第三百四十九話 令嬢達のごあいさつ
ハンネのおしゃべりがそろそろ尽きようかという五日目にレーゲンブルトに到着すると、領主館の玄関前ではミーナやマリー、オリヴェルのほかに懐かしい面々が待ち構えていた。(むろんオヅマの帰還を歓迎していないであろうネストリも)
「お兄ちゃーんっ!」
数ヶ月ぶりに会った妹は、すっかり『お嬢様』になっていた。だが見た目が変わっても、中身は同じ。スカートをたくし上げて、オヅマのもとへと走ってくる姿は、庭で走り回っていた頃と変わらなかった。
「お帰り、お兄ちゃん!」
自分の胸に飛び込んできた妹を抱きとめると、懐かしい甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「お……これはロンタのジャムパイ!」
「残念! ライムケーキです!」
「おぉー! 久しぶりだな。母さんのライムケーキ」
「あら。作ったのは私よ」
「お前が? ……それ、食べられるんだろうな?」
「失礼ね! ちゃんと何度も練習して、お母さんのお墨付きだってもらったんだから!」
「練習……」
オヅマはマリーの背後に立っているオリヴェルの苦笑いでおおよそ想像がついた。たぶん『練習』につき合わされたオリヴェルは、今日のライムケーキを食べることはないだろう。
「お帰り、オヅマ。なんか、また大きくなったね」
オリヴェルがオヅマを見上げて言うと、オヅマはポンポンとオリヴェルの肩を叩いた。
「お前ね、どっかの親戚のおじさんみたいなこと言うんじゃないよ。っていうか、お前もけっこう肉がついたじゃないか。背も伸びたし。もう母さんと同じくらいじゃないか?」
オヅマが尋ねると、それまで微笑んで様子を見守っていたミーナが大きく頷いた。
「そうなの。もう少しで越されそうよ」
マリーは近寄ってきた母のために兄から離れた。
ミーナはふわりとオヅマを抱きしめて「おかえりなさい」と、嬉しそうに言う。
オヅマは少し気恥ずかしくもあったが、軽く母を抱きしめ返した。昔は抱きついて見上げていた母の薄紫の目を、今は見下ろすようになっている。
二人してそれぞれに似た感想を抱いたのだろう。目を見合わせて笑い合っていると、背後からハンネが声をかけてきた。
「さて。感動の再会はそれくらいにしてもらってもよろしいかしらね? とりあえず揺れない椅子に座りたくって」
オヅマはあわてて母から離れると、振り返った。
「あ、そうだった。とりあえず紹介しないと」
ミーナは馬車から降りて立っていた三人の前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「ようこそお越し下さいました。レーゲンブルト領主、ヴァルナル・クランツの妻のミーナと申します。遠路お疲れでしょうから、早速どうぞ中へ……」
そつなく挨拶して中へと促す母に、オヅマは少しだけ落ち着かなかった。
ヴァルナル・クランツの妻……その言葉がすんなりと出てきたことに、ちょっとだけ動揺してしまう。事実なのだが、まだ慣れない。
複雑な顔で立ち尽くしていると、マリーがオヅマの脇腹を突っついてきた。
「なーにボーッとしてるのよ、お兄ちゃん。さっ、私にも紹介してちょうだい。お兄ちゃんのガールフレンドはどの人? まさか全員じゃないわよね?」
「ばっ、馬鹿か、お前! そんなわけないだろ!」
「そうよね。じゃ、どの子?」
「全員、違うよ!」
「あらー、私が立候補してもいいわよ」
ハンネがまたからかってくると、オヅマは即座に拒否した。
「謹んでお断りします」
「まー、失礼!」
ハンネは怒ったように言って、ミーナの横に並ぶと親しげに話しかけた。
「お噂はたくさん聞いておりましたけど、本当に美しい方でしたのね。お会いできて嬉しいですわ。さ、子供たちは子供同士でじゃれ合わせておいて、私たちは大人の会話を楽しみましょう!」
「え? は、はい……」
ミーナはハンネの勢いにややたじろぎながらも、曖昧に笑って一緒に歩き出す。
オヅマは内心で母にエールを送った。これからしばらくは、あのおしゃべりにつき合わされるだろう。
オヅマがぼんやりと母らの背中を見送っている間に、こちらの小さな令嬢達も挨拶を交わしていた。
「はじめまして。私はマリー・クランツです。えーと、九歳です。あなた達は?」
明るく屈託ないマリーの質問に、カーリンとティアは目を見合わせて互いに譲り合う。ややあって、ティアが先に名乗った。
「はじめまして。私はサラ=クリスティア・アベニウスと言います。えっ…と、今年で十歳になります。オヅマさ……いえ、オヅマ公子様には、とてもお世話になってます。今回も急に来ることになって……迷惑をかけて、すみません」
やっぱりティアはここでも「すみません」から始まるようだ。
オヅマは嘆息した。
「あのなー、ティア。もう『すみません』は禁止だ、禁止。あと、俺はオヅマ公子とかいいから。今まで通り、オヅマでいい」
「あ……す、すみ……」
「『すみません』禁止!」
すかさずマリーに止められて、ティアは困ったようにうつむいた。
マリーはニコリと笑うと、ティアの手を取った。
「大丈夫。『すみません』が口癖の人はね、代わりに『ありがとう』と言うようにするといいのよ。ここに来てくれてありがとう、ティア」
キラキラとしたマリーの緑の瞳に圧倒されて、ティアは口ごもったが、オヅマに通じる無邪気さにようやく頬が緩んだ。
「はい。……よろしくお願いします」
ひとまず挨拶を終えて、ティアはチラと促すようにカーリンをみやる。
カーリンはゴクリと唾を飲み込んでから、一歩進み出た。
「はじめまして。カーリン・オルグレンと言います。今年、十二歳になりました。あのオヅマ公子……いえ、あのオヅマさんとは、その……」
言いかけてカーリンは気まずそうに口を噤んだ。
まさか女だというのに、小公爵様の近侍になってました……なんてことを、大っぴらに言えようはずもない。
だが、残念というべきか、有難いというべきか、ここにはオヅマがいたのだった。
「あ、コイツな。俺と同じアドルの近侍だったんだ」
「え?」
マリーもオリヴェルもきょとんとなる。
カーリンはすぐに訂正しようとしたが、オヅマは構わず話し続けた。
「来たときにはキャレって名乗ってたんだけど、女だってバレて……本名はカーリンっていうんだってさ。俺もまだ慣れてないから、いまだにキャレって言いそうになるけど」
「キャレって……確かアドルの近侍の人だったよね?」
オリヴェルはアドリアンから届く手紙をマリーと一緒に読んでいて、その中に何度か出てきた名前だと思い当たったようだ。
「あぁ! ルビー色の髪がすごくきれいな人でしょ。アドルがとっても褒めてたわ」
マリーがパンと手を叩いて思い出す。それからカーリンを見た。
「じゃあ、今は帽子で隠れてるけど、カーリンさんはきれいな紅毛なのね? うわぁ、あとで髪を梳かせてちょうだい!」
マリーが言うのを、カーリンは呆然と聞いていた。
アドリアンが自分の髪を褒めていたのだということを人づてに知って、まだ嬉しく思ってしまう自分がいる。
泣きそうになって胸を押さえたカーリンを、オヅマが不思議そうに見た。
「どうした? しんどいのか? 先に部屋で寝ておくか?」
「いえ、大丈夫です」
カーリンは軽く目の端に浮かんだ涙を指で払って、無理矢理に笑顔を浮かべた。
「あの……よろしくお願いします」
「うん! よろしくね、カーリン!」
こうしてひとまず、令嬢たちの初対面は終了した。




