第三百四十四話 葬儀のあとで(2)
「……小役人が」
微笑を浮かべたまま、吐き捨てるようにつぶやいたヤミの声は冷酷な響きを帯びていた。
怪訝に見上げたオヅマに、ヤミがそっと唇に人差し指をあてる。オヅマはちらりとティアを見た。気付いていないようだ。おそらくオヅマにだけ聞こえるように言ったのだろう。
あからさまな警戒の目でヤミを見つめてから、オヅマはプイと顔をそむけると、ティアに手を差し出した。
「ティア、帰ろう」
ティアは少し戸惑いつつも、オヅマの手を握る。
まるで兄と妹のように、手を引いて歩く二人の後ろを、三歩ほど間隔を空けてヤミが従った。
「で?」
帰ってくるなり、急に気が抜けたのか、ソファで眠り込んでしまったティアに毛布をかけて、オヅマはヤミに問いかけた。招待してもいないが、図々しく上がり込んでいる。ヤミは一人掛けソファに長い足を組んで座り、オヅマの問いに首をかしげた。
「なにか?」
「なにか、じゃねぇよ。どういう魂胆だ?」
「魂胆とはまた…不穏な言い方をしますね、オヅマ公子」
「アンタの正体については、おおよそ見当はついてる。今更だろ。俺を張ってたのか? それともティアか?」
「やれやれ」
ヤミはため息をついてから、また冷たい声音になる。
「辺境の田舎者領主のにわか息子と、こんなボロ家に幽閉された力もない公女を、どうしてわざわざ見張る必要が?」
「テメェ……」
先程、ティアに対して行った騎士の礼が、心からのものではないとわかっていたとはいえ、こうして堂々と言われるとやはり腹が立つ。
だが、ヤミは怒るオヅマにも平然としたものだった。
「たまたまですよ、今回については。少々、役所に用があって訪ねたら、公子が派手に小芝居をしておられたので、気になりましてね。まぁ、そこからは確かに張っておりました。ですが、結果的には良かったのではないですか?」
「なにがだ?」
「先程の件です。お嬢様の護衛のことですよ。確かにこんなボロ家で、愛らしい少女が一人で暮らしているとなれば、早々に人買い共が攫いに来るでしょうからね。おそらくそうなっても、公爵閣下は放っておかれるでしょう。ルンビック卿あたりは、一応捜索させるでしょうが」
オヅマはギリと歯噛みした。
また、ここでも公爵の無関心がオヅマを苛立たせる。
おそらくヤミの言うことは正解なのだろう。前に言っていた公爵直属の諜報組織に属するヤミであれば、より公爵の真の姿を知っているのだろうから。
オヅマは一度、強く拳を握りしめてから、パと開いて力を抜いた。ここでヤミに怒っても仕方ない。
「それで、ここまで来て何する気だ? アンタがティアの護衛として、ここに泊まってくれるのか?」
「さすがにそれは無理ですね。私もこれで忙しい身でして」
「なんだ、それ。じゃあ、なんで声かけたんだよ?」
「おや? どちらかというと、声をかけたのはオヅマ公子であったと思いますが?」
いけしゃあしゃあと言うヤミを、オヅマは睨みつけた。その言葉で尚のこと、あのときヤミがわざとオヅマに気付かせるよう、気配を見せたのだとわかる。
「私よりも適任がおりましょう、オヅマ公子の周囲に。サラ=クリスティア嬢も、今日会ったばかりの私よりも、多少なりと言葉を交わしたことのある顔見知りのほうが、緊張せずに済む……」
オヅマはヤミの返答にすぐに思い至った。
「ジェイか……」
「彼はオヅマ公子にとても心を許しているようですし、頼めばやってくれるのでは?」
「…………」
オヅマはヤミを見つめた。言ってることが、いちいち尤もなのが、ひどく胡散臭い。
オヅマは外泊を禁じられている。
べつに決まりを破って嫌味を言われるくらいであれば構わないのだが、下手をするとアドリアンの近侍を外されてしまうという可能性がある。それは避けたかった。アドリアンの為にも、今となってはティアの為にも。
「じゃあ、アンタがジェイを呼んできてくれよ。どうせジェイの行きそうな場所の心当たりあるんだろ? 知り合いみたいだし」
何気なく言ったオヅマに、ヤミはニコリと笑う。妙に嬉しそうな様子だ。オヅマはなんとなくジェイに申し訳なくなった。どうもヤミにうまく乗せられた気がする。
「アンタ……なに考えてるか知らないけど、ジェイに無理を言うなよ」
「ずいぶんあの男と仲が良いようですね、オヅマ公子。彼がどういう類の人間かも、わかった上でのようだ」
オヅマは答えなかった。ヤミに聞きたいことは色々とあったが、無表情で蓋をする。今はティアの安全が最優先だ。
ヤミは頑ななオヅマの態度に、少しだけ苛立ちをみせた。
「あの男は、なにか私のことを言っていましたか?」
やけに真剣な声音で尋ねられ、オヅマはきょとんとなった。
「は?」
「あれから、何か言ってませんか?」
「…………」
オヅマはまたヤミをまじまじと見つめる。
どうもエラルドジェイが関わると、この男はいつもの余裕がなくなるようだ。
オヅマはしばし思案した。
前にエラルドジェイが言っていたこと……?
―――― アイツは、性格が良くない! というか変態だ。だから相手すんな!
思い出した言葉がそのままポツリと出る。
「…………変態」
「はい?」
「性格が良くない変態だ、っ言ってたな」
「………………ほぉ」
言われた瞬間、硬直したヤミの顔は、ゆっくりと薄ら笑いを取り戻したものの、つり上げた口の端はやや引き攣っていた。
いきなりガタンと立ち上がる。その音でティアが目を覚ました。しかし先程の丁重な挨拶はどこへやら、ヤミはカツカツと苛立った足音を立てて出て行った。
「……ヤミ…卿は、怒っておられたのですか?」
ティアが心配そうに尋ねてきたが、オヅマは首を振った。
「わかんね。ま、ティアは気にしなくていいさ」




