第三百四十五話 葬儀のあとで(3)
それから半刻ほどして、エラルドジェイがやって来た。
とてつもない仏頂面で。
「……お前、あの野郎に俺を売ったな?」
入ってくるなり、エラルドジェイがぼそりと言う。
オヅマは訳がわからなかった。
「は? なにが?」
「アイツとは関わるなって言ったろ? なんで、あの野郎に頼み事とかするんだよ」
「頼み事って……あんたを探して連れてきてくれって言っただけで」
「俺は、アイツに会うのも嫌なの! なに会うきっかけ作ってくれてんだッ」
オヅマは眉を寄せてエラルドジェイをまじまじと見てから、肩をすくめた。怒ってはいるが、本気じゃない。多少、気分を害したようではあるが。
「ごめんごめん。緊急事態でさ。ちょっと頼みたいことがあって」
「……っとに、あの野郎に使いをやらせるなんて、お前どこまで豪胆なんだ。あとで、どんな要求してくるか知らんぜ」
「うん。そん時ゃよろしく」
「恐ろしいこと言うなーッ!」
エラルドジェイは叫んだが、オヅマは無視して話を続けた。
「ジェイ、あのさ、急で悪いんだけど、しばらくこの家でティアの護衛をしてもらいたいんだ」
「は?」
「今日、ティアのお母さんが亡くなったんだ。だからティアを一人っきりにするわけにもいかないだろ?」
「え!?」
エラルドジェイはさすがに驚き、ティアを見つめる。
突然のエラルドジェイの来訪と、そこから続く意味不明な会話に呆気にとられていたティアは、あわてて頭を下げた。
「ごめんなさい、ジェイさん。あの……無理しなくていいです。私は一人でも……ちゃんと戸締まりはしっかりするようにしますから」
「いやいやいや。戸締まりったって、この家じゃ……」
言いかけてエラルドジェイは口を噤むと、ニコッと愛嬌のある笑みを浮かべた。ティアの目線に合わせるようにしゃがみこんで尋ねる。
「俺はティアの護衛なら、喜んでやるよ。ティアはどうだい? こんなおっさんと一緒に家にいるのは御免被りたいか?」
ティアはぷるぷると頭を振った。
「そんなこと思いません。でも……いいんですか?」
「ぜーんぜんッ! 暇、ヒマ~。どうせ飲んで騒いでるだけで」
「でも…でも、エッダさんが、ジェイさんは夜になったら忙しい、って言ってましたよ」
ティアが申し訳なさそうに言うと、エラルドジェイはきまり悪そうに頭を掻く。
オヅマは白い目になって、軽くため息をついた。
「……誰に何を言わせてんだか」
「いや、違う違う。誤解だって! 一応、仕事もあるんだって」
「も、ね。一応、ね」
あきれたように言って、またため息をつく。どうせまた、あちこち娼家なり女の家なりを、渡り歩いているのだ。
エラルドジェイは真っ向否定することもできず、逆に怒りだした。
「こンのクソガキ! 人にもの頼むなら、ちょっとはヘコヘコしろ」
「それとこれは別。じゃ、俺はまた明日来るから……ティア、今日はちゃんと食って寝ろよ。食い物はあるよな?」
「あ、はい。それは大丈夫です」
「よし」
オヅマは頷くと、エラルドジェイに目配せして、ポーチまで誘った。
「なんだ? まだなんかあるのか?」
玄関扉にもたれながら、エラルドジェイが尋ねてくる。広がった袖がゆらゆらと動いているのは、おそらく中でまたゴリゴリと胡桃を回しているからだろう。
「もう知ってるかもしれないけど、ティアさ、実は公爵の娘なんだ」
「は?」
「知らなかったか? ラオのオッサンは知ってたみたいだけど……」
エラルドジェイは首をひねった。
「言ってたかもしれんけど……俺、ラオの言うことはけっこう筒抜けで聞いてるからな」
「……まぁ、そんなわけだから。とりあえず一ヶ月ほど、帝都からの連絡が来るまで、夜だけでもいてやってほしいんだ。朝にはティアはエッダさんのところに行くだろうし」
生活費のほとんどが、母親の酒や煙草などの嗜好品、高価な食品、ドレスなどに使われていたために、ティアはエッダのところで手伝いをして、わずかながら給金をもらい、細々とした生活必需品を買っていたらしい。
ただ、そうするようにと勧めてくれたのは、実はエッダだった。たまたまティアが庭で母親から折檻を受けているのを見たエッダが、せめて日中くらいは自分のところで過ごせるようにと、申し出てくれたのだという。
ティアの家庭の複雑な事情を、街に住む人々はなんとはなしに知っていて、ティアたち親子とあまり積極的に関わろうとはしなかった。だが、エッダは自らも同じような境遇 ―― 親からの虐待 ―― にあったらしく、見て見ぬふりはできなかったのだろう。
エラルドジェイもこうして引き受けてくれるあたり、ラオからしたら、二人揃ってお人好しと言われるかもしれない。
「じゃ、頼んだ」
オヅマはエラルドジェイに手を振ると、とっぷりと日の暮れた道を歩き出した。
思いのほか、長い一日になってしまった。サルシムについては、少し態度の気になるところはあるが、ひとまず今日のところは感謝するとしよう。オヅマだけでは、葬式の手配など、どうすればいいのかもわからなかったのだから。
カイルを引き取りに来たオヅマから、今日あった一連のことについて聞かされたラオは、一言だけ商人らしく忠告した。
「オヅマ、ジェイはいい奴だがな、ケジメのわかってない奴には容赦ない。あいつはお前に色々と借りがあるかもしれんが、今回のことはちゃんと報酬を支払ってやれ。お前が出す必要はない。公爵家から出させりゃいい」
オヅマはラオの言葉に首肯した。
確かに、今回の件でもっとも責任をとるべきは公爵なのだ。公爵当人に言うわけにはいかないが、ルンビックであれば、事情を汲んでそれなりの額を出してくれるだろう。
「さすがだな、オッサン。たまにいいこと言うぜ」
「『たまに』は余計だ」
憮然として答えるラオに手を振って、オヅマは公爵家へとカイルを急がせた。
空には星が光り、すっかり夜だった。
満天の空の下、宵の闇を抜けてカイルが駆ける。
公爵邸までの道のりを走らせながら、オヅマはふとレーゲンブルトの、朝駆けで毎日通った道を思い出した。
途端に懐かしさがこみあげてきて、このままカイルと一緒に帰ってしまおうか……なんて考えてみる。無論そんなことをする気は毛頭なかったが、不意に訪れた郷愁は、オヅマを少し感傷的にさせた。
前にテリィが母親に会いたいと言って、泣いているのを見て笑っていたが、今は少しだけその気持ちがわかる。
レーゲンブルトに来てから今まで、こんな気分になったことはない。だが、今日は……今日だけは、心底母親に会いたかった。…………




