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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第五章

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第三百一話 ホボポ雑貨店(2)

「……ということです」

「なにがだ! 知るか!」

「そーいわずー。『お互イさま』ネ。ラオ兄さん」


 エラルドジェイがカタコトっぽく言うと、ラオは苦々しく煙を吐く。


「っとに…だからさっきからコイツ、来るなり『エッジェイ、エッジェイ』って、うるさかったんだな。下手くそな帝国公用(キエル)語でカタコトしか通じないし」

「本当にな。サーサーラーアン、アンタ、あのあと帝都から周辺ぐるっと回って帰る、っ()ってたけど、あんまり上手くなってないな、言葉」


 サーサーラーアンは肩をすくめた。


「むツかしいネ。キエル語。帝都、ルティルム語、喋ルの人多い。助かっターネ」

「いや、駄目じゃん。それ…」


 エラルドジェイはやれやれと嘆息する。

 帝都においては、第二言語としてルティルム語を使う人間も少なくない。そちらの言葉で話せば通じたので、帝国公用(キエル)語の習得が進まなかったのだろう。


「っとに…あン時にゃ、お前がいつまで経っても来ないから、俺一人でヘルミ山に向かったんだぞ。そしたら、もうレーゲンブルト騎士団が山、占拠しててよ。手出しできなくなっちまった。気づきゃあクランツ男爵にきれいに掻っ攫われちまって…俺の計画が台無しだァ」


 ポッポッと激しく煙を吐いて、ラオは赤い顔で文句を垂れる。

 エラルドジェイは苦笑いを浮かべてオヅマを窺ったが、一方のオヅマはさっきから感じていた()との齟齬(そご)に、ますます顔を固くしていた。

 ラオの言葉で、オヅマはラオの店がいまだに小さく、貧民街の一角にある理由がわかった。

 ホボポ雑貨店が繁栄するきっかけとなったのは、それこそ黒角馬(くろつのうま)だったのだ。――――


 店主のラオはエラルドジェイから黒角馬の情報を聞きつけ、おそらく一人では無理だとわかったあとに、傭兵(ようへい)などを雇って捕獲したのだろう。当初、黒角馬は商人たちの運搬用の馬として、丈夫で馬力もあるため重宝された。徐々に帝都で知れ渡るようになり、最終的には皇家の近衛師団の馬として献上されるまでになった。

 ()では。――――


 オヅマは気まずい思いを噛み締めた。

 ファル=シボの森でエラルドジェイを助けられなかったことも、黒角馬を()()()してしまったことも。

 ()の記憶を利用して、オヅマは今の状況を手に入れた。そのことによって違いが生じるのは当然だったが、直接的に自分が関わっていない変化には、正直無頓着だった。

 エラルドジェイが()と同じように怪我して、森の中を彷徨(さまよ)っていることにはまったく思い至らなかった。ラオが今に至るも黒角馬を手に入れることができず、ホボポ雑貨店がいまだ小さな雑貨商として(くすぶ)っていることも。


「どうした?」


 エラルドジェイが暗い顔のオヅマに尋ねかけてくる。オヅマは自分でも顔が引き攣るのがわかった。それでも無理に笑みを浮かべる。


「いや……アンタがレーゲンブルトに土地勘あるのが不思議だったんだけど、けっこう来てたんだな」


 マリー達を誘拐したときも、シレントゥの埠頭倉庫なんていう、土地の人間でなければ知ることもないような辺鄙(へんぴ)な場所を指定してきた。ヘルミ山だって、地元の人間でも忌避するような場所なのに、黒角馬について知っていたということは、あの辺りをよほど熟知しているということだ。

 しかしオヅマの問いにエラルドジェイは少し顔を歪めた。


「まぁ……隣だからな」

「隣?」


 オヅマが聞き返すと、エラルドジェイはちょん、とオヅマの腰の剣をつついた。


「それ、その(はがね)さ。そいつを作ってる場所で、俺、働いてたんだ。奴隷としてな」

「え……」

「朝から晩まで、鉱山でさ。他の奴らがどんどん死んでって、最後に残ってた奴も死んだときに逃げた。ラオとは逃げた途中で会って……その時からの仲だ」


 オヅマは脳裏で素早く地図を広げた。

 サフェナ=レーゲンブルトと隣接するのは、セトルデン。シェットランゼ伯爵の領地だ。鉄鋼に関わる豊富な資源を基にして、その土地に根を張る豪族であったが、確か現公爵エリアスの曽祖父ベルンハルドの時代に、グレヴィリウスの配下になったはずだ。

 エラルドジェイが元奴隷であることは知っていたが、まさか鉱山で働かされていたとは思わなかった。正規の鉱夫でさえ、その仕事に音を上げる者は多いのに、まして奴隷であったならば、どれほど酷い待遇であったのかは想像に難くない。おそらく人間扱いなどされていなかったはずだ。

 空気が重くなったと感じてか、エラルドジェイはパン! と手を打った。


「ま、それはそれとして! サーサーラーアン、なんかこの布のほかに何かないのか? このオッサン、珍しいモンには目がないんだぜ。象の形の尿瓶(しびん)とかさ、百年塩漬けにされた人魚の骨とか」


 エラルドジェイが言ってる間にも、ラオはブツブツと「ありゃ贋物(にせもの)だった…」と悔しそうにつぶやいている。


 オヅマは机に置かれた布に目をやった。

 一見、くすんだような白だ。黄ばんだとまでは言わないまでも、まっさらな白でもない。

 サーサーラーアンの説明によると、これは傷んだり、古くなっているわけではなく、この生地(きじ)特有の色なのだという。西方の一部地域にある固有の植物から取り出した繊維で糸を紡ぎ、その糸で作った織物らしい。

 長くその植物の自生する近辺の村でのみ生産・消費されていたのだが、偶然、サーサーラーアンはその布を手にする機会があり、生地の肌触りの良さに惚れ込み、大量に買い込んだのだ。

 そのときには夏に向けて帝都に持っていけば売れるだろう……と大いに期待していたのだが、残念ながら目論見はハズレた。

 帝国の商人の反応は、おおむねラオと似たりよったりであった。

 サーサーラーアンはそれこそ藁にもすがる思いで、エラルドジェイに言われたこのホボポ雑貨店を訪れていたのだ。


 ラオとエラルドジェイが、二人独特のノリで盛り上がっている間、手持ち無沙汰のオヅマはなんとなくその布を撫でてみた。確かに言われるように、サラサラとした触り心地のいい生地だった。

 サーサーラーアンがニコニコと商売人らしい愛想の良さで、サンプルの生地を手渡してくる。オヅマはよくわからないまま受け取って裏返したりしていたが、指先に触れる素材の滑らかな風合いに、なんとなくぼんやり思い出した。


 ()の中で、確かこんな布が流行(はや)ったような気がする。

 当初、平民しか着ていなかったものが、貴族にまで広まったのは、マリーがその布でドレスを作ったからだ。

 安価で丈夫で、しかも夏の暑さの中でも着心地のいいその布をマリーは気に入り、仲の良かった()()や針子らと一緒に、布を染めたり、デザインまで考えてドレスを作った。

 当初「安物」と馬鹿にしていた令嬢たちも、涼しげでいながら清楚な装いのそのドレスに、結局は我先にと争って生地を買い求めるようになった。……


「おーい。どうしたぁ?」


 エラルドジェイにのんびり声をかけられて、オヅマはハッと我に返った。


「あ……いや、その……涼しそうな生地だと思ってさ」


 話しながらエラルドジェイにサンプルの生地を渡すと、受け取ったエラルドジェイも指先で感触を確かめて頷く。


「あぁー。確かにな。ハハッ、さっきの『施し』で配ってた毛布とは大違いだ」

「毛布? なんだ、奴ら。まーた配ってやがんのか?」


 ラオは聞きつけると、眉をギュッと寄せた。パイプをふかせながら、あきれたように毒づく。


「いい加減、やめりゃーいいのに。十年前ならともかく、もうだーれも欲しがってねぇってのにさ、アレ。役人だか、街の顔役の奴らが、ここいらの人間は並べーって、無理に並ばせてんだぜ。誰ぞへの、おべっかとりに。っとに、迷惑だよなぁ」

「……そうなのか?」


 オヅマは聞き返しながらも、なんとなく合点がいった。あの『施し』に並んでいた人々。数もそう多くなかったし、正直、物をもらわねばならないような身なりではなかった。


「このクソ暑いってのに、毛布なんぞいらねーってんだよ。しかもあの毛布、どこで仕入れたんだか、織りも荒いし、(にお)うし。っとに、馬鹿にしてんぜ」

「確かにな。このクソ暑い中、あんな毛布抱えて帰るだけでも、汗かきそうだ」


 ラオとエラルドジェイの会話を聞きながら、オヅマの中でちょっとした悪だくみ(?)が浮かんだ。

 それとなく……ハヴェルを始めとする嫌味ったらしい大人連中に、一泡吹かせることができるのではなかろうか。

 大事(おおごと)にする必要はない。

 ただ、ハヴェルにおもねって、アドリアンを馬鹿にする、フーゴのような人間を歯ぎしりさせてやるような、そんな()()()()()()()痛快なこと……。


「[この布、どれくらいあるんだ?]」


 オヅマはサーサーラーアンにルティルム語で尋ねた。 

 エラルドジェイとラオがキョトンとオヅマを見る。サーサーラーアンもびっくりしていたが、すぐにニコリと笑って、さっきまで背負っていた大きな荷物を指さして答えた。


「[これ全部]」


 オヅマはニヤリと笑った。


「よし、買った」


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― 新着の感想 ―
[一言] >象の形の尿瓶  見てみたいですね。 ドンキにあったりして。 夏用のサラサラした布? 高品質の麻みたいな感じかな?
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