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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第二百六十一話 グレヴィリウス家の夜会(8)

 (セオドア)はゆっくりとキャレに近づいてくると、目の前に立ったまましばらく何も言わなかった。

 キャレの目には、兄の履いているきらびやかな靴しか見えない。今しもその靴が自分に向かってくるのではないか、と体が震えてくる。


「キャレ…」


 兄が妙にやさしげな口調で呼びかける。

 キャレはゴクリと唾をのんで、次の言葉を待った。


「キャレ、顔を上げておくれ。久々の再会じゃないか」


 不意に肩に手を置かれて、思ってもみない言葉を言われ、キャレは困惑した。

 おそるおそる顔を上げると、セオドアは笑みを浮かべていたものの、やはり青い瞳は冷たさを帯びていた。


「ずっと待っているのに、お前がなかなか姿を現さないから、わざわざ探し回ってしまったよ」


 言葉だけはまるで肉親のようだった。

 いや、実際に肉親ではあるが、彼がいわゆる肉親としての『情』をキャレに向けることなどあるわけもない。今も笑みを浮かべながら、キャレの肩を掴む力はギリギリと圧力を増してくる。


「今日は母上もいらっしゃっていてね…ここ数日、また頭痛がひどくていらしたんだが、公爵家の夜会に出ぬわけにもいかない」


 セオドアの言葉を聞いて、キャレは彼がどうして声をかけてきたのかわかった。


 オルグレン家当主の二番目の妻、セオドアにとっては継母にあたるハイディ夫人には持病があって、しばしばひどい癇癪をおこして卒倒する。

 普段、穏やかに暮らしている分には発作は起きないのだが、キャレら親子を見ると、ほぼ毎回発症した。

 そのためファルミナにいた頃には、キャレは男爵夫人のいる棟に近づくことは禁じられていた。


 彼女は夫が召使いに手を出したことについては嫌々ながらも黙認したが、その卑しい者が自分と同じように夫の子を産んだことが許せなかった。

 二番目の妻としてオルグレン家に入って、彼女は当主セバスティアンとの間に一男一女を設けたが、次男は彼女と同じ明るい茶色、次女はくすんだ金髪であった。

 それでなくとも亡くなった一番目の妻の子供が二人ともに、見事なくらいオルグレン家特有のルビーの髪色であることに引け目を感じていたのに、卑しい召使いの子供までもが、同じルビー色の髪であることに、ますます彼女の矜持は傷ついた。

 そんなことからハイディ夫人は、キャレら親子を蛇蝎のごとく忌み嫌っていたのだ。


 もし、人々の大勢集まる夜会で、いつものごとく大声で喚き散らして、泣き叫んで、自分の髪の毛を引きむしった挙げ句に失神などしたら、オルグレン家は笑い者だ。


「…夫人は、広間にいらっしゃるのですか?」


 キャレが尋ねると、セオドアはフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「一度はいらしたが、人の多さに目を回されて、すぐに休憩部屋に引き籠もったさ。まったく、役に立たぬ。いっそクランツ男爵のように、理由をかこつけて領地(ファルミナ)に閉じ込めておけばいいのに、父上も体面だけは気にするからな。何もしないくせに…」


 セオドアはよっぽど父に対する鬱憤が溜まっているのだろう。

 セオドアが成人してからこの数年、父は領地に関することでも、家庭内のことでも、面倒事はすべて長子であるセオドアに押し付けている。それでいて何か世間的に注目されそうなことだけは、すべて自分の手柄で持っていく。セオドアの苛立ちはどんどん積もり、その吐出口にキャレはいる。


 今も広間では、きっと父がそこらにいる貴族相手に、愚にもつかない自慢話をしているのだろう。その間にセオドアは、ハイディ夫人を休憩部屋に押し込み、万が一にも彼女の目に入らぬようにと、キャレを探し回っていたのだ。

 今、こうして釘を刺すために。

 キャレの消極的な判断は、ある意味正解であったわけだ。


「てっきり小公爵と一緒に姿を見せると思っていたのに、広間に入ってきた小公爵に近侍が一人もついておらぬから、一体どういうことかと思ったよ。…アドリアン()()も軽んじられたものだな」


 セオドアは口調だけは柔らかく言っていたが、途中から侮蔑をあらわにした。

 アドリアンを小公爵として呼ばないところだけとっても、十分に意趣を含んでいる。

 キャレに対して一言、釘を刺すだけで済むはずもないとは思っていたが、まさか矛先を小公爵さまに向けるとは…。

 キャレはキッとセオドアを睨みつけた。


「それは小公爵さまが、今日は家族と一緒に過ごせと仰せられたのです。ずっと離れ離れだったから、せめて今日くらいは…と」


 いつもであれば、キャレがセオドアに物申すことなど有り得なかった。しかし、ことアドリアンに対して、批判されるのは我慢ならない。


 意外にも言い返してきた()に対し、セオドアはピクリと眉を上げる。上っ面だけの微笑すらも消え、冷たかった目はますます厳しくキャレを睨み据えた。


「……こちらに来なさい」


 キャレの腕をがっしり掴むと、強引に引っ張っていく。

 無理矢理に連れて行かれたのは、小部屋から続く小さなバルコニーだった。

 セオドアはキャレを隅に追いやると、威嚇も露わに前に立って睥睨した。


「私の目が届かなくなった途端に、随分と生意気な口をきくようになったではないか? これもアドリアン()()の影響か?」

「……小公爵さまです」

「なんだと?」

「小公爵さま、です。ここはグレヴィリウス邸です。公爵家の人に対して、礼儀を失しているのは兄上の方だと思います」


 ファルミナにいた頃のキャレであれば、セオドアにここまで威圧されれば、すくみ上がって震えるばかりであったろう。事実、さっきまではオルグレン家の面々と顔を合わせる、ということだけで震えていたのだ。

 だが、アドリアンへの誹謗を許すことはできなかった。それが例え長年に亘ってキャレに従属を強いてきた兄であっても。


 セオドアはもはや怒りを隠さなかった。


「貴様…っ」


 荒々しくキャレの髪を掴むと、苛立たしげに振り回して恫喝する。


「誰に向かって、そんな口をきいているんだ? よっぽどアドリアン()()に気に入られているようだな。服までもらって。フン! お下がりをもらって尻尾を振って、物乞いの真似か? 貴様にはお似合いだ…!」


 それでも大声で怒鳴るのだけ控えたのは、警備の騎士たちに見咎められるのを恐れたからであろう。


「お前のような、オルグレン家の面汚しがこの夜会に出るだけでも虫酸が走るというのに、賢しらに楯つくような真似を…どうやらロクな礼儀を教えてもらっていないようだな…!」


 キャレの頭を掴みながら、セオドアの手が振り上げられる。

 キャレは反射的に目を閉じた。


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