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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第二章

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第三十三話 騎士団見学

 眉を寄せてあわてて走ってくるミーナに、オリヴェルは朗らかに言った。


「見てよ、ミーナ。オヅマが僕のためにわざわざ修理してくれたんだ。車椅子。これだったら、館の隅から隅まで行っても、そう簡単に疲れないよ」


 ミーナは奇妙な車椅子の存在に気付くと、眉を寄せて全体を見た後に、不思議そうに傘を見上げた。


「………これは、何?」


 訝しげに尋ねてくるミーナに、オヅマではなく、オリヴェルが座りながら答えた。


「車椅子だよ。オヅマ特製の。ね?」


 オヅマはオリヴェルが座ってくれたことで、途端にホッとなって、胸を張った。


「おう! どう? 母さん。これだったら、オリヴェルも修練場まで行って帰って来れるだろ? もちろん、気分が良けりゃ途中まで歩いてもいいし、疲れたら座って戻ってこればいいんだ。母さんが押してもいいし、マリーだって押して行けるよ」

「ありがとう、オヅマ。これでもう恥ずかしくないよ」


 オリヴェルは心底から言った。

 いつも人に抱っこされて運ばれる恥ずかしさを、オヅマはやはりわかってくれていたのだ。


「ま…あ…そう…」


 ミーナは嬉しそうなオリヴェルの様子に、何も言えなかった。

 数日前に『待っていて』とオヅマが言ったのは、この事だったのだろうか…。


 近頃、とみに生意気になってきた息子の扱いに困っていたものの、やはり心根は相変わらず優しい。

 ミーナは少し申し訳なくなった。


「じゃ、早速行こう!」


 オヅマはゆっくりと車椅子を押した。マリーが歓声を上げる。


「すごい! 座ってるのに動いてる!」

「そういうもんだからな」

「いいなぁ…私も乗ってみたい!」

「じゃあ、僕が押すよ。マリーが乗ってごらん」


 オリヴェルは立ち上がると、マリーを乗せて車椅子を押していく。


「なにか掴まるものがあるだけでも、歩くのが楽だよ」


 オリヴェルは心配そうに()いてくるミーナを安心させるように言った。


 オヅマは途中から走り出して、修練場にいるマッケネンにオリヴェルが見学に来ることを伝えた。

 騎士達は初めて領主様の若君がやって来ると知って、俄然、やる気がみなぎる。


 マッケネンは素早くその日の修練内容を修正した。

 オリヴェルが馬を見たがっていることを聞いて、本当は予定になかった馬術を急遽入れる。

 オヅマと新米騎士の二人があわてて、馬房から馬を連れてきた。


 しばらくして車椅子に乗って現れたオリヴェルを見るなり、騎士達は歓声を上げた。

 野太い男達の雄叫びに、オリヴェルはやはり自分が来たのが迷惑だったかと勘違いしたが、マッケネンが丁重な挨拶の後に、教えてくれた。


「若君にいらしていただけると聞いて、皆、とても喜んでおります。ありがとうございます」


 まさか礼を言われると思わず、オリヴェルは驚いた。

 考えてみれば、初めてではなかろうか…大人から『ありがとう』と言われるのは。


 ミーナがそっとマッケネンに耳打ちして、そう長居できないことを伝えると、マッケネンは頷いて早速、馬術から始めた。


 オヅマは少しばかり不満だった。

 修練場での馬術訓練は、非常に繊細な調教訓練でオヅマは苦手なのだ。今回は特にマッケネンの指示で、寄りすぐりの二人だけがオリヴェルに披露したので、オヅマの出る幕はまったくなかった。


 その後はいかにも見学者にわかりやすいよう剣技の型の集団演舞。こちらもオヅマの不得手なものだった。

 それでもオリヴェルはすっかり興奮して、ミーナはその様子に少し心配になって、それで切り上げてしまった。


「また、見にくるね。今度は、普段通りでいいから…」


 帰り際にオリヴェルはマッケネンに言った。

 マッケネンは領主の息子が、訓練内容を変えていることに気付いていたことに驚いた。同時に、子供とは思えぬ思慮深さに感心した。さすがはあのご領主様のご子息だ…。


「ハッ! お待ちしております!!」


 肘をつき出して騎士礼をすると、後方で同じように騎士達が一斉に敬礼する。

 その列の端にはオヅマもいた。いっぱしの騎士然として、胸に拳をあてて肘を突き出したオヅマの姿を見て、オリヴェルはクスッと笑った。


 それを見てオヅマは少しだけバツ悪くなった。

 おそらくオリヴェルは、オヅマの()()に気付いていたのだろう。


 それはオリヴェルだけではなかった。


「残念だったな、いいところ見せられなくて」


 オリヴェルが車椅子に乗って去った後、早速マッケネンとゴアンが、ニヤニヤとからかってくる。

 オヅマはムッと睨みつけた。


「おッ! 怒ってるよ…怖いねぇ」

「ま、持ち越しだな。また来ていただけるなら、今度は剣撃訓練から開始してやるよ」


 こうしてオヅマにはやや不満の残る結果とはなったものの、オリヴェルにはやはり相当に新鮮で、楽しい時間だったようだ。

 それまで話もしたことのなかった騎士と話せたことも、馬を間近で見たことも。


 その日は興奮気味で夕食後には早々に寝てしまったが、特に体調を崩したというわけではなく、心地よい疲労感の中で眠りについた。

 それもまたオリヴェルには初めての経験だった。


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