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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第二百七十五話 澄眼習得(2)

 ルミアは目の前で繰り広げられる立合いを無表情に見ていた。

 ハルカはもちろん、エラルドジェイもまた職業柄と言うべきか、身軽な上に対人の格闘に(こな)れている。だが、その二人からの攻撃をオヅマはすべて(かわ)していた。

 始めた直後はまだ反射だけで、なんとかかろうじて()けて…といった感じだったが、今は明らかに余裕がある。


 ルミアもまた呼吸を深め、集中してオヅマの動きを追った。そうして確信する。

 オヅマが『澄眼(ちょうがん)』を発現していることを。

 おそらくあの薄紫の瞳は、ハルカの俊敏な動きも、エラルドジェイの意表をついた攻撃も、まるで水の中で動いているかのように、ゆっくりと捉えているのだろう。


 まったく恐ろしい子どもだ。

 たった二ヶ月そこらで発現まで持っていくとは。


 ヴァルナルでさえも、視界の順応や気配の察知といった無意識下での感覚野の拡充に二ヶ月。呼吸法を習得し集中を高め、自らの身体を自在に扱って、稀能(きのう)を覚知するまで四ヶ月。修行を始めて半年で、ようやく『澄眼(ちょうがん)』を発現するに至ったのだ。


 ルミアは才能もないのにダラダラと居続けられるのを良しとしなかったので、一応修行の期限を半年と区切っていたのだが、当然ながら中には何としても習得したいと、一年近く居座り続ける者もいた。だがそうした者の多くは、結局、出来ないまま去るしかなかったのだ。


 ルミアは軽くため息をつき、目をつむる。

 まったくヴァルナルはとんでもないのを息子にしたもんだ…と、内心で嘆じる。


「やめ」


 パン、と手を打ってルミアが制止すると、ハルカはピタリと動きを止めた。

 エラルドジェイも振り上げた岩柳(レントゥーン)の木剣を下ろす。


 ハルカはいつもの無表情、エラルドジェイも少しばかり笑みを浮かべていたが、軽く息が上がっていた。

 二人共に相当な速さでオヅマを追いこんでいったのに、まるで行動の先の先を読んでいるかのように、オヅマは全ての攻撃を躱していった。しかも二人よりも動きは激しかったであろうに、まったく息切れもしていない。


「大丈夫…そうだね」


 ルミアはオヅマを見て言った。

 ハルカに近づくと、その手から短剣を取り上げる。それからエラルドジェイには、木剣をオヅマに渡すように言った。


「私はこれから森に入る。アンタ、私を見つけて打ちかかってきな」

「それ…」

「三十数えたら、開始だ。ハルカ、頼むよ」


 オヅマはルミアの真意に気付き当惑したが、それ以上説明することもなくルミアは森へと入っていく。

 ハルカは声に出すことなく、三十数えてからオヅマの背中をポンと叩いた。


 オヅマは頷くと、いつも豆猿(まめざる)たちに固い実を投げつけられていた森に入った。

 今は豆猿たちはいない。出産のシーズンとなり、生まれた子どもの世話があるので数も少なくなっていたし、そもそもルミアから餌の合図がない限りは、(ねぐら)に籠もって、こちらにまでやって来ないのだ。


 オヅマは森の半ばまで歩いてくると、切り株の横に少し開けた場所を見つけた。

 ストンと片膝をつき、ハアァーと長く息を吐く。


 ルミアの意図するところは明らかだ。

 オヅマに『千の目』を見せてみろと言っているのだ。

 確かに、今のこの昂揚…尋常でないほど鋭敏になっている感覚であれば、発現はおそらく可能だろう。 


 木剣を左手に持ち、右手は膝の上に置いて、その上に額を乗せる。

 スゥゥと息を細く柔らかく吸い込んで、一度軽く止める。それからゆっくりと、徐々に、口からだけでなく、全身から吐き出していった。

 首の後ろ辺りがチリチリして、鋭敏な神経が伸びていく感覚がする。


 うっすらと開いた目は、曇っていった。

 眩しい木漏れ日が揺らめいて、消える。

 虫の音も、どんどん遠くなる。

 漆黒の、まるで次元の違う空間に置かれたような孤独感。


 そこにビリッとした不快な違和感が生じるや否や、オヅマは動いていた。


 木々の間を音もなく抜ける。

 人間の気配に敏い動物ですらも、オヅマの通ったことに気付いていないようだった。一瞬、何かが過ぎていったことだけを感じて鈍く見たものの、既にそのときにはオヅマの影すらもない。


「ハアッ!」


 鋭い気合と共に、ガッ! と、ルミアは寸前でオヅマの木剣を短剣で受け止めた。

 オヅマは見開いた目の先に、額から汗を一筋垂らしたルミアの姿を見つけた。


「…見事」


 ルミアがしわがれた声で言ってニヤリと笑う。オヅマはホッとすると同時に、木剣を離し、その場に座り込んだ。


「なに…させて……くれてんだ…よ」


 一気に汗が噴き出す。

 先程までの静かな呼吸が嘘のように、荒い息遣いだった。


 ルミアは肩をすくめて笑った。


「なんだい? 私を殺すかもしれないとでも思ったかね?」

「……まさか、木剣にやられるようなことはねぇと思ったけど……」


 オヅマは答えながらも、実のところ心配ではあった。

 自分でもこの技を使うとき、どこまで制御できるのか、わからないのだ。


 そう考えると、あの埠頭倉庫でよくもエラルドジェイを殺さなかったものだ。

 あのとき、確実にオヅマは目の前の()である、エラルドジェイを殺すつもりだった。殺さずに済んだのは、おそらくオヅマがまだ未熟であったことに加え、エラルドジェイの驚異的な身体能力がそうさせなかったのだろう。


「おぉ~、(ババ)様さ~すがぁ~」


 当の本人は呑気に歩いてきて、パンパンとわざとらしい拍手なんぞする。


「いきなりオヅマが消えたから、まさかと思ったけど、さすがは稀能(キノウ)の戦士。『師匠(マスター)』と呼ばれるだけはあるねぇ~」

「ふん。おちょくるんじゃないよ。ちょうどいい。アンタ、坊やを運んどくれ」

「え?」

「…大丈夫だよ」


 オヅマは息を切らしながら言って、無理に立ち上がったが、ぐらりと視界が回った。平衡感覚がなくなっているのか、二三歩よろけて、ドサリと地面に突っ伏して倒れる。


「あ~あ~」


 エラルドジェイがあきれた声を上げる。


稀能(キノウ)の副作用だ。ま、体はまだこれから鍛えていく必要があるだろうね」


 ルミアの声が遠ざかっていく。


 キィィィンと高い耳障りな音が頭の中で響いていた。

 オヅマは顔を歪めながら立ち上がろうとするものの、視界が暗く、眩暈もひどくて、どうやって立てばいいのかわからない。


 急にふいと体が浮いて、間近にエラルドジェイの声がした。


「ったく…無茶するもんじゃねーぜ。ただのガキのくせして」

「……誰…が…ガキ…だ……」


 切れ切れにオヅマがつぶやくと、エラルドジェイはからかい半分に言ってくる。


「無理して背伸びするもんなんだよ、ガキは。無茶するのがカッコイイと思ってやがるんだよな、ガキなだけに」

「……うる…せ…ぇ」


 文句を言いながらも、オヅマは心の中で笑っていた。


 エラルドジェイはきっと、オヅマの奇妙さに気付いている。

 まるで昔、会ったことがあるかのように話すことも含め、オヅマが時折見せる子供とは思えぬ酷薄な表情も、おそらく今、ルミアとの立合いを見て、埠頭倉庫で襲ってきたオヅマが、稀能(キノウ)を使っていた事にも気付いたろう。


 それでも『ただのガキ』と言ってくれたことに安堵する。

 きっとこのまま何も言わなくても、エラルドジェイがしつこく尋ねたりすることはない。


 いつでもエラルドジェイは、オヅマをありのまま受け止めてくれた。

 きっと、ずっと、そうなんだろう…。


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