第三百五十四話 その仕事
四日前の時点でペトラ死亡の一報を受けていたルーカスではあったが、正規のルートではなかったため、情報としては不確定要素を多分に含んでいた。裏を取るためにルンビックのもとに出向いて、アベニウス母娘の現状について確認したのだが、サルシムからの報告書に死亡の事実はない。ルーカスは真偽を確かめるべく、アールリンデンに騎士を派遣したが、その報告を受ける前にやってきたのがオヅマの手紙だったのだ。
間者からの情報が正しいのだという確信を得て、ルーカスはもう一度、サルシムからの報告書の日付を見た。
落穂の月三日。封筒に押された印章の書簡受取日はその翌日だ。
「……オヅマの手紙では、ペトラが亡くなったのは前月の新生の月末日。加えて監視官でもあるサルシムにも伝えたとある。これはサルシムは言い逃れできませんね。さて、家令殿はどうしてサルシムがこのような虚偽を働いたと思われますか?」
ルンビックは苛立ちを眉間ににじませながら、苦々しく言った。
「人の欲というは、心弱き者には抗えぬものよ。大方、サルシムはアベニウス母娘の生活費用を着服でもしておったのだろう。証拠もなく、断言はできぬが……」
「まぁ、そのようなところでしょうな。所詮は公爵家から見放された女と、見下していたのでしょう。実際、私もすっかり忘れておりましたしね。銀行には連絡されましたか?」
給付金は定例報告書をルンビックが受け取って確認した後、銀行からアールリンデン行政府に支払われる。それをサルシムが出納課から受け取り、アベニウス母娘に渡すことになっていた。
「報告書が届いてすぐに、銀行には給付の裁可を通達しておる。おそらく給付金は既にサルシムの手に渡っておるだろう」
「管財人も奴であったのですか?」
「当初は別の人間がやっていたようだが、前の管財人が高齢で辞めたあとは、サルシムが一手に引き受けておったようだ。今回の件で調べたら、帳簿がすべてサルシムの手によるものであった」
自らの不注意にルンビックが後悔をにじませると、ルーカスは軽い調子で慰めた。
「仕方ないことです。この大グレヴィリウス家を取り仕切る家令殿が、顔も知らぬ一行政官の素行をいちいち調べ回っていては、寿命が百年あっても足りませんよ」
「サルシムについてもそうだが、第二夫人についても、今少し配慮すべきであった」
ルンビックはペトラに憐憫の情をみせたが、ルーカスは同意しなかった。
本来であれば、アドリアンの命を狙ったことで、斬首されても仕方ない女だ。情けをかけるべき相手ではない。
だが、その娘については確かに、もう少し考えてやるべきであったかもしれない。
認知されていないとはいえ、曲がりなりにも公爵閣下の血を引く娘だ。
ハヴェルの屋敷に忍ばせた間諜からの情報によると、あちらがペトラ死亡の情報を得て、真っ先に指示したのは、サラ=クリスティアの確保だった。『公爵の娘』という駒を手に入れて、その母同様に利用しようとしていたのだろう。
そこまで考えて、ルーカスは思わずフフッと肩を震わせて笑った。
そんな小狡い大人たちの目の前から、お姫様を掻っ攫っていった騎士となったわけだ……あの小生意気な坊主が。まったく、してやってくれる。
「なにを笑っておるのだ?」
気難しい顔で問いかけてくるルンビックに、ルーカスは肩をすくめた。
「いえ。オヅマがなかなかうまく動いてくれたと思いましてね。もっとも、当人は何もわかっていないでしょうが」
「ふむ、そうだな。サルシムもまさかオヅマが直接私に知らせるとは思ってなかったのだろうて。オヅマは案外とあれで律儀者だ。私を心配させまいとしたのであろう」
「サルシムにすれば、所詮は子供と侮っておったのでしょうな。まったく浅はかな男だ」
ルーカスは笑みを浮かべつつ、吐き捨てるように言ってから、「そういえば」と話を変えた。
「オヅマの手紙はずいぶんと早く届きましたね。速信でもないのに」
「それなら、この手紙を届けてくれたのはトゥリトゥデス卿だ。黒角馬にて帰参したようでな。ついでにとオヅマから手紙を言付かったらしい」
「ほぉ」
ルーカスはますます愉しげに笑った。「それは重畳」
***
自分の執務室に戻ってきたルーカスは、すぐさまヤミ・トゥリトゥデス卿を呼んだ。
相変わらず艶麗なる顔に、十日近く馬に乗って移動した疲れはあまり見られない。こういう顔に似合わぬ頑健さも、ルーカスは評価していた。当人には絶対言ってやらないが。
「アールリンデンからの帰参、ご苦労だったな。ヤミ卿」
「は。仕事も終わりましたゆえ」
「といっても、数日もすれば我らも帝都を出発する予定だがな。ヤミ卿には気忙しくさせて、申し訳ないことだ」
「とんでもございません。この程度のこと」
「そうか? そう言ってもらえると助かるな。実は、ヤミ卿には先にアールリンデンに戻ってもらいたいんだ」
ルーカスがぬけぬけと言うと、ヤミはさすがに眉を寄せた。
「…………はい?」
「ま、聞け。卿はオヅマの手紙を持って来てくれたな。大変助かった。それで新たに仕事があってな」
「……サルシムの逮捕ですか?」
ヤミがすぐに指摘すると、ルーカスは目を細めた。
「なんだ。卿も事情は察していたのか?」
「そうですね。サルシム当人にも直接会いました。小役人風情のわりに、金回りはいいようですよ。これは別の仕事ついでに、たまたま聞いた話ですがね」
「成程な。ではすまないが、そのサルシムの捕縛と、アベニウス母娘への生活費を横領したことについて、調査してもらえるか? あぁ、サルシムの家の捜査については、他の騎士たちにさせる。君に特にお願いしたいのは、サルシム本人への調査だ」
「…………」
ヤミはルーカスの意味を持たせた言い方にすぐ気が付いた。ピクリと眉が動き、無表情にルーカスをじっと見つめる。
「サルシム本人への調査、というと?」
あえて問うたのは、確実な言質を得るためだ。
ルーカスはすぐに意を汲んだが、それでも言葉は厳選された。
「こうしたことは、今後の見せしめとすべきだろう。公爵家の金を横領するなど、許されぬことだ。ましてそれが個人の思惑に留まることでないのならば……彼を利用した人間には、しっかりと理解らせてやらないとな」
ヤミはルーカスの言葉に目を細めて頷き、さらに問うた。
「それで……哀れなサルシムを利用した黒幕は誰とお考えで?」
「……そうだな。太った貂にするか、それとも紅毛の鼬にするか。いずれ帝都から戻ったときには、愉しい戯場にご招待するとしようか」
ルーカスの話を最後まで聞き終えると、ヤミはにっこり微笑んだ。
「以前言ったことを覚えておられたようで、ありがたいことです。早速、向かうことにいたしましょう」
そう言って踵を返したヤミの顔が、喜悦に歪む。
ルーカスは大股に歩き去って行くヤミの後ろ姿を冷たく見送った。
ふ……と、自らの心の軋みを感じて、ルーカスの頬に皮肉な笑みが浮かぶ。これからヤミが行うであろう行為を想像して、今更心が痛むようならば、そもそも許可を与えるべきではないのだ。
「悪党だな……」
自嘲気味につぶやく。
そうだ。正義などではない。利用できるものは、できうるかぎり効果的に利用するまでのこと。今までもそうしてきたし、これからもする。その先でいずれ、自分もみじめな最期を迎えるのだろう……。




