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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第二百六十七話 グレヴィリウス家の夜会(14)

 静かな問いかけに、アドリアンはすぐに答えられなかった。

 元はと言えばルイース・イェガが訳の分からないことを言い出したのが発端ではあるが、そのことを今ここで言えば、彼女自身もその兄であるエーリクも、ひいてはイェガ男爵も身の置き所のない状況になるだろう。


「申し訳ございません」


 アドリアンが謝ると、エリアスは眉をわずかに上げた。


「謝るのであれば、この騒ぎの(もと)となったのは自分であると認めるのだな?」

「それは…!」


 マティアスが顔を上げて言いかけるのを、アドリアンはキッと睨んだ。マティアスはすぐに強い視線に気付き、口を閉ざす。

 アドリアンは再び深く頭を下げて、静かに認めた。


「はい。そうです」


 エリアスの(とび)色の双眸がスッと鋭くなり、眉間に気難しげな皺が寄る。

 アドリアンはまた父から叱責を受けると身構えたが、そこに割って入ったのは朗らかなハヴェルの声だった。


「まぁ、仕方ございませんよ、公爵閣下。小公爵様はなにせ、閣下に似ておられますから。年相応のご令嬢であれば、のぼせ上がるのも無理ございません」


 エリアスは怪訝にハヴェルを見た。


「相変わらず暢気(のんき)だな。そこの子女は其方(そなた)の婚約者であろう?」

「えぇ」


 ハヴェルはニコリと微笑むが、顔色を失くして座り込んだままのルイースに手を差し伸べることはなかった。


「まだまだ幼いので、世情に疎いところも、純真無垢と申せます」

「寛大なことだ…」


 エリアスはつぶやいてから、ルイースに目をやる。

 ルイースはしゃがみ込んだまま、公爵からの視線を浴びて、震えが止まらなかった。恐怖でボロボロと涙があふれてくる。しゃくりあげて泣き出したものの、誰も彼女をなだめることはなかった。


 エリアスは再びアドリアンに問いかけた。


「お前の罪がわかるか?」

「………騒ぎを起こしたことです」

「そう。近侍と令嬢の慎みない争いを招くなど、グレヴィリウスの品位に瑕をつける醜態ぞ。それにハヴェルの面目も傷つけた」


 アドリアンは黙って頭を垂れる。

 空気はどんどんと重さを増し、その場に居合わせた人々は息苦しくなるほどだった。

 そんな中で、ハヴェルだけが笑っていた。


(わたくし)のことなど、お気になさらず。たかだか一侯爵家の次男坊に過ぎませぬ。名門エシルのご令嬢であらせられるルイース嬢にとっては、八歳年上の婚約者など、けむたいだけの存在でございましょう」

「言うことよ」


 エリアスは、ハヴェルの物柔らかな言葉の中に含まれた嫌味に、皮肉げな微笑を浮かべ振り返った。

 背後にはブルーノ・イェガ男爵が、跪いて頭を垂れている。


 そもそもこの部屋に訪れたのは、高座での謁見を終えたエリアスに、ハヴェルが新たな婚約者を紹介したいと申し出てきたからだった。

 当然、婚約者であるルイースの親であるイェガ男爵もまた、公爵に直接娘を紹介するとなれば放っておくわけにもいかない。それにルイースはより豊富に料理が残っている東の小部屋に行ったばかりであったので、男爵は二人の案内がてら共に向かったのだ。


 だが衝立だけで遮られたその部屋から聞こえてきた娘の大声に、ブルーノは凍りついた。


 ―――― 小公爵さまが私と結婚してくだされば、私はあの人と結婚せずに済むわ!


 一緒についてきた妻は、娘の突拍子もない発言に顔色を失くして倒れてしまった。ブルーノはあわてて次男に妻の介抱を頼み、自分は公爵の背後でただただ恐懼して頭を下げるだけだった。


 目の前では、とばっちりでしかないにも関わらず、小公爵であるアドリアンが、公爵からの静かな叱責に黙って頭を下げていた。

 ブルーノはひどく心が痛んだが、自分に発言権などあろうはずもない。


「イェガ男爵、なにか言うことはあるか?」


 エリアスは、大きな体を小さくしてかしこまるブルーノに尋ねた。

 だが、返事はない。


 ブルーノは何かを言わねばならないとは思いつつ、何を言えばこの場が穏便に済むのかがわからなかった。何かを言おうとして開いた口は震えたままカラカラに渇き、額から噴き出す汗も止まらない。


 エリアスが苛立たしげに眉を寄せると、緊迫した主従の間にハヴェルが割って入った。


「公爵閣下、お許しください」


 ハヴェルはエリアスの前で、アドリアンと同じように片膝をついて、恭しく辞儀をした。


「このような仕儀となりましたのは、私の不徳の致すところでもあります。此度(こたび)の婚約の意義について、まだ幼いご令嬢に気詰まりな思いをさせるのも悪く思い、あえて詳しく語らずにいたのですが、そのことでご令嬢の()()を招いてしまったようです。それに、イェガ男爵にも申し訳なく思っております。父にとって娘というのは、特に愛しい存在だと聞きます。まして男爵におかれては掌中の珠のごとく可愛がってきた一人娘。正直、不本意であったことでしょう」

「そのようなことは…ッ」


 ブルーノはあわてて否定しようとしたが、ハヴェルは振り返り、ほんのわずかに首を傾げた。

 柔らかなアンバーの瞳が、一瞬冷たく光って、ブルーノを刺す。

 ハヴェルは再びエリアスの方に向き直ると、頭を下げたまま続けた。


「まだまだ幼いご令嬢では、受け容れるのに時間もかかろうと…それは私も了承しております。ですから誠実に、気長に向き合っていこうと考えております。何事も心をこめることが重要だと…かつてリーディエ様も仰言(おっしゃ)っておられましたから」


 亡き公爵夫人の名前を、この場で口にすることができるのは、ハヴェルくらいであった。

 懐かしそうに言うハヴェルの様子に、エリアスの鳶色の瞳が愁いを帯びる。

 だがすぐにいつもの冷徹な表情に戻ると、ブルーノに言い渡した。


「ハヴェル公子の温情に免じて、令嬢の不始末については不問としよう。早急に()()して、十分に()()致せ」

「……はっ」


 ブルーノは平伏しながらも、またどっと全身から汗が噴き出た。

 公爵の言っている内容は、ある意味苛烈であった。

『保護』という名で()()し、『養生』という言葉で()()させろと言っているのだ。 


 震えるブルーノよりも早くに、腰を抜かした妹を抱え上げたのは、いつの間にか戻ってきていた次男のイェスタフだった。

 公爵とアドリアンに黙って頭を下げると、父と共にその場から立ち去った。


「では、私も幼き婚約者の様子を見てまいります」


 ハヴェルもまた、公爵に一礼すると踵を返して歩き出す。

 一度だけ振り返って、アドリアンを一瞥した。その目には憐れみが浮かんでいたが、再び前を向いた口の端にはうっすらと嗤笑(ししょう)がひらめいた。


 ハヴェルの背を見送りながら、アドリアンは拳を握りしめた。

 見えなくともわかる。彼が自分を嘲笑ったことが。


 今、この場において、一番の道化はアドリアンであった。


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