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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第七章

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第三百五十五話 サルシムの顛末(1)

 サルシムはどうして自分がこんな目に()っているのかわからなかった。

 気配もなく背後に立っていたかと思うと、気付いたときには腕をひねられ、動けない状態にされていた。

 すさまじい痛みに、サルシムの額に汗がにじむ。

 だが、サルシムの腕を強く掴む男は、まるで大したことでもないように、ニコリと美しい顔に笑みをたたえていた。


「これはサルシム卿。闇夜の晩に散歩とは、なかなか乙なことですね」

「お、お前ッ……」


 サルシムは男の名前を叫ぼうとして、混乱した。

 前に一度会ったことがある。……ような気がする。こんな美しい顔であれば必ず覚えているはずなのに、今再会しても記憶にその名が出てこない。


 一方でサルシムの前にいた西方の衣装に身を包んだ男は、胡散臭そうに騎士を見つめて尋ねていた。


「なんだよ、お前。なにしに来たんだ? 帝都に戻ったんじゃなかったか?」

「お前こそ、ここで何をしているんだ? とうの昔に公女はいないのだろう?」


 そこは元々ひどくわびしく、荒れた小さな館ではあったが、(あるじ)を失ってなお一層、荒廃が進んだようだ。家の脇に伸びる(ニレ)の木が、ざわざわと落ち着かない葉擦れの音をたてる。

 腕を掴まれたまま身を震わせるサルシムを無視して、騎士と、頭に布を巻いた男がのんびりと会話している。


「俺はたまたま通りかかったから、ついでに見回ってただけさ。この前も空き巣が入ろうとしてやがったからな。そうしたら、いきなりこのオッサンが怒鳴りつけてきて」

「それはそれは……サルシム卿も見回りでいらっしゃったのかな? それとも公女殿下に会いにいらしたのか……意外に仕事熱心でいらっしゃることだ」


 騎士はまた目を細めて、サルシムを見る。

 一見笑ってみえる美しい顔が、サルシムには恐ろしくてたまらなかった。冷たく(こご)えそうな青い目は獰猛(どうもう)に光っていて、明らかにサルシムを()()しようとしていた。

 目の前の紺色の瞳の男もまた、それを感じたのだろう。


「お前ェ~、目がイッてるぞ。また、ヤる気か?」


 眉をひそめて言う男に、騎士はにべなく言った。


「仕事だ」

「どんな仕事だよ……」


 うんざりしたように男が吐き捨てると、騎士はうすく笑みを浮かべる。


「そういう仕事だ。お前もつき合え。どうせオヅマ公子(こうし)に報告するんだろう? この男の末路も教えてやるほうが親切というものだぞ」

「いらねーよ。オヅマだって知りたがらないさ」


 そのまま踵を返そうとする男に、騎士が声をかけた。


「公女がどういう状況に置かれているのかは、オヅマ公子は知っておいたほうがいいと思うがな。守りたいと思っているなら」


 男はうんざりしたように振り返り、ポリポリと首の裏を掻きながら、深くため息をついた。チラ、とサルシムを見て、ケッと吐き捨てる。


「こんなオッサンをひん剥いたところで、なーんも出てきやしねーだろーに」

「出てくるものは、さして重要じゃない。()()()()ことが大事でね」

「サイテーな奴だよ、相変わらず」

「さっきも言ったろう。これは仕事だ。俺を責めるのはお門違いというものだ。必要とする人間がいて、必要とする場合があるということだ」


 男はムッスリと眉を寄せて腕を組み、しばらく黙りこくった。ギロリと騎士を睨みつける目は冷たく、軽蔑もあらわだった。


「本当に、悪辣(あくらつ)だよ。貴族ってやつは」

「そんなことを今更言うのか。可愛いな、お前」

「うるせぇ。とっとと持ってけよ、ソレ」


 騎士は頷いたようだ。ようだ……というのは、男が「もってけ」と言った次の瞬間には、サルシムは気を失ったからだった。


***


 それから哀れなサルシムは、自らの勤め先でもある役所地下の、犯罪者たちを一時的に勾留(こうりゅう)しておくための牢屋に運ばれた。


 役所の責任者でもあるバラーシュ行政長官は、サルシムを肩にかついで入って来たヤミに、何事かと急な来訪を非難したが、グレヴィリウス公爵家の紋章の入った『特別審問官』の徽章(きしょう)を見せられると、黙って地下へと案内した。


 空気の淀んだ、どこか()えたような酸っぱい匂いのする土牢の中で、サルシムが洗いざらい白状するのに時間はかからなかった。



 彼は元々アベニウス母娘(おやこ)の生活費を横領していたが、ペトラの死亡でいよいよそれがなくなるかもしれない、と考えた。まだ娘(サラ=クリスティア)がいるのですぐに打ち切られることはなくとも、大幅に減額されるのは間違いない。

 サルシムは焦った。

 博打(ばくち)でスッた金や酒代のツケばかりか、家の改築費用についても、母娘(おやこ)の給付金をアテにしていたからだ。今後のことはまた考えるとしても、せめて来月分の給付だけは、いつも通りの額をもらわねば困る。


 普段からこうした小細工に長けていた彼は、すぐに方法を思いついた。

 ペトラの死亡を公爵家に伝えず、来月分の彼女らの生活費を受け取ってしまえばよい。もちろん永遠に報告しないわけではなく、定期報告書を書き送って、給付金を受け取った後に、死亡したことにすればよいのだ。死亡証明書についても、行政官である彼には簡単に改竄(かいざん)できる。


 どうせ見捨てられた母娘(おやこ)である。

 誰も詳しく調べたりなんかしないだろう……と、サルシムはたかをくくっていた。

 実際、彼の上司でもあるバラーシュ長官は、ペトラの死亡を報告してもまるで興味もなさそうで、なんであれば面倒だから知らせなくてもいいというくらいの対応だった。


 唯一、心配であったのは、ペトラの死亡を知らせにきたオヅマ・クランツと、急に現れた騎士らしき男のことであったが、サルシムが公爵邸にいる知り合いに訊いたところ、彼らについてはさほど気にしなくてもいいという結論になった。

 あの小生意気なクランツ男爵の息子は、元々小作人の息子で、公爵邸の使用人にすら無視されており、騎士のほうも、新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンに参加できぬ残留組であれば、大して期待されてもおらぬ落ちこぼれであろうとのことだった。(もちろんこれはサルシムも、サルシムにその情報を教えた者も、ヤミのことを完璧に勘違いしていたのだが)


 こうして、いつも通りの定期報告書を送ったあとに、サルシムはアベニウス母娘(おやこ)の給付金を満額受け取った。目論見通りだった。それからようやく、ペトラの死亡をルンビックに知らせた。しかも既に葬儀を済ませたこと、故人の意向を尊重して、手配なども含めて物入りであったと嘘を並べ立てて、なんであればまだ尚、公爵家から金をふんだくる気でいたらしい。(この死亡報告書を、帝都からアールリンデンに帰省する途中で受け取ったルンビックが呆れかえったのは言うまでもない)


 それまで誰にも横領の事実がバレていなかったので、サルシムは少々(おご)っていたのだろう。賭け事のために、こっそり使っていた妻の持参金を素知らぬ顔で補填(ほてん)し、改築した家に老いた母を迎えた。


 事態が急変したのは、四日前に受け取った差出人不明の手紙によってだ。


 その手紙にはサルシムがこれまでに(おこな)ってきた横領のことや、ペトラ死亡について故意に隠匿(いんとく)したことが(しる)されていた。これらの不正の事実を公爵家に知られたくなければ、ペトラの娘であるサラ=クリスティアを所定の場所へ期日 ―― それはちょうどヤミと鉢合わせた昨日 ―― までに連れて来るように、と書かれてあった。

 明確な脅迫であった。

 しかも誰からかわからない上、具体的な帳簿改竄(かいざん)についても示されてあって、サルシムの精神は軽く恐慌をきたした。

 サルシムは要求をのむしかなかった。

 手紙には妻子と母のことも触れられており、断れば家族に危険が及ぶのは明らかだった。



「……それで、サラ=クリスティア公女を(さら)おうとして、(にれ)の館にやって来たというわけですか」


 ようやく問われて、サルシムは切れ切れに答えた。


「ちが……攫う……つもり、は……保護……しよう、と」


 必死にひりつく喉から絞り出す。

 牢屋に来てすぐに、彼は半裸で鎖に繋がれ、目隠しをされた状態で、尋問もされず、ただひたすら鞭や杖で打ち据えられた。

 痛みに叫び、泣き、助けを乞い、サルシムは問われる前に、すべての罪を告白した。

 そこでようやくされた質問だった。

 サルシムとしては誤解されて、より過重な罪となることを避けたかったのだろう。


 しかしその返事に、ヤミは頷くでもなく、ただニッコリと笑った。


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