第三百七十八話 キャレ騒動の落着
「其方にしては、粗いやりようであったな」
そろそろ皆の寝静まる時間に、ルーカスは公爵・エリアスの執務室に呼び出された。挨拶の間もなく切り出されて、ルーカスは苦笑した。
「少々、稚拙な手を使ってしまいました。まさか閣下がおいでになると思わず……ご足労をおかけして申し訳ございません」
「……それで、目的は果たしたのか?」
「そうですね……」
単刀直入なエリアスの質問に、ルーカスはしばらく考えた。
あのとき、牢屋の隅で行われたルーカスとセバスティアンの密談は、いなくなったキャレ・オルグレンに関することだった。
***
「実はオルグレン男爵にはまだご存じなかろうと思いますが、キャレは母親と一緒に逐電したのです」
「なんと! いつ?」
「さて……何時というのも難しいことです。我らも当初はキャレが、姉の容態が悪いと母親から知らせを受けて、ファルミナに一時的に帰ったものと思っていたのですが、なかなか帰ってこず……。そろそろ帝都を出発しようかという頃合いで、意外な人物が訪問してきましてね」
「意外な人物?」
「キャレの姉君であられるカーリン嬢です」
「カーリン……? あぁ、そういえばそんな者もおりましたな」
仮にも自分の娘だというのに、セバスティアンは下女が産んだ娘にまったく興味がなかったらしい。
ルーカスは内心呆れながらも、話を続けた。
「なんでもカーリン嬢が言うには、母親はキャレの不在をひどく悲しがって、姉が病気と嘘をついて呼び戻したというのです。どうやら母親は、大事な息子がいなくなったことで、すっかり心を病んでいたようです……」
戻ってきたキャレは、心身ともに衰弱した母親を見て、もはや帝都に戻ることはできないと判断したらしい。といってこのままファルミナに留まっていることもできず、仕方なく母と姉を連れて、三人でファルミナの館を飛び出した……。
ルーカスはそこでチラリとセオドアの方を見た。
「この点については、少々不思議に思いましたよ。なぜ、キャレはあなたや、兄であるセオドア公子に頼らなかったのか、と。相談すれば医者にかかるなり、なんらかの方法はあったろうに。しかし彼 の出自については、いろいろとそちらには思うところがおありなのでしょうから、私が好き勝手に憶測して話すことは控えます」
ルーカスの婉曲な嫌味に、セバスティアンは鼻白んだ。
「その後、親子三人、旅を続ける途中で山賊の襲撃に遭って、そのときにカーリン嬢は母と弟とはぐれてしまったようです。彼女は色々考えた末に、私共のところに来ました。なかなかしっかりした御方ですね、カーリン嬢は。弟の非礼をそのままにしておくのは、父である貴方にも迷惑がかかると思ったようです」
「ふん。それはそうでしょうな。我が娘のことですから」
セバスティアンは誇らしげに少し胸を反らせた。
さっきまでその娘の存在すら忘れ去っていた父親とは思えぬ態度に、ルーカスは冷ややかな視線を送りつつも、話を続ける。
「しかしさすがに一人での旅が堪えたようで、カーリン嬢には今、休養して頂いております。そこで提案……いや、お願いがございましてね」
「お願い?」
「カーリン嬢を、サラ=クリスティア嬢の侍女とすることをお許しいただきたい」
「カーリンを?」
「えぇ。先程もあったように、ペトラ・アベニウス亡き後、公爵閣下の血を継ぐ娘が遺されました。まだ公爵閣下におかれては、はっきりとは決めておられませんが、近く引き取って公女とされるおつもりです。そうなれば侍女は必要。カーリン嬢のようなしっかりした人物がそばにおれば、公女となったばかりのサラ=クリスティア嬢……いや、サラ=クリスティア様も安心できますでしょう」
「それは……ありがたいことです。が……」
セバスティアンは、突然のルーカスの申し出に戸惑った。
普通に考えれば、公女の侍女に自分の娘がつくことは名誉である。だが、相手はあの罪人の娘だ。縁を繋げて問題ないだろうか……?
さっきから続けざまに身に覚えのないことばかりが降りかかってきて、セバスティアンはすっかり混乱していた。普段からアルコールの抜けきっていない頭では、とても処理できない。
ルーカスは動きの止まったセバスティアンに、もはや隠すこともなくため息をついた。
どうもまだ、この状況が理解できていないらしい。
「よろしいですかな、男爵。今、あなた方には二つ問題が生じているのです。今回のキャレの無責任な失踪と、サルシムの横領に加担した疑い。しかし賢明なるカーリン嬢に免じて、これらの件について、不問に付すことも考えましょうと言っているのです」
「そ、それは、それならば喜んで!」
セバスティアンはすぐさま了承した。
顔も覚えていない娘を一人、公女の侍女として差し出す代わりに、この不祥事をもみ消せるというならば、まったく安い話だ。
「娘にとっても公女様の侍女となるなど、大出世でありますれば、名誉なことです」
先程までの緊張から脱して、セバスティアンはホクホクと安堵の笑みを浮かべる。
ルーカスもニコリと微笑んでから、釘を刺した。
「それは有難い。であれば今後はキャレのことも含め、互いに詮索はせぬものといたしましょう。もし、あなたの家中の者から蒸し返すようなことあらば、今回のサルシム行政官の横領事件でのあなた方の疑惑について……そう、先程セオドア公子もおっしゃっておられた、ファルミナの土地移譲の件などについても、詳しく聞くことになりますでしょうな」
セバスティアンの顔はみるみるうちに笑みが凍り付き、呆然となり、次には息子が口を滑らせたことを思い出して、再び怒りが露わとなった。
わなわなと震えるセバスティアンに、ルーカスはこれでもかと念を押す。
「一応、申し上げておきますが。この件については、ハヴェル公子は関わらぬと先程仰言いましたから……セオドア公子にも、きつくお含み置きくださいますよう……お願いしますよ、男爵」
***
しばしの反芻の後、ルーカスはニヤリと笑った。
「今頃、オルグレン家では父親と長男が喧嘩しているかもしれませんが」
エリアスはまじまじとルーカスを見たあとに、葉巻箱から葉巻を取り出した。カチリと葉先を切りながら、つぶやく。
「『真の騎士』の逆鱗に触れたようだな。ファルミナの小僧ごときに、随分と念の入ったことだ」
「小賢しいことをしてくるので、少し灸を据えてやりたくなりましてね。アルビンについては、最近振る舞いがますます横柄になってきておりましたので、一度、正気に戻してやるのもよいかと思いまして」
「ハヴェルもお前の思惑に気付いたのであろう。今回ばかりは、セオドア公子が泣きついても、助けはなかろうな」
あのときのハヴェルの言葉を思い出しながら、ルーカスは無言で頷く。
―――― オルグレン家については、今後、何かあったとしても、申し上げることは控えましょう……
つまり今回の件での幕引きの代償として、セオドアの企みについては、ハヴェルが手を貸すことはないということだ。
セオドアとしては妹を弟と偽って小公爵の元に送り込み、不愉快な風聞を流して小公爵の権威を落とすと同時に、父の監督責任を問うて排除するつもりでいたのだろうが、ハヴェルはこれに加担しないと明言した。
これ以上、セオドアの小賢しい計略に乗ったところで、得るものが少ない上、下手をすればアルビン・シャノルが公女誘拐とサルシム横領について疑惑をかけられる。
人が物事の優先順位を決めるために天秤にかけるのはよくあることだが、問題はどちらが軽重かということよりも、何を天秤に乗せるかなのだ。多くはそれを見誤って失敗する。
「ま、セオドア公子は父親と違って、多少は頭も回るようですから……ハヴェル公子の言葉で十分に理解できたでしょう。オルグレン男爵にはわかりやすく説明しておきましたから、キャレの姉弟については、これで何を言ってくることもなかろうかと」
「相変わらず……腹の探り合いが好きだな。お前は」
「まさか。この程度のこと、閣下には及びもつきません。皇府の狸どもやら、皇家のやんごとなき方々の相手するなど、到底……」
わざとらしく身震いしてみせるルーカスに、公爵はやや苦さを含んだ笑みを浮かべた。葉巻に火を点けると、一口味わってから、再び冷たい表情に戻って問いかける。
「此度、ヤミ・トゥリトゥデス卿を使ったようだが…………彼は役に立ったか?」




