第三百三話 ホボポ雑貨店(4)
「頼みがある。というか、注文だ」
「んん? なんだ?」
オヅマがその品について話すと、ラオは一気に困惑した顔になった。
「お前…どこでそんなもん……いや、それ…手に入れてどうするんだ? まさか…」
「心配しなくても、使うのは俺だよ」
「お前が? いや、お前が使うにしたって…」
「いいから! とにかく注文したから。前金で一金貨払う」
「………」
ラオは不承不承といった様子であったが、やはり商人らしく金で頷いた。
一方、エラルドジェイは腕を組んだまま、厳しい顔で尋ねてきた。
「お前…それ、なんで必要なんだ?」
「まぁ色々ね。いずれは役に立つだろうかな、と思って」
「役に立つ…たって、お前、それは……」
エラルドジェイは言いかけて、オヅマの顔に強固な意志を見て取ると、口を噤んだ。これ以上、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
オヅマが注文したものは、およそ一般人の知り得るような代物ではなかった。エラルドジェイのような裏稼業を生きてきた人間ですらも、話に聞いたことはあっても、実物を見たことはない。
だが、オヅマは知っている。知っているのであれば、エラルドジェイが危惧することも、十分にわかった上で頼んだのだろう。
「一応、探すにゃ探すが、そう簡単にゃ手に入らんぞ。一月…いや、二月ほどはかかるかもしれん」
「わかってるよ。エラルドジェイ、はい」
オヅマが手を出すと、エラルドジェイがキョトンとその手を見つめる。
「ハイ? って…なんだ、この手?」
「一金貨貸して」
「お前なー! さっきサーサーラーアンの布のお代だって、俺が立て替えてやったろうが!」
「わかってるよ。仕方ないだろ。手持ちがないんだから。ちゃんと返すって」
近侍としてアールリンデンに来てから、ヴァルナルからは不自由しないようにと、定期的にお金を送ってくる。だが、やたらと衣装やらに浪費するテリィと違い、オヅマは滅多と使わないので、まぁまぁ貯まっていた。
これといった使い道が思い浮かばないのだから、こうしたときに思いきり使ったほうがいいだろう。それでも足りなくなったら、アドルに借りねばならないだろうが…まぁ、必要経費と認めてもらえる…はず、だ。
「じゃ、頼んだ」
用件が済むと、オヅマは店の外に出た。
待っていたカイルの首を軽く叩いて、なにげなく振り返る。
『ホボポ雑貨店』
その看板ですらも、ところどころ文字が読めず、切り貼りした板を繋げて作ったようなみすぼらしいものだ。
オヅマはまた気分が沈んだ。
これもまた、オヅマが母を助けたことで生じた、夢との違いだ。
何にとって、誰にとって、良かったのか悪かったのか……オヅマには判断できない。その資格もない。さっきは自らの心の平安のために、金で手をうつ、という一つの解決策を試みたものの、やはり痼は残る。
「どうした?」
見送りにきたエラルドジェイに問われると、オヅマは謝りたい衝動にかられた。だが、唇を噛み締め目を伏せる。
ここで謝ったところで、エラルドジェイに許しを乞うたところで、何になるだろう。
二年前、エラルドジェイを助けたのはサーサーラーアンだ。オヅマではない。
助けられたかもしれなかった……などと言ったところで、何の意味がある? 言って、自分の気持ちが平穏になることもない。
エラルドジェイは何かしら感じ取ったのだろう。ポリポリと耳の裏を掻きながら言った。
「お前さぁ…その、夢っての? あんまり考えすぎるなよ」
「………考えてるわけじゃない。フッと浮かんでくるんだ。夢で見たな…って、思い出しちゃうんだよ」
その言葉を聞いて、エラルドジェイは少しためらいがちに言った。
「俺、お前のことで言うか言わないか、迷ってたことがあるんだけど……」
珍しく逡巡するエラルドジェイに、オヅマは薄紫の瞳を瞬かせる。
「なに?」
「お前、気付いてるか? 時々、お前の目、金色に光るんだ」
「は?」
「俺も初めて見たときには見間違えかと思ったけど……。この前もさ、あの、妙な集団 ―― 『祈りの手』だっけ? あそこの若い医者に怒鳴ったことがあったろ? あの時も、ちょっと光ってたんだよな」
オヅマはエラルドジェイの話を聞きながら、訳がわからず混乱した。
「ジェイ。アンタ、まさかそれ……金龍眼とか思ってる?」
エラルドジェイの言う『金に光る目』というのは、一般的には金龍眼と呼ばれ、それを持ち得るのは皇家の血を引く者だけだ。
初代皇帝・エドヴァルドの息子であったヴェルトリスに現れた後には、五代目までは皇帝に引き継がれたが、戦争や政変があったりする中で、金龍眼を持つ皇帝は消えていった。金龍眼が皇帝の証とされて、それを持っていた皇帝を弑逆し、その目玉をくり抜くなどの蛮行が行われたためだ。
その後、時々忽然と皇家の中に金龍眼持ちが現れたが、過去の忌まわしい歴史をふまえ、その瞳は必ずしも皇帝となることを約すものではなくなった。
それでもやはり、金龍眼を持つということは特別なことであった。
その瞳には何かしらの不可思議な力が宿っているとも言われ、サラ=ティナ女神を始めとする神々の恩恵を受けるのだと、まことしやかに語られた。
(もっともその瞳のせいで殺された歴史を鑑みるに、この伝承が皇家の権威付けのための作り話であろうことは、多くの学者の認識するところである)
こうした恣意的な話もあるように、金龍眼に関する伝承は多く不確かであったが、唯一事実とされていることがあった。それは、この金龍眼を持つ者が、同時代に一人しか現れない、ということだ。
「……うーん…」
即答できないエラルドジェイの真面目な顔を見て、オヅマは徐々に唇を歪め、しまいにプハッと噴いた。
「ハハッ! ハハハハッ!! おっかしい…可笑しいだろ、そんなの! ハハッ」
オヅマは笑った。腹を抱えて。何度も「可笑しい、可笑しい」と繰り返しながら。まるで念じるかのように、何度も。
オヅマがあまりにも笑うので、異変を感じたカイルが軽く嘶いた。オヅマは隣で身を震わせる馬に、ようやく笑いをおさめた。軽く首を撫でてカイルを落ち着かせたが、自分はまだ落ち着かない。異様な早口で、エラルドジェイ相手にまくしたてる。
「俺に皇家の血でも入ってるって言う気か? ついこの間まで、豆猿相手に喚き散らしてたのに? スジュの実、当てられまくって、洗濯草でブツブツ文句言いながら洗濯してたんだぞ? ハルカと二人で朝から薪運んで、山越えて、クタクタになって……アンタにだって散々に打ち込まれて、膏薬塗りすぎて気分が悪くなって……」
「わかったわかったわかった。……俺の見間違いだ」
エラルドジェイは取り憑かれたように言い立てるオヅマに、ちょっと狂気じみたものを感じて、とりあえず撤回した。
だが、オヅマはまだ否定を重ねる。
「だいたい、今、金龍眼を持ってるのは皇太子だろ? だから皇帝も息子を猫可愛がりしまくってる、っていうじゃないか……」
「ん? いや、それは…」
エラルドジェイはオヅマが勘違いしていると思い、訂正しかけたが、やめておいた。今のオヅマに正確な情報を伝えても、より混乱しかねない。
「あぁ、うん。そうだな。お前の言う通りだ。俺の錯覚だよ。悪い悪い」
「……っとに、メグスリノキでも煎じて飲んでおけよ」
エラルドジェイに素直に謝られると、オヅマはようやく矛先を降ろした。
自分でもどうしてこんなに興奮したのか、あるいは動揺したのかわからない。
軽く息を吐いて気を取り直すと、カイルにまたがった。
「じゃ、とりあえず俺、公爵邸に戻るから。……色々、世話になったな」
「しんみりしたこと言ってやがるけど、金、返せよ」
ムッスリとエラルドジェイが言うと、オヅマは朗らかに笑った。
「わかってるって。明日にでも、ちゃんと持ってくるさ」
「おぅ。利子一割な」
「どんな高利貸しだよ!」
ふざけたやり取りがオヅマには心地よかった。
これこそが自分の望んでいたこと、自らの選択によってもたらされた喜びだ。
手を振ってエラルドジェイと別れ、公爵邸へとカイルを走らせるオヅマの心から、後悔ばかりの夢が、少しだけ解けて溶けていった……。




