


「机の上に座るなと言われているだろう」

「……くだらねぇこと抜かすな。言いたいことあるんなら言えよ」


 テリィであればビビって泣き始めるオヅマの低い声の恫喝(どうかつ)にも、アドリアンは静かなままだった。ただ、大きく深呼吸すると、ぼそぼそと暗い声で言った。


「気を悪くしたなら謝る。少し……知っている人を思い出してね」

「は?」

「君と同じような癖を持っている人がいたのを思い出して、驚いてしまった」

「なんだ、それ。イヤな奴だったのか?」

「まさか!」


 アドリアンはキッとオヅマを睨み上げると、すぐに否定した。


「素晴らしい人だよ。大事な友人だ!」

「……友人?」


 オヅマは眉を寄せると、(いぶか)しげに問うた。「誰だ? そいつ」


「……君に言う必要はないだろう」

「なんだよ、それ。誰かって聞いただけだろ」

「うるさいな。僕の友人関係について、逐一(ちくいち)、君に報告する義務でもあるのか?」

「お前が俺ら以外に友達とか、おかしいだろうが!」


 言ってからさすがにオヅマもしまったとは思った。しかし今更、飛び出た言葉を中に戻すこともできない。

 目の前ではアドリアンがブルブルと震えていた。むろん泣いているわけではなく ――


「僕にだって、君ら以外の友達くらいいるんだッ!」


 立ち上がるなり怒鳴ると、アドリアンは持っていた資料の束をオヅマに叩きつけた。普段のアドリアンであれば、せっかく集めてくれた資料をそんな乱暴に扱うことなど絶対にしない。

 異様ともいえる状況に、オヅマは呆然となった。


 そのままスタスタと、アドリアンは学習室を出て行こうとする。

 オヅマは追いかけながら、あわてて謝った。


「悪かった、ごめん。謝る。今のは違った。俺が悪かった……って」


 アドリアンは扉の把手(とって)を掴むと、冷えた声で言った。


「悪いと思うなら、しばらく君から声をかけてこないでくれ」


 それ以上は聞く耳を持たないとばかりに、扉はオヅマの前でバタンと閉まった。


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