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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第二百六十五話 グレヴィリウス家の夜会(12)

 ルイース・イェガはエシル領主ブルーノ・イェガ男爵家の一人娘だ。


 当主のブルーノは勿論、跡継ぎとしての男は望んだものの、それは長男が出来て、その後に次男が生まれたことで、もう十分だと思った。だから三番目もまた男であったときは、わかりやすく落胆し、生まれたばかりのエーリクを抱いた妻から、大層な叱責を受けた。


 であるから、四番目に生まれてきた待望の娘を彼が猫可愛がりしたのは、想像に難くない。

 それはブルーノだけでなく、どれだけ可愛く着飾っても、ひたすら汚すことしかしてこない男三人の成長に呆れ果てていた妻・アイナも同様であった。

 両親だけではない。

 当時は壮健であったイェガ男爵の前当主、年の離れた兄二人(エーリク除く)、エシル騎士団の騎士たちから、イェガ家で働く使用人まですべて、ルイースを溺愛した。


 ちなみにエーリクはルイースとは三歳しか違わないので、兄達ほどに妹に甘くはなかったが、喧嘩することはなかった。

 幼い頃に妹を泣かしたときに、兄達からこっぴどく叱られて以来、この妹の我儘に対抗するのは諦めたのだ。


 そういうわけで、エシルにおいてルイースは無敵であった。

 皆から『この世でもっとも可愛らしいお嬢様』と言われ続け、自分でもそう思って生きてきた。これまでがそうであったように、これからの人生も、自分の望むままに進んでいくことを信じて疑わなかった。


「ルイース、お前の結婚相手が決まったんだ…」


 気まずそうに父が話してきたとき、ルイースは世界が一気に氷で覆われたのかと思った。

 まだ自分は初恋すらしたことがないのに。

 きっとこれから恋物語の女主人公(ヒロイン)同様に、自分も素敵な人と出会って恋をして、それから結婚するのだろう…と、()()()いたのに。


 だがルイースは自分を励ました。

 もしかしたらその結婚相手こそ、自分にとって理想の王子様であるかもしれないではないか。

 だが姿絵を見せられ、相手の年齢を聞いた途端に、ルイースのわずかな希望も打ち砕かれた。


「やだ!」


 ルイースは姿絵をテーブルに放り出し、ソファにふんぞり返って叫んだ。「やだやだやだやだやだやあぁぁあだッ!!」


 両親も兄も、ルイースの反応を予想していたのだろう。

 とりあえずその場では、無理に言い聞かせようとはしなかった。


 ルイースはその後も断固として拒否したものの、いつもたいがいのルイースの我儘を許してくれる父ですらも、この件については、娘の願いを聞き入れることはなかった。

 そもそも当初からルイースに拒否する権利はなかったのだ。


 その日から、ルイースは何をしても楽しくなくなった。何をしても無駄に思えた。それこそ花嫁教育よろしく、相手の家から派遣されてきた女の家庭教師は、ルイースのやることなすことにケチをつけ、挙句の果てには母にまで文句をつける。

 本当に嫌で嫌で嫌でたまらなかった。


 しかもその婚約者とやらは、自分と婚約しても一度もエシルに挨拶に来ることもなかった。定期的にルイースにプレゼントを送りつけてきたが、どれもこれも、まったく面白みのない、平凡な、愛情なんてものは欠片も感じられない贈り物ばかりだった。

 ルイースは自分もそうだが、相手もさほどに自分と結婚したいわけではないのだと理解した。贈り物に簡単なメッセージは添えられていたものの、手紙などは一切来なかったからだ。


 今日、初めてその婚約者と会ったが、彼は最初にルイースに丁重に挨拶したあとは、ひたすら父と話すばかりだった。

 ルイースは母の後ろで、チラチラと何度か彼を観察していた。

 終始笑顔で、一見、優しそうであったが、時々眼鏡の奥のアンバーの瞳が、周囲の人々を威圧的に見回していた。

 なによりルイースは、彼の薄い、血色の悪い唇が好きになれなかった。


 成人は十七歳。あと、五年。

 ルイースは楽観的に考えることにした。

 人生には何があるかわからない…と、亡くなった祖父の言葉を思い出す。

 もしそうならば、向こうから婚約を破棄してくることだってあるかもしれない。いや、むしろ……破棄させればいい。


 そこからルイースはずっと、ハヴェル・グルンデン公子から婚約破棄をさせるための方策について考えていたのだが、考え事をしていればお腹も空く…ということで、まだ料理が豊富に残っているらしい東の小部屋に訪れた。

 まさかそこで『運命の出会い』が待っているなどとは露と思わず。


 こうしてルイース・イェガにとっての物語は始まった。


***


 アドリアンは首を傾げた。

 目の前でさっきまで尻尾を踏まれた子犬のように怒りまくっていたルイースが、振り返った途端に固まって、アドリアンの差し出した髪飾りを受け取ってくれないからだ。


「あの…? これ、あなたのですよね?」


 アドリアンは一応尋ねた。

 どう考えてもそれはエーリクが妹をちょっと叱りつけたときに落ちたものなので、間違えようもなかったが、何か声をかけないと、目の前の女の子が永遠に動かないような気がする。


 エーリクは止まってしまった妹を怪訝に見て、いつまでも受け取ろうとしないので、一歩前に進み出た。アドリアンの手から髪飾りを取ろうとして、脇腹を思いきり肘で突かれる。


「ぐッ!」


 いきなり呻き、エーリクは脇腹を押さえて止まった。


 アドリアンも、傍にいたキャレも、何が起きたのか理解できなかった。それはルイースの着ていたドレスの装飾のドレープに隠され、脇腹を()()小突いたのが、彼らからちょうど死角になっていたからだ。


「エーリクさん? どうしたんですか?」


 キャレが尋ねてもエーリクは返事しない。斜め前から、自分を睨みつける妹の激しい威嚇を感じる。…… 


「ありがとうございます」


 兄を牽制したルイースは振り返ると、にこやかに笑ってアドリアンから髪飾りを受け取った。  


「優しい御方、お名前をお伺いしてもよろしいかしら?」


 その台詞を聞いて、その場にいた数人の令嬢達は思わず吹き出しかけた。

 それは、彼女らのような娘たちであれば誰でも一度は読んだことのある、少女向け小説『茨の城のかわいいお姫様』に出てくる一節であったからだ。それ以外のご令嬢でない面々は、ルイースの質問に苦笑いだった。


 エーリクは脇腹を押さえたまま、慌てまくった。


「な…馬鹿、ルイース、お前…ッ」


 しかしアドリアンはそんなエーリクの様子を面白げに見ていた。軽く手を上げて制する。


「いいよ、エーリク。初めて会ったのに、名乗らないのは確かに失礼なことだ。初めまして、イェガ令嬢。僕はアドリアン・グレヴィリウスと言います」

「あっ!」


 そこでルイースはようやくそれが小公爵であることに気付いた。

 考えてみれば、その黒檀(こくたん)色の髪を見た瞬間に思い至っても良さそうなものであったが、それよりも何よりもルイースは、ただただアドリアンという目の前に立っている少年に見惚(みと)れるばかりだったのだ。


 同時に、ルイースはますます高揚した。

 まさに今、この場、このときこそが、自分のために(あつら)えられた舞台であるかのように思えた。

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