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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第七章

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第三百六十話 帝都の出会い(4)

「どうぞ、アドリアン。あぁ、馴れ馴れしかったかな? 小公爵と言ったほうがよいか?」


 ランヴァルトがソファに腰掛けて、向かいの場所を示す。アドリアンは勧められるまま、その場所に腰掛けながら答えた。


「いえ、構いません。名前を覚えてくださっていて、有難く思います」

「ふむ。その様子だと、ここでの決まりについては、おおよそ想像できたようだ」

「そうですね……」


 店主は大公であるランヴァルトに丁重な態度で接しつつも、その身分で呼ぶことはなく、ランヴァルトはアドリアンを紹介する際に「グレヴィリウス家のアドリアン公子」と言っていた。普通、人に紹介する際は貴族であれば、かならず爵位についても伝えるものだが、ランヴァルトはあえて公爵家と言わなかった。


「身分の差なく振る舞う場所であるならば、それに(なら)うべきかと思いましたので」


 アドリアンの言葉に、ランヴァルトは満足げに頷いた。


「やはり君は頭が良い。非常に、場というものを(わきま)えている。その年で大したものだ」

「誉められるほどのことではございません」

「いや。正直なところ、私がここに人を連れてくることは少ない。シモンも連れてきたことはない。今日も、一人でのんびりと読書でもしようかと、急に思いたって来たのだ」

「それは、ご迷惑だったのでは……」


 アドリアンは腰を浮かしかけたが、ランヴァルトは無用と手で制した。


「構わぬ。招いたのは私だ。この場にそぐわぬ者であれば連れて来ることもなかったが、君であれば、この茶寮(ラデュ=シィーク)静謐(せいひつ)を破ることもなかろう」

茶寮(ラデュ=シィーク)……」


 アドリアンは先程看板で見かけたときから気になっていたその名をつぶやいた。帝国においては、あまり馴染みのない言葉だ。


「あぁ。西の国では茶や煙草を喫する店があちこちにあってな。向こうで使われていた言葉を、そのまま充てたのだ」

「そうだったのですね。では、大公……ランヴァルト様がこの店のオーナーでいらっしゃるのですか?」


 ランヴァルトはアドリアンの問いに、シッと口の前に人差し指をたてた。


「そのことは内緒だ、アドリアン。私がこんな小さな店に出資したと知れては、またうるさく騒ぎ立てる雀どもが、好奇心で押し寄せるであろうからな。ここは基本的には、通う者から紹介を受けた者しか入ることはできないが、貴族という特権で無理強いをしてくる連中というのは、残念ながら少なからずいる」


 アドリアンはコクリと頷いた。

 確かにこの場所に、観劇の最中であろうとおしゃべりをする叔母や、平民であるゾルターンに横柄な態度をとるであろうシモン公子などはふさわしくない。

 近侍の中でも、今日はエーリクが一緒で良かった。ちょうどテリィが母親に会って、別れたのも今となれば僥倖(ぎょうこう)といえるだろう。もし、一緒だったら、おそらく大公はここにアドリアンを連れてこなかったような気がする。

 近侍の中であれば、マティアスなどは一応、大声を出したりはしないだろうが、この雰囲気に落ち着かなくて、始終アドリアンに話しかけてきそうだ。オヅマは……どうだろう? 本を読んでいる間は大人しくしていそうだけれど……。

 思わず考えこんでいると、従業員らしき男が飲み物を持って来た。独特な幾何学模様のカップに、銀色のケトルから黒い液体が注がれる。


「これは……?」


 アドリアンは見たことのないその飲み物に眉を寄せた。


珈琲(カフィ)だ。君は初めてかな? この数年で街の屋台などでも売られるようになったようだが……」

「申し訳ございません。存じ上げませんでした」

「謝ることではない。よければ飲んでみたまえ。あまり口に合わぬかもしれないが」


 言いながらランヴァルトがその液体を口に運び、おいしそうに飲むのを見て、アドリアンはカップを手に取った。立ち上る湯気とともに若干焦げたような、独特な香りがしてくるが、不快なものではない。アドリアンは覚悟を決めると、一口啜った。熱い液体と一緒に苦みが喉におちてきて、思わず顔をしかめた。


「ハハハッ! 君にはまだ少し早い味であったかな」


 ランヴァルトが楽しそうに笑う。

 そのときに気付いた。そういえば大公もまた、皇家(こうけ)の人なのであった。かのエドヴァルドの血を継ぐ人々は、揃いもそろって悪戯好きらしい。

 アドリアンは少し悔しくなって「大丈夫です」と言うと、再び飲もうとしてランヴァルトに止められた。


「まぁ、待ちたまえ。アドリアン。君のような者にも楽しめる飲み方というものがあるのだ。スヴェン、ミルクと蜂蜜を持ってきてくれ」


 スヴェンと呼ばれた鉛色の髪の男は、黙って頷くと階下へと降りていく。しばらくしてミルクと蜂蜜を持ってくると、テーブルの上に並べ、ランヴァルトの無言の指示を受けて、再び階下に去った。

 ランヴァルトは手慣れた様子で、アドリアンのカップにミルクと蜂蜜を注ぐと、ソーサーに置いてあった銀のスプーンで丁寧に掻き混ぜた。黒と白を混ぜ合わせて出来上がった薄茶色の飲み物に、アドリアンは躊躇した。


「毒の心配があるならば、私が先に一口いただこうか?」

「い、いえ。まさか……そんなことは考えていません」


 あわててカップを手に取り、おそるおそる口をつける。一口含んだ瞬間に、アドリアンは目をパチパチと瞬かせた。苦みがミルクのまろやかさと蜂蜜の甘さで中和されたのか、先程と違って断然飲みやすい。


「どうだ? 随分と飲みやすくなったであろう?」

「はい。とても美味しいです」


 アドリアンが素直に言うと、ランヴァルトは目を細めた。


「私はそうした飲み方はあまりせぬが、やはり子供には苦いようだな。これをはじめて見たときには、私も驚いたものだ」

「これも西方から伝わった飲み方なのですか?」

「いや……これは、昔、我が屋敷で世話していた娘が考えついたものだ。今の君と同じ……いや、君よりもハッキリとまずそうな顔をしてな。それでも私が淹れたものを飲まないのも失礼と思ったのか、どうにか美味しく飲もうと考えたのだろう」

「すごいですね。とっさにこんな組み合わせを考えるなんて」

「あぁ。そういう気働きのできる娘だった……」


 ランヴァルトは視線を落とし、つぶやくように言ってから、再び珈琲を口に含む。ふと訪れた沈黙を壊してはいけない気がして、アドリアンは黙ってミルク入りの珈琲を飲んだ。

 ランヴァルトは珈琲を飲み干してから、本題を切り出した。


「ここに君を招いたのはほかでもない。過日の君の近侍に対しての慰謝について、話し合おうと思ったのだ」


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