第三百二話 ホボポ雑貨店(3)
「お買いアゲ、ありがーとネー!」
サーサーラーアンは上機嫌で、すっかり軽くなった背負子を持って、早々に帰っていった。質に入れた母親の形見が流れてしまう前に、取り戻したいのだという。
「また、近いうちに飲もうぜ!」
エラルドジェイが陽気に見送って店に戻ると、ラオが大声で叫んでいた。
「ハァ? この布をここに置けだぁ?」
「あぁ」
オヅマが当然かのように頷くと、ラオはまた顔を真っ赤にしていきりたった。
「冗談じゃねぇ。ウチでこんな布を買うつもりはねぇぞ!」
「買ってもらうつもりなんてないさ」
オヅマは即座に否定すると、机に山と積まれた布地をピンと指で弾いた。
「今日、ここいらの人間は、有難くもこの季節には全く必要のない毛布をもらってる。だから宣伝してくれ。毛布一枚と引き換えに、この布を一反やるって」
「はぁ?」
「交換だよ、交換。早いもの勝ちだーって宣伝したら、この店にもわんさと人が押し寄せるだろうぜ」
ラオはポカンとしながらも、頭の中では素早く算段したらしい。あちこちに目を動かしてから、ジロリと睨むようにオヅマを見た。
「フン。その交換作業だって、布の保管だって、ワシがやるんだろうが」
「もちろん、そこのところの手間賃は払うよ。まずは手付で三銀貨。そのあとは毛布一枚につき、八銅貨で。どうだい?」
「引き取った毛布はどうする?」
「毛布は……冬に格安で売るってのは?」
「ふん。そう上手くいくかな」
ラオは腕を組み、渋る顔を見せる。エラルドジェイがわかりやすくおべっかを使った。
「ま、そこは稀代の大商人ラオ・アールン=カー・ダイの腕の見せ所ってね~」
「なーにを! まったく、こういう時ばっかり調子のいいことを! だいたい、さっきのもそうだが、この小僧はなんなんだ? 見た所、グレヴィリウスの人間みたいだが…見習い騎士か?」
今更ながらに問われて、オヅマはまだ自己紹介もしていなかったことに気付いた。
「あ、俺は…」
名乗ろうとすると、横からエラルドジェイがサラリと言う。
「オヅマ・クランツ。ヴァルナル・クランツ男爵の息子さ」
「なんだと?」
即座にラオの顔が険しくなった。ズイと顔を近づけて、まじまじとオヅマを睨んでくる。
「お前がクランツ男爵の息子? あのクランツ男爵の? お前が?」
「あ…その」
説明しようとする前に、ラオは噴火した火山のように真っ赤になって怒鳴った。
「クランツ! クランツ!! あぁ~、ワシの商機を奪ったクランツぅ! よくも、よくもおォォ!! ワシの黒角馬を横取りしやがった~! アイツぅぅ!!」
いきなり立ち上がると、芝居がかった身振り手振りでまくしたてる。
オヅマは呆気にとられ、エラルドジェイはまた始まったとばかりに、ため息をついて鼻をほじる。
「そう! あれは…雪解けの月とはいえ、まだまだ寒い風の吹く季節。ワシは雪も残るヘルミ山に向かって…」
誰も聞いていないのに、陶酔したラオが語り始めた。
まだ寒さの厳しい冬の終わりにヘルミ山くんだりにまで行ったこと。
山を守るレーゲンブルト騎士団に追い返され、自分の遠大な計画が頓挫したこと。
あまりのショックで帰り道でコケて捻挫して、一ヶ月近くは松葉杖の生活になったこと。
そうしてヴァルナルへの恨み、恨み、恨み。
オヅマは途中からすっかり芝居を見ている気分で、ラオの言うに任せた。
それにしても仮にも息子だと言っているのに、その息子の目の前で父親の罵倒をするとは、ラオもある意味肝が据わった男である。ただ、その恨みの対象については訂正が必要だ。
「クランツ男爵に黒角馬のことを言ったのは、俺だ」
オヅマが硬い声で言うと、帝都に店を出すという計画について話していたラオが、ピタリと止まった。
「なんだと?」
「俺、元々は小作人の息子で、ラディケ村ってとこで暮らしてたんだ。ヘルミ山にもしょっちゅう行ってたから、黒角馬のことも知ってて。きっと男爵なら欲しがるだろうと思って、教えたんだ」
ラオはワナワナと体を震わせた。
「お、お、お前ェ~、お前かぁ~! 俺の黒角馬を自分の出世の道具に使いやがってェェ」
「黒角馬は元からアンタのじゃないだろ。それに俺は、出世なんか望んでない」
「何を言いやがる? 息子になんぞなっておいて」
「それは母さんが領主様と結婚したからで、俺が望んでそうなったわけじゃ…」
「あぁぁ~! クソッ、クソクソクソッ…クッソッ!」
ドタドタと駄々をこねる子供のように、地団駄踏んで悔しがるラオを見て、オヅマは黒角馬についてのみいえば、自分の判断が案外正しかったのかもしれないと思った。
というのも夢の中では、ラオを始めとする商人らによって黒角馬が乱獲され、純血種は絶滅の危機にあったのだ。特に雄の黒角馬はその気性の荒さと、雌を選ぶために非常に交配が難しく、下手すれば殺傷処分される場合もあったという。
今回はレーゲンブルトに集結した研究班によって、増産化に向けた計画的な交配が行われたので、今でも純血種は残されている。今後も保存されていくだろう。
「ま、もう終わったことだ。だろ? ラオ」
頃合いを見計らってエラルドジェイが声をかけると、ラオはそれまで怒り狂っていたのが嘘のように、あっさり頷いた。
「ま、そうだな」
急な態度の変化にオヅマはコケそうになったが、ふと思い出す。
夢のラオも、たびたびこうした癇癪を起こしたが、発散してしまえば後は淡々としていた。切り替えが早く、一つのことに執着せず、商売の種を見つけてはどんどん手を出す…というのがラオの商いの方針だった。もっともそのせいで、後年、借金がかさんで夜逃げしていたが。
ラオが落ち着くと、エラルドジェイはオヅマに問うた。
「…で、毛布を持ってきた奴らに言っておくのか? これは小公爵様の近侍であるオヅマ公子からの『施し』だって」
「いや」
オヅマは即座に否定した。「いらないよ。そういうのは。むしろ言わないでくれ」
不思議そうにエラルドジェイが首を傾げる。
オヅマはフゥと軽くため息をついた。
「さっきも言ったろ? 俺は元々、貧しい小作人の倅だったからな。わかってんだ。民ってのは、簡単に味方にもなるけど、簡単に敵にもなる。そうしてどんどん貪欲になる。一度もらったら、二度目が欲しくなる。二度目を手に入れたら、よりいいものを欲しがるようになって、それに応えていかないと、途端に手の平返して、くれた奴に文句言い出すんだ」
それはジーモンが言っていたことだった。
レーゲンブルトで、オヅマとオリヴェルに歴史を教えてくれていた老教授。
その言葉を聞いたのは、授業後のお茶の席でだ。オリヴェルは今ひとつよくわからなかったようだが、それこそ平民でもあったオヅマには、妙に腑に落ちた。
「ほぉ…」
ラオが感心したように唸り、エラルドジェイはククッと背を丸くして笑った。
「なるほどな。本当に、油断ならねぇガキだ」
オヅマは少し得意げにニヤリと笑った。
今回のことは、別にアドリアンの評判を高めたいというのではなく、ただのオヅマの意地悪だ。ハヴェルの……いや、あのフーゴを始めとする公爵邸でアドリアンをいじめてきた人間に対して、ちょっとばかし泡を吹かせてやりたい…というだけ。うまくいけば胸がすくし、いかなければそれはそれで構わない。
お金はラオとサーサーラーアンに対しての、オヅマなりの慰謝料…のようなものだ。
勝手なことだとは、わかっている。だがエラルドジェイを助けてくれたサーサーラーアンには感謝したかったし、ラオには別の商機を与えてやりたかった。それが正解なのかどうかは、わからないが……。
とりあえず予想外の案件が一つ済むと、オヅマはようやく本来の目的についてラオに持ちかけた。




