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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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断章 - ハルカの忠誠 - Ⅱ

 その後にオヅマは火傷(やけど)の手当てを数日続けながら、ハルカの剣の実力を確かめるために、何度か立ち合った。そうしてハルカが母親(リヴァ=デルゼ)に勝るとも劣らぬ剣の実力があることがわかると、主君にかけあった。


「リヴァ=デルゼ師の娘、ハルカ=デルゼの指導をお任せ願えないでしょうか?」

「ほぅ…?」


 珍しいオヅマからの申し入れに、主君は興味深そうに眉を上げた。

 並び控えていたリヴァ=デルゼがすぐさま声を上げる。


「何を勝手な! 我が娘のことに、お前が口を出すかッ」

「まぁ待て、リヴァ=デルゼ。話を聞くとしよう」


 主君がリヴァ=デルゼをなだめて、軽く首を傾げて見てくる。

 オヅマは頭を垂れたまま、静かに申し述べた。


「リヴァ=デルゼ師の娘は、師のすぐれた指導によって、着実に力をつけております。ゆくゆくは優秀なる女騎士となるに違いありません。そうなれば、いずれは公女様の護衛として仕えさせるがよきように思います」

「ふ…む。そうだな。リヴァ=デルゼ、異論はあるか?」


 リヴァ=デルゼはオヅマをギロリと睨みつけたが、主君の言葉を否定はできなかった。


「……いえ、そのようになればよいと思い、稽古をつけております」

「そうか。(あるじ)が至らぬゆえ、公女(むすめ)のことなど忘れていたが、乃公(だいこう)の配下の者共は(みな)、周到なることよ。……それで? オヅマ」

「その娘をいずれ公女様の護衛騎士とさせるおつもりであれば、リヴァ=デルゼ師が教育を担うは不適当と存じます。公女様は皇宮(こうぐう)に参られることもおありです。相応(ふさわ)しい立ち居振る舞いを身につけねばなりませぬ」

「ふ…」


 主君は笑みを浮かべ、リヴァ=デルゼは激昂した。


「ふざけるな! 貴様!! 私を嘲るかッ」


 オヅマはゆっくりと顔を上げると、冷たい眼差しでリヴァ=デルゼを見つめた。ふぅ、とわざとらしくため息をつく。


「…かように、閣下の言葉を待つこともなく喚き散らす有様にて」

「なッ!!」


 リヴァ=デルゼは何も言えなくなった。顔が真っ赤になり、怒りに握りしめた拳が震える。その場にいる何人かがせせら笑った。彼らはこれまでにリヴァ=デルゼから散々、無能、愚物と馬鹿にされてきたので、痛快至極だったのだろう。

 主君はチラリとリヴァ=デルゼを見てから、肘掛けに頬杖をついてオヅマに問いかける。


「それで? お前が教えるにふさわしいと言うのか?」

「…私は閣下より直接、薫陶を受けております」


 オヅマの隙のない弁舌に、主君はハッハッハッと愉しげに笑った。


「弁術について、よく学んでいるようだな。よかろう。ではその娘のことは、これよりオヅマに任せることにしよう」

「閣下!」


 リヴァ=デルゼはそれでも食い下がろうとしたが、主君は立ち上がり、軽く手で制した。


師姉(しけい)リヴァ=デルゼ。親子というは、師弟に向かぬものだ。故にこそ、私も其方(そなた)に託したのだ。……わかるな?」


 主の顔に浮かぶ笑みの裏側に、そこはかとない恫喝があることをリヴァ=デルゼは瞬時に感じ取ったのであろう。すぐさま恐縮したように頭を下げ、震える声で了承した。


 そうしてハルカはオヅマの下で、貴族への礼儀作法も含め、剣術の指南を受けることになった。

 数年の間に、ハルカはオヅマの意図した通り公女の護衛騎士となり、同じく公女の侍女となっていたマリーと行動を共にすることが多くなった。

 マリーは喜んだ。オヅマがハルカの教育を任されるようになって、何度となくアンブロシュの屋敷に連れて行ったことがあったので、マリーにとって、ハルカは妹同然だったのだ。


 ただ、ハルカが成長するに従って、有能な女騎士になってゆくのは喜ばしいことだったが、周囲の人間からの誤解にはオヅマも辟易した。

 それはマリーですらもそうだった。


「お兄ちゃん。ハルカちゃんのこと、どう思ってるの?」

「…騎士見習いだ」

「それだけぇ?!」


 マリーは不満そうに声を上げ、ブツブツと文句を言った。


「まったく。お兄ちゃんがそんなだと、ハルカちゃんが可哀相だわよ…」


 オヅマはため息をついた。

 マリーに限らず、ハルカとオヅマの仲について曲解する者は多かった。いちいち否定して説明するのが面倒なので放っておいたのだが、そのせいで無駄なおしゃべりを聞く羽目にもなった。



***



「残念だったなァ、オヅマ。その女の処女は俺が奪っちまったんだ。そっからはもう、どんな奴にでも股を開きやがって…とんだアバズレだ!」


 大公家騎士団の金や備品を横領していた男は、追い詰められた挙句、愚にもつかないことを言い出した。

 彼を追跡する任務を負ったオヅマは、ハルカを伴っていた。その頃になるとより実践的な訓練として、いくつかの任務を共に行うようになっていた。 

 下卑た笑みを浮かべる男を、オヅマは面倒そうに見た。

 どうやら男はオヅマが驚き、動揺すると思っていたらしい。最後の最後に、せめて一矢報いる……というには、あまりにもお粗末な言動だ。


 うんざりしながら、オヅマはハルカに「真実か?」と問いかけた。ハルカがいつものごとく、無表情にコクリと頷く。


「この男は、今、お前を誹謗している。どうしたい?」

「…どうでもいいです」

「じゃあ殺せ」


 オヅマが言うなり、ハルカは男をバッサリ斬り捨てた。

 オヅマは男の絶命を確認してから、ハルカに尋ねた。


「お前…コイツに抱かれたのは、お前の意志か?」

「私の…意志?」


 ハルカは困惑したようにつぶやく。しばらく考えてから真面目に答えた。


「わかりません」


 オヅマは眉を寄せ、男を見つめた。

 ブツブツとしたニキビ痕が残る、下膨れ顔の醜男。身丈も背の高いハルカより頭一つ分ほど低く、腹も出張っている。

 どう考えても、ハルカを組み伏せることができる手合ではない。

 もし本気でハルカが抵抗していれば、即座に殺せただろうし、殺すのが面倒ならば気絶させれば済む話だ。


 オヅマはため息をついて立ち上がると、ハルカと向き合った。


「お前の私事についてどうこう言う気はないが、男を選べ」

「……どのような男がいいのですか?」


 そういう質問を普通にしてくるのが、ハルカらしかったが、オヅマは心底面倒臭かった。それでも答えてやらねばならない。ハルカは間抜けに見せて計算高い貴族令嬢のように、あどけないフリをしているのではなく、本当にわからないから聞いているのだ。


「……家内の者は控えろ。今回のように後々面倒になる。病気持ちは論外。あとは、この男のようにグダグダとくだらぬ事を言う奴はやめておけ。猿以下だ」

「わかりました」


 ハルカはオヅマに言われたことを、おそらく胸の中で反芻しているのだろう。その生真面目な様子に、オヅマはまたため息をつく。


「お前、マリーに知られていないだろうな?」


 ハルカは首を傾げた。オヅマは軽く首を振った。


「知っていれば、マリーが俺に何も言わないはずがないから、知らないんだろうが…知られることのないようにしろ。こうしたことは他人に秘すものだ」

「はい」

「マリーがもし知れば、心配する…」


 オヅマがつぶやくように言うと、ハルカは少しだけ申し訳なさそうな顔になった。


「マリーはいつも私を心配します。私が傷つくことを知らないのが、可哀相だと言います」

「……そうだな」

「それと、マリーは私があなたのことを好きだと思っているみたいです」

「…あぁ」


 オヅマは答えながら、歩き始めた。

 一番近い宿場町に戻り、そこで男の死亡を申告する必要がある。保安衛士に大公家の金を横領した罪により男を処した旨を伝え、彼らに死体の始末を頼むのだ。もちろん処理費用を払って。


 しばらく無言で歩いていたが、オヅマはふと立ち止まると、振り返って問うた。


「お前……俺が好きなのか?」

「いいえ」


 ハルカは即答してから、急に片膝をついた。


「オヅマ、あなたは私の(あるじ)です。私の主君はあなただけです」


 まるで誓うかのようにハルカは言った。顔を上げ、オヅマを見つめるセピアの瞳がいつになく熱を帯びている。

 だがオヅマはそのハルカの誓いを、物憂げに見つめるだけだった。


「……この場だけにしておけ」


 つぶやくように言って、オヅマはハルカに背を向けると、再び歩き始めた。


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