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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第九章
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第四百話 イファルエンケの娘たち

 テリィとオリヴェルが仲良くなっていくことに、一番不満を持ったのはマリーだった。


「私は……あの人のピアノ好きじゃない」


 マリーはオリヴェルとテリィが二人、()()()()いるのが面白くなかった。

 特に二人がピアノの部屋に籠もって、テリィの例のやたらと忙しい、おどろおどろしい曲を、オリヴェルが喜んで聴いていることが信じられないし、理解できない。


「やたらとうるさくて……『俺は上手いんだぞ!』って、威張ってるみたいで嫌」


 マリーはティアらと一緒にピアノの練習をするので、その部屋に行くことは多かったのだが、部屋の中からテリィの腕自慢のような曲が流れてくると、すぐさま回れ右した。

 本当はテリィに文句を言ってやりたいが(実際に言ったりもしたが)、するとオリヴェルが悲しそうな顔になるので、マリーとしては黙って我慢するしかない。


「おぅ、おぅ。むくれてやんの」


 オヅマが囃し立てて、軽くマリーのおでこを小突く。

 ふくれっ面のマリーを見て、アドリアンは少し微笑んだ。


「マリーには少し恐ろしげに聴こえるのかもね。元々、ああした曲は戦場へ出向く騎士や兵士らに送られたものだったりするし、鼓舞する意味もあるから」

「あんな曲聴いていたら、オリーの体に悪いわ」


 マリーはイライラしたように言ったが、オヅマは肩をすくめた。


「仕方ないだろ。オリーはああいうのが好きなんだから。だいたいピアノを聴いた程度で体調崩すなら、騎士団の見学なんてしてたら毎回卒倒することになるぜ」


 剣撃や、格闘術の訓練においては、少々の怪我は毎度のことである。当然、出血などもある。オリヴェルは痛そうに見ていても、特に忌避することはない。

 テリィのピアノについても、最初は驚きもあって、すっかり興奮してしまったが、その後においては大人しく聴いて楽しんでいる。


「オリヴェルさんは、ああいう……何というか、壮大な曲がお好きなんですね」


 すっかりむくれているマリーをなだめるようにティアが言うと、「それそれ」とオヅマは指さした。


「オリーはさ、病弱だとかで皆、騙されるけど、わりとこう……わぁーっと迫力のあるような、わかりやすくて劇的なヤツが好きなんだよ」

「そうだな。僕も帝都にいたときに頼まれていた本は、決闘や戦記の類のものが多かった」


 アドリアンもまた同意する。


「まぁ、そのようなことを小公爵様に頼んでいたのですか?」


 驚いて思わず声を上げたのはミーナであった。

 定期的にティアの学習進度などについてルンビック宛てに書き送っていて、今はその手紙の下書きを書いているところだった。


「たまたま手紙の中でそういう話になったんです。別に僕は街に出るついでだから、大したことじゃないですよ」

「ごめんなさい、お母さん。私もアドルに……その、ちょびっと頼んだ」


 マリーが怒られるかもと小さな声で白状すると、ミーナはあきれたように口を開けて、やれやれと首を振った。


「まったく……小公爵様にお使いを頼むだなんて」

「気にしないで下さい、男爵夫人。たいがいの無礼なことは、既にオヅマで慣れてます」


 アドリアンが気さくに笑って言うと、オヅマが「おいっ」と叫ぶ。途端にその場は笑いに包まれた。


 今は午後の休息時間で、領主館の居間に集まっていたのは、アドリアンとオヅマ、ティア、カーリン、マリーと、隅で書き物をしていたミーナ、お茶の用意を整えて扉近くに控えていたサビエルの六人である。

 話題の二人については、オリヴェルの部屋に籠もって絵の勉強。エーリクは騎士団でアルベルトに弓の個人特訓を受けており、マティアスは午前の訓練ですっかりへばって午睡中だ。

 ちなみにハンネは、姉が臨月間近なので手伝いに行くと言って、先月のうちにアールリンデンへと帰って行った。


「双子の妖精のお話よね?」


と、ティアが言ったのは、マリーがアドリアンに買ってもらった本の話だった。カーリンも知っていたのか、めずらしく自分から話し出す。


「私も読ませてもらいました。前に同じのを読んだことはあったんですけど、絵柄が新しくなっていて、とっても可愛い妖精になってて。特にミーナが……あ、すみません。あの、男爵夫人のことではありません。イファルエンケの娘のミーナの話なんです」

「あら? 私は妖精ではございませんか?」


 ミーナは笑顔を浮かべつつ、少しとぼけた様子で言って、カーリンの緊張を解いた。


「もう、お母さんったら。カーリンをからかったりなんかして」

「本当に男爵夫人は、あのミーナの化身かもしれませんね」


 女たちがクスクスと笑い合うのが、オヅマにはさっぱりわからない。


「さっきから、なんだよ。妖精とかなんとか」

「なによ、お兄ちゃん。知らないの? イファルエンケの双子の娘の話よ。ミーナは最初の妖精になって、レーナは最初の小人になったじゃないの」

「はぁ? イファルエンケ? なんだ、おとぎ話か」

「おとぎ話じゃないわ。神話よ、神話!」


 マリーがムキになって抗議する。


 イファルエンケは八柱の神の中でも、もっとも庶民になじみ深い神だ。

 平和、音楽、遊牧、漂泊、恋人達の神でもあり、顔のないその姿は捉えられぬものの神として、抽象的な一面も持っている。雀が使いであるため、雀の仮面を被った姿で描かれるのが一般的だ。西の象徴でもあり、帝都の外郭門の一つ、西大門はイファルニアーザと呼ばれ、その周辺の広場は吟遊詩人らのたまり場となっている。


 このイファルエンケが人間の女(一説には男)と恋に落ちて、双子の娘が出来るのだが、それがミーナとレーナの話。


 ミーナは愛らしく、無邪気、無垢なる美少女として描かれる。

 その歌声に冬枯れの木々も芽吹き、その足跡には花が咲くほどに、彼女はすべてのものから愛された娘で、後に妖精族の始祖となった。


 反面、姉のレーナは産まれたときに、イファルエンケの双子の妹であるセトゥルエンケの呪いによって、半身が炎に焼かれたかのような赤痣(あかあざ)を持って生まれたため、醜悪な容姿の娘として描かれる。

 ただし知能は高く、一歳で駒取り(チェス)を覚え、父・イファルエンケを負かしてしまった。彼女は後に(くわ)(すき)などの道具を発明し、牛などを家畜化する方法を人間に教え、最終的には小人族の始祖となったとされている。


「妖精も小人もいねぇし、どうせなかったことなんだから、おとぎ話じゃんか。なぁ、アドル?」


 呼びかけられて、アドリアンはしばらく返事しなかった。ややあって、呼ばれていたことに気付いてあわてて問い返す。


「え? なに? なにか言った?」

「いや、妖精とか、おとぎ話だろって話」

「あぁ……まぁ、うん。神話だから、何か象徴的なことを表してはいるんだろうね」


 アドリアンは答えつつも、どこか心ここにあらずだった。

 それというのも、また奇妙な相似を見出してしまったからだ。


 ミーナとレーナ。


 どこかでレーナという名前を聞いたなとぼんやり考えていたら、思い出したのは大公ランヴァルトの腕に絡みついていた蛇のことだった。

 黒曜石の瞳を持った白い蛇。

 その蛇をランヴァルトは「レーナ」と呼んでいたのだ。そのときにレーナと名付けたのは昔、大公家にいた娘であったということも聞いている。


 アドリアンはひどく胸がざわめいた。

 この落ち着かない気持ちは初めてではない。

 アールリンデンでの()()晩餐の前、オヅマにあげた服の意匠について話していたときにも、奇妙な偶然を感じて困惑した。

 服に刺繍されていた翠耀鵬(アーデューン)と、オヅマの名前の繋がり。

 それらを知った上で、その服を勧めてくれたランヴァルト。その意味を知って喜んでいたミーナ。


 また、だ。またミーナから大公が連想されてしまう……。


 それでもまだ、アドリアンは偶然だと思っていた。

 ミーナという名前は、神話にあやかって親が娘につけるものとしては、さほど珍しくない。それこそ多くが使ったがために、今では少々ありきたりだと敬遠されるほどだ。


 しかし偶然は、アドリアンに何かを要求するかのように、また奇妙な近似を示してきた。


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