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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第二章

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第二十四話 領主館の春

 すったもんだの一騒動の後、一番変化があったのは、ミーナとマリーが西棟にあるオリヴェルの部屋の階下に移ったことだった。

 その部屋は元々はアントンソン夫人の小休憩所のような場所であったのだが、マリーが頻繁に(というより毎日)オリヴェルのところに行くこともあり、気難しいオリヴェルの世話係はミーナという既成事実が出来上がってしまったこともあり、


「それならばオリヴェルの近くにいた方がよかろう」


というヴァルナルの鶴の一声で移動させられたのだった。


 アントンソン夫人は厨房付きの下女であるミーナがでしゃばってくるのは不愉快であったが、これであの癇癪持ちの若君の面倒をみなくて済むのだと思うと、いっそせいせいして、ミーナにありとあらゆるオリヴェルに関する仕事を任せた。


 それこそオリヴェルの服や下着の洗濯から、給仕から、寝かしつけまで。

 ミーナは年老いたヘルカ婆を放っておくこともできず、厨房の仕事もしながら、新たに増えた世話係としての仕事も文句を言わずにやっていたが、とうとう無理がたたって再び倒れてしまった。


 ちょうどその場に居合わせたヴァルナルは、ミーナを部屋に寝かせた後、すぐさまアントンソン夫人を呼んだ。


「聞いたところによると、ミーナに洗濯までさせていたようではないか。なぜ、洗濯女中にさせない? 食事の片付けや朝の支度まで……」

「それは…お坊ちゃまがいたくミーナを気に入っておりますので…」

「ミーナに世話係を任せたからといって、他の女中の仕事をさせるようにと指示した覚えはない。この程度のことで、私に口を出させるような無能者はいらぬのだぞ、夫人」


 静かな恫喝に、夫人はゾオーッと背筋が凍りついた。

 同時にオリヴェルだけでなく、どうやら領主様にとってもミーナは特別な存在らしい、と推量する。

 下手にミーナに嫌がらせなぞすれば、簡単に解雇されるだろう。紹介状すら書いてもらえぬかもしれない。


 アントンソン夫人は深々と頭を下げて陳謝した後、すぐさまオリヴェル付きだった女中のゾーラを呼びつけて、今後は絶対にミーナに洗濯をさせず、朝の支度も以前のように女中達の持ち回りで行うよう言いつけた。


 ミーナに仕事を回せて楽ができたと喜んでいた西棟の女中達は、アントンソン夫人の厳しい叱責と、もし今後ミーナの負担になるようなことをすれば、この館から追い出されることを覚悟しろと脅され、一気に肝を冷やした。


 その後は多少時間の余裕もできたミーナではあったが、やはり朝早い厨房の仕事と、オリヴェルの世話係の両立はなかなかに大変だった。

 相変わらず、文句を言わずに忙しく働き回るミーナを見て、ヴァルナルは古参の料理人であるヘルカ婆を呼んだ。


「ヘルカ婆よ、申し訳ないがミーナにはオリヴェルの世話を(もっぱ)ら任せたいと思うのだ。新たな厨房の下女を雇うまで、しばらく頑張ってもらうことはできるか?」


 しかしその申し出に、ヘルカ婆はよりよい提案を示した。


「いえ、ご領主様。実は婆めも相談したいことがございました。といいますのも、我が娘…えー、確か今年で三十八だったか、九だったか…紫梟(シキョウ)の年の生まれでございますが…まぁ、それはよろしゅうございます。その娘の夫が先月、病気で亡くなってしまいまして。寡婦となった娘と孫二人を呼び寄せることができましたら、婆めも爺も安心して隠居できるというものでございます」


 ヴァルナルは快諾した。


 それから数日も経たないうちに、パウル爺そっくりのヘルカ婆の娘・ソニヤは、成人した娘と息子と共にレーゲンブルトにやって来た。

 娘のタイミはソニヤと共に厨房付きの下女となり、息子のイーヴァリはパウル爺について庭師見習いとして働き始めた。


 一方、オヅマである。


 マリーとミーナにあてがわれた部屋が三人で起居するには手狭であるのに加え、オリヴェルの世話で夜遅い時間に戻ってきて、短い睡眠をとっている母の邪魔をしたくなかったので、オヅマは小屋に留まることにした。


 ここであれば、朝早い時間に多少物音がしても、ミーナが敏感に起きてくることもない。最初は少しだけ寂しかったが、別に会えないわけでもないし、慣れてくると一人でいるのは気楽なものだった。


 月の冴えた晩に、昔、ミーナがよく歌っていた歌を歌うのも良かったし、夜の眠れない時にひたすら木剣の素振りをするのも自由である。

 それまではさほど気にしていなかったが、ミーナもやはり親なので口うるさく言われることもあり、多少鬱陶しかったんだな…と、子供ながらに思ったりする。


 そんなことを厨房の新たな料理人となったソニヤに言うと、「フン。ツッパっちゃって」と軽く笑われた。

 小麦袋を運んだお礼に、今日のおやつのスコーンをつまみ食いしていたオヅマはムッと言い返す。


「なんだよ、本当にそう思うんだから」

「ハイハイ。アンタの母親は立派に息子を育てているよ。ちゃあんと、巣立つ準備もしてるってワケだ。さすがだね」

「なんだよ。結局、褒めてんのは母さんじゃんか」

「そりゃあね。あんな出来た人は帝都(キエル=ヤーヴェ)にだってそういないだろうよ」


 何気なく言われた『帝都』という言葉に、いまだに顔が一瞬こわばるのは何故だろうか。

 オヅマは誤魔化すように大口開けてスコーンを食べながら、ソニヤに尋ねた。


「…帝都に行ったことがあるの?」

「一時ね。小娘の憧れってモンさ。商家で女中をしてたが、そこで旦那に会って、それから旦那につき合って……ま、私もあちこち巡り巡ってここに戻ったってことさ。それより、オヅマ。私は時々閃くんだよ」

「は?」


 オヅマは聞き返しながら、2個めのスコーンに手を伸ばしたが、ソニヤは容赦なく引っぱたいた。


「痛ぇッ! なんだよ、もう…」

「オヅマ、ちゃんとお聞き。予言だよ。ミーナはおそらく領主様の奥方になるであろう……」


 いかにも占い師然と厳かな雰囲気でソニヤは言ったが、持っているのが笏杖ではなく、オタマなので、まるで信憑性がなかった。

 そもそも、予言の内容自体が有り得ない。オヅマは狐につままれたような顔になった後、プッと吹いた。


「馬ッ鹿で~。ソニヤさん、冗談キツイよ。ナイナイ、ムリムリ」

「フン。子供にゃわからないだろうよ」

「子供だってわかるよ。一介の召使いが領主様の奥方になんて…どんな絵物語さ。夢見過ぎだよ」


 普通に考えれば、オヅマの言っていることはもっともだった。

 ただ、領主館にいた使用人達は徐々に気付き始めていた。

 当人達が自覚する以上に、客観的にはヴァルナルの態度はわかりやすいものだったからだ。


 その最たることは、本来であればとっくに公爵領アールリンデンに向かう時期だというのに、いまだに領主館に残っていることだった。

 一応、名目では春先に紅熱病の流行があったせいで、仕事が滞っている…と公爵家には説明しているらしかったが、それだけでないのは明らかだった。


 使用人たちは噂した。


「やっぱり…ミーナかねぇ?」

「そうだろうよ。やたら頻繁に呼びつけては、オリヴェル様のことを聞いてるっていうが、今までの世話人の女には、そんなことなかったじゃないか。むしろ、遠ざけたりして…」

「下手すりゃ、来月までいらっしゃるんじゃない?」

「いや~、そりゃないだろ。来月ったら、緑清(りょくせい)の月になっちまうじゃないか。朔日ついたちには公爵様とご一緒に帝都に行かないといけないだろう?」


 毎年、各地に散った貴族達は、緑清(りょくせい)の月朔日(ついたち)には自分たちの所領から出立して、帝都に向かうのが慣例となっている。

 ヴァルナルもまたそれに合わせて、公爵と共に向かうため、それまでに公爵本領地(アールリンデン)に到着していることが、必須なのだ。


 確かに紅熱病の流行で多少遅れるのは仕方ないとしても、季節が暖かくなるに従って流行も既に終息しているというのに、まだ向かおうとしないのは、公爵様一筋の忠義者のヴァルナルには珍しすぎることだった。


 その理由を考えた時、昨年までと違うことといえば、一つしかない。


「領主様にも春が来たねぇ~」


 多くの使用人達は、この領主様の不器用な意思表示を微笑ましく見守った。

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― 新着の感想 ―
まぁ、明らかに貴族社会について学んだ痕跡があるもんねぇ。しかも古流ということは歴史のある家……
[良い点] >予言だよ。ミーナはおそらく領主様の奥方になるであろう…… オタマ持って占う台所の片隅が、すごく目に浮かんで、何度読んでも笑っちゃいます!
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