第四十話 神送り
ようやく神殿に辿り着くと、すぐさまミーナは礼拝所に連れてゆかれた。
神殿の方も領主様の若君が来るということで、万全の態勢を整えてくれていたらしい。オリヴェルとマリーらは、遠方からの参詣者用の宿舎へと案内されていった。
一方、オヅマの方はというと早速、奉納の為の剣舞の用意をさせられる。
藍色の軍礼服にシャラシャラ鳴る装身具、藍の房のついた肩章とそこからヒラヒラ翻る藍のマントには、今年の神鳥であった鶲の絵が染め抜かれている。
当初、オヅマは新年を迎えるための参拝であると思っていたので、どうして今年の色である藍色の服なのか疑問であったが、マッケネンが丁寧に教えてくれた。
「まぁ、普通は新年を迎える祭りの方が一般的だものな。本来、虔礼の月に行われる礼拝は、この一年の安寧と豊穣に感謝して、その年の年神を天界へと送るものだ。今回、ミーナ殿が行う礼拝もそういうことだ」
「じゃあ、新しい年神様には参拝しなくていいの?」
「それはヴァルナル様が帰ってきてから直接されることになっている。いくらなんでも迎えも送りも他人任せでは、領主として神様に申し訳ないらしくてな」
オヅマはヴァルナルの妙に真面目というか、ちょっと固くも思える性格が面白かった。貴族の中には一年中帝都にいて、領地に戻ることもない人間もいる。そんな人間は神事など気にもしていないだろう。
「ま、お前も領主様の代わりに舞を奉納するんだと思って、しっかりと務めろ」
「えっ? 領主様も剣舞とかするの?」
「………しない」
「それ代わりじゃねーだろ!」
この調子だと子供という理由で来年もさせられそうで、オヅマは憂鬱だったが、それでも母やマリー、オリヴェルが楽しみにしているので、マッケネンの言う通り、しっかり務めねばならない。
とはいえ。
化粧なんかさせられるとは聞いてなかった。
「嫌だ! どうせ汗かいて落ちるだろ!」
「目の周りにちょっと金粉塗る程度のことだろうが!」
「じゃあ、なんで紅があるんだよ!」
「そりゃ、もちろん唇に塗るんだよ」
「い・や・だ!」
オヅマは強硬に拒絶した。その様子を見ていた神官の一人が、鼻までの仮面を持ってきた。目の周りに金色の装飾が施されている。
「これであればよいでしょう? 口紅はまぁ、しなくてもいいのですし」
「そら見ろ! やっぱりしなくていいんじゃないか!」
「チッ! いい話のタネになると思ったのに」
ゴアンが面白くなさそうに舌打ちするのを、周囲にいた神官と騎士達は肩を震わせてこらえた。
さすがに隣の宮でミーナの祈祷の最中だというのに、大笑いが聞こえてきては、荘厳な儀式が乱されてしまう。
その後、剣舞を行う場所に案内され、最後の通し稽古を行って本番を待つ。
祈祷が終わる頃には、空がうっすらと朱色になりつつあった。
北国の夏の夜は短い。冬であればとっくに暗闇に包まれる時間であったが、まだ山の端に太陽は沈んでいなかった。
薄暮の中、神官が松明を持って現れる。白砂の敷き詰められた境内の四隅に篝火が灯った。
「さ、行くぞ」
オヅマに合わせて鼻までの仮面を被ったゴアンが軽く声をかける。
ゴアンとオヅマの他に、二人が剣舞を奉納することになっていた。ゴアン以外は全員が未経験だ。
ゴクリと唾をのみこんで、オヅマは背を伸ばして白砂の上を歩いて行った。
◆
オリヴェルは現れたオヅマの風体にまず目を奪われた。
仮面をしているが、大人の中で一人だけ子供なのですぐにそれがオヅマとわかる。まして亜麻色の髪が黒の仮面と藍色の服にとても引き立っていた。
「うわぁ! お兄ちゃん、かっこいいじゃない」
隣でマリーが素直な感想を述べると、ミーナも微笑んだ。
「本当ね。案外と似合ってるわ」
「まぁ、ミーナさんってば、案外だなんて。とっても似合ってますよ」
ナンヌは初めて見る剣舞に少し興奮気味に言った。その横で興味津々とビョルネ医師が凝視している。
さすがに十日間みっちり仕込まれただけあって、オヅマの舞は流麗であった。
周囲で踊るのが大人ばかりであるせいか、華奢にも見えて、それが一層儚げで、神秘的に思えた。
篝火と夕闇の中で、鋭く光るように薄紫の瞳がこちらを向く。
オリヴェルはドキリとしてしまった。
生きて動いているものなのに、そこには造形物としての美しさがある。これをただ見ているだけなのが勿体ないくらいだ。
「あぁ、残念。僕に絵の素養があれば…この神事を描いて記録するでしょうに」
ビョルネ医師がつぶやいた。
それを聞いて、オリヴェルは思いつく。
今まで暇つぶし程度に絵を描いたことはあったが、確かにこのオヅマの姿は残したいものだ。館に戻ったら、必ずこの記憶を絵に残す。
そう決めると、オリヴェルは尚の事熱心にオヅマの姿を凝視した。
手の形も、足の動きも、剣の冴え、舞によって揺れるマントや、シャラリと鳴る装身具の音ですらも全て。
一方のオヅマは途中から妙な視線を感じて落ち着かなかった。
それは興奮したマリーやナンヌのものでもなく、失敗しやしないかと少し心配そうに見ているミーナのものでもない。神事として興味深く観察するビョルネ医師のものでもなく、すべてを記憶しようとするオリヴェルの熱っぽいものとも違う。
何の感情もない瞳が、ただただオヅマを見ている。いや、少しだけ笑っているようでもある。
剣舞に集中するほどに、その視線が気になった。全身の感覚が知らせてくる。この目は明らかに違う、と。
オヅマはひたすらに舞った。
不思議と頭に次の動作はまったく浮かんでこないのに、勝手に体が動く。
舞うほどに神経が縒り合わされて、一つの束となり、新たなる感覚が生まれるかのようだ……。
―――――オヅマ…
呼びかける声が直接頭に響く。
ビクリとして、オヅマは手に持っていた剣を落とした。
だが、ちょうど舞が終わったところだった。
「最後にトチったな」
ゴアンが剣を拾って渡してくる。オヅマは肩をすくめて受け取ると、本殿に向かって頭を下げた。
拍手が境内に響いた。
領主館の人々の参拝を知った領民が来ていて、思っていたよりも多くの人間が見ていたらしい。
「…………」
オヅマは辺りを見回した。あの声の主を探したい。だが、まったく見当がつかなかった。
「どうした? 行くぞ」
ゴアンに声をかけられる。
「あ……うん」
オヅマはボーッとしながら頷く。
境内から立ち去りかけて、その背にマリーの声が飛んできた。
「お兄ちゃん、よかったよ!」
嬉しそうなマリーの顔に、ようやく我に返る。軽く手をあげてから、オヅマはそそくさと走り去った。
今更ながら、妹や母やオリヴェルに見せられたのが嬉しくもあり、少しばかり恥ずかしくもあった。




