第三百四十七話 カーリンとオヅマ(2)
「……すみません」
カーリンは座ったまま、また頭を下げ、もう一度言った。「本当に、すみません」
オヅマはじーっとカーリンを見てから、ブハッと吹き出した。大声で笑い始めると、自分でもなかなか止められない。
「マジかよ! やってくれてんな! あーっ、そうか。そうだよなー。お前、ほんっとに力ないし、走るのも遅いし、いーっつもなんかビクビクしてたもんなーっ」
あっけらかんとしたオヅマの態度に、戸惑ったのはカーリンだった。
「あ、あの……オヅマ公子、怒ってないのですか?」
「怒る? んー……こりゃ、怒るっていう問題じゃねぇな。どっちかっつーと、一杯食わされたというか、まんまと騙されたというか……ま、どっちみちお前、バレちゃったんだろ? あ、そうだ。アドルは? アイツ、どんな顔してた?」
アドリアンのことを聞かれて、カーリンは途端にうつむいた。
ひどく暗い表情を見て、オヅマは首をかしげる。
ややあって、カーリンがポツリとつぶやいた。
「小公爵様は……怒っておられました」
「あー……」
オヅマは前髪をかき上げて、ポリポリ掻いた。
なんとなく想像がついた。
アドリアンは優しいのだが、あれでやっぱり大貴族のお坊ちゃんなので、めっぽうプライドが高い。特に自分を馬鹿にされることには、ひどく矜持が傷つくようだ。
オヅマは泣きそうになりながら、スカートをギュッと掴んでいるカーリンを見て、軽く肩をすくめた。
「ま、仕方ないよな。お前が悪いし。色々事情はあるんだろうけど。正直に打ち明ければ、アドルはちゃんと考えてくれたさ。だいたいお前には甘かったろ? お前が実家であんまりいい待遇じゃないからって、気にかけてたみたいだし」
「……はい」
「先にお前がアドルを信じなかったんだから、今、アドルがお前のことを信じられなくなっても仕方ない。しばらくはあきらめとけ」
あっさりとオヅマが言うと、ハンネが優しくカーリンの背をなでた。
「そうよ。カーリン。一生、許してくれないと決まったわけではないわ。いずれ小公爵様も、あなたの気持ちをわかってくれるわよ」
カーリンはスンと洟をすすってから、プルプルと首を振った。
「私なんて……許されなくて当然です」
「あーっ! そういうの、やめろって。見てるこっちが陰気になる」
オヅマが面倒そうに言うと、マッケネンがコツリと頭を叩いた。
「言い過ぎだぞ、お嬢様なんだからな、カーリン嬢は。もう『近侍のキャレ』じゃない」
「へぇへぇ。で、このままレーゲンブルトに行くってこと?」
オヅマはメソメソするカーリンが鬱陶しくて、マッケネンへと向き直る。マッケネンは神妙な顔になって頷いた。
「あぁ。ともかくはオルグレン家から離す必要があるということだ。その間にベントソン卿が手立てを考えてくれるだろう」
「ふぅん。いいねぇ。俺もしばらくぶりに帰りたいや」
「うん? お前も行くんだぞ」
「は?」
「言わなかったか? 今回、カーリン嬢をレーゲンブルトに連れて行くにあたって、お前も一緒に行って、ミーナ殿をはじめとするご領主様一家に紹介してもらうことになってる」
「いやいやいや。さっきの説明、そこ抜かしてますけど!」
「あ、悪い。なんかもうお前の顔見たら、行くもんだと思って」
とぼけた顔のマッケネンを睨みつけてから、オヅマは思案した。
ティアのことはジェイに頼んでいるとはいえ、さすがにアールリンデンからオヅマがいなくなると、心細い思いをすることになるだろう。
あの日和見主義の役人は、どうも信用できない。
ペトラの葬式からこのかた、一度もティアの住む館に姿を見せたことがないし、役所を訪ねても忙しげに対応して、まともに話も聞かない。一度、オヅマがちゃんとルンビックに報告したのか確認すると、ひどく怒って、それからはオヅマが訪ねても、姿を見せないようになった。
あからさまに避けている。どうも怪しい。
サルシムだけのことではない。
元々、ティアの母親はハヴェルの実母に利用されていたのだから、その死を知った『女狐』とやらが、今度はティアを利用しようと企むかもしれない。
エラルドジェイは強盗や人攫いからはティアを守ってくれるだろうが、貴族相手の交渉事は不向きだ。それにもうすぐ仕事で遠方に行くと言っていたし……。
「なんだ? 難しい顔して」
マッケネンが問うてきて、オヅマはジロリと見上げた。
「レーゲンブルトに行くときに、友達を一人連れて行く」
「友達?」
「あぁ。別にいいだろ。自分の家に友達を連れて行くぐらい」
「それはまぁ……いいと思うが。なんだ? さっきの子か?」
「レオシュは違う。女の子だ」
「はあぁぁ?」
マッケネンは思わず大声で聞き返し、ハンネは「まぁ!」と面白そうに手を打つ。カーリンは呆気にとられたようにオヅマを見た。
「なに、なに? オヅマのガールフレンド?」
ウキウキしたように尋ねてくるハンネに、オヅマは軽く眉を寄せた。
「そーいうことじゃないから。最近、母親が死んで一人ぼっちなんだよ。どうせだったら、一緒に行けばいいだろ。マリーと年も近いし」
「あらー! いいじゃないのー。ねぇ、カーリン。マリー嬢と、その子と、三人で遊べるわよ」
ハンネに言われても、カーリンは戸惑うだけだった。
こうして女に戻って、レーゲンブルトという未知の土地に行くことも不安だらけなのに、その先で遊ぶなんて悠長なことはとても考えられない。
さて、そこから馬車の点検・修理とあれやこれやの準備に二日を経て、レーゲンブルトへ向かうカーリンらの前に、オヅマが件の女の子を連れて現れた。




