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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三章

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第二百四十三話 修行開始

 ルミアの問いに、オヅマはしばらく答えられなかった。


 知っている、と言ってもそれは()の話で、現実においてオヅマはリヴァ=デルゼを知らない。

 会ったこともない。

 たとえ今、このときも()の中のリヴァ=デルゼの哄笑(こうしょう)が、脳髄に染み込んでズキズキ痛んでいたとしても…。


「知りません」


 静かに答えると、オヅマはギュッと唇を引き結んだ。

 何を聞かれようと、そうとしか答えることはできない。

 ()のことを思い出すのも、話すのも嫌だったし、信じてもらえるはずもないのだ。


 ルミアは深刻な顔で黙すオヅマを、しばらく見つめていた。

 大きなセピアの瞳がじっと見てくる。 

 それはリヴァ=デルゼのように威嚇するものではない。問い詰めるものでもない。だが、穏やかでありながら透徹とした光が、オヅマを貫くように見ていた。

 ちょっとした嘘程度なら、この目の前で洗いざらい白状しただろう。

 だがオヅマのそれは嘘ではなく、()物語でしかないのだ。本気で話し始めたら、気が狂ったと思われる。


 剣術の試合で対峙するかのように、オヅマは必死でルミアの目に耐えた。

 にらみ合いは思ったほど長く続かず、先に目を伏せたのは、ルミアのほうだった。


「あぁ、そうかい。じゃ、いいや」


 軽い溜息とともに、あっさりと自らの疑問を放り出す。

 オヅマは面食らった。


「へ?」

「なんだい、拍子抜けみたいな顔して」


 ルミアのセピアの瞳がジロリとオヅマを見たが、そこには特に疑心暗鬼な様子もない。ふたたび煙管(キセル)を咥えて煙草をのむと、プハーっと煙を吐いて言った。


「私は面倒くさがりでね。当人が言わないことを、いちいち聞いて厄介事をかかえるのも御免蒙りたいし…ま、アンタが娘を知っていたところで、私がアンタに教える内容が変わるわけでもない」


 オヅマはゴクリと唾を飲んだ。

 反射的に体が強張ったのは、リヴァ=デルゼから受けた修練を勝手に記憶しているからかもしれない。


「あの…修練の内容って、どんなものですか?」


 思い切って尋ねると、ルミアはクッと片頬に笑みを浮かべた。


「とりあえずは、スジュの実を当てられないように、川まで辿り着くことだ」

「え?」

「しばらくは、あの豆猿共がアンタの師匠になる」


 ルミアの言葉通り、翌日からオヅマはほぼ毎日、豆猿たちに()()をつけてもらうことになった。



***



「だーッ!! テメーらッ!」


 怒鳴りつけながら逃げ回るオヅマの背に、またスジュの実が一つ当たる。


 すばしこい豆猿たちは、木の上からだけでなく、地上にまで降りてきて足元から投げてくることもあり、それこそ全方位からオヅマに襲いかかってくる。

 いや、正確には彼らはオヅマを襲っているというより、オヅマ()遊んでいた。


 ルミアはこの一帯を縄張りとしている豆猿グループを餌付けして、彼らに修行にやってきた人間の稽古をつけてもらっているらしい。

 多くの修行者達がルミアの元を早々に去っていくのも、この屈辱的な稽古についていけない…という理由もあった。

 確かに貴族や、騎士として代々家門を継いできた誇り高い者であれば、猿ごときに馬鹿にされているかのようなこの修行を、耐え忍ぶのは難しかったろう。


 しかもルミアからは猿に手出しをすることは、重く禁じられている。

 もし、猿に対して攻撃を行った場合には、修行の一切を停止され、主君には「恥知らずの不埒者」と通告された。

 これはもはやその家門で騎士としての職を奪われるに等しい。

 騎士でなくとも、ルミアは近隣の傭兵組織にも顔がきくので、もし『埒外者(ゼルガイ)』の書状が出回ったときには、戦士として働くのも容易でなかった。

 どちらにしても、猿への暴行が明らかになった時点で、ルミアの鉄拳制裁は覚悟せねばならない。


 オヅマは豆猿たちの()()を屈辱とは感じなかった。

 そもそも容赦なく投げてくる実を避けるのに必死で、そんなつまらないことを考える暇もなかった。

 最初に魚を取りに行ったときと同じように、シャツをほぼ真っ黒にしては、洗濯草で洗う日々が続いた。


「あんなの、どうやってよけろってんだ…」


 ボヤくオヅマの横には、まったく汚れていないハルカがいる。


「お前、どうやってよけてるんだ?」


と、オヅマが聞いても、ハルカは表情を変えずに目を瞬きするだけだった。


「まだまだだねぇ」


 ルミアは今日も洗濯するオヅマを見て笑った。


「無理ですよ。一個よけても、次には後と横から来るんだから」


 オヅマがぶつぶつと文句を言うと、ルミアはフンと鼻をならす。


「そうかい。ヴァルナルなら、全部よけてるだろうがね」

「………」


 ヴァルナルの名前を出されてはグウの音も出ない。

 確かに『澄眼(ちょうがん )』の稀能(きのう)を発現すれば、猿たちの投げてくるスジュの実もまたゆっくりと見えて、よけることなど造作もないのだろう。


「アンタはまだまだ限界が早いね」

「限界が早い?」

「最初の十個までは、まぁまぁよけられる。でも、走っていくほどに、当てられる数が増える。粘り強さが足りない。途中でへたばっちまうのさ」

「………」


 オヅマはムっとなった。

 レーゲンブルトにおいても、公爵家の騎士団での訓練においても、オヅマはそこそこ体力のあるほうだとされていた。カールのような華麗な剣技は無理だとしても、粘り強さ(スタミナ)には定評があったのだ。


 ルミアは明らかにふてくされたオヅマを見て、片頬を上げて笑う。


「不本意、と言いたげだね」

「……正直、騎士団の走練だって、俺は一番最後まで残ってます」


 騎士団で行われる走練は、速さを競うものよりも、長く走っていられることのほうが重要視される。オヅマは持ち前の負けず嫌いもあって、終了を言い渡されるまで走っていることが多かった。


 しかしルミアはヒラヒラと手を振った。


「あんなの、チンタラ走ってるだけじゃないか。足を動かしてるってだけだよ。ま、自信があるなら……」


 次の日から、ルミアは早朝の走練を課した。

 しかも背負子(しょいこ)を背負わされ、二山越えて、最近間引きが行われた森まで行って、間伐材を(まき)にして持って帰ってくるように指示された。


「ふん。余裕だ」

「そうかい? あの子にどこまでついていけるかねェ?」


 言ってるそばからハルカは黙々と準備して、さっさと出発する。


「馬鹿にすんなよ、婆さん」


 気安い口調で言って、オヅマは走り出した。

 走ることは、オヅマの得意分野であった。昨日も言ったが、レーゲンブルトにいた頃でも、走練では騎士団の誰にも負けたことはない。そもそもヴァルナルに目をかけられたのも、ラディケ村からレーゲンブルトまでの距離を、とんでもない速さで走ってきたことが発端だと、のちにカールから聞いている。


 豆猿たちからの()()ではハルカに遅れをとっても、山を走るだけならば負けることはないだろう…。

 オヅマは余裕綽々と走り出した、が。


 

***



「情けないねぇ。いつまで座りこんでるんだい。とっとと飯食って、豆猿たちのところに行きな!」


 ようやく帰ってきたものの、薪の入った背負子をドサリと降ろしたと同時に、オヅマはその籠に寄りかかるように座り込んで動けなかった。

 目の前では、ハルカが自分が運んできた薪を薪小屋に置いていっている。その顔は同じ距離を走ってきたとは思えぬほど平然としていた。


「化物かよ、お前は…」


 何気なくつぶやくと、ハルカが暗い目でジッと見てくる。すぐにオヅマは訂正した。


「違う。お前がスゴイ奴ってことだ」

「ハハッ! レーゲンブルト育ちの騎士見習いも兜を脱いだかい」


 ルミアに笑われても、オヅマはもはや何も言えなかった。

 実際、自分が未熟であることは、今回の山走りで痛感した。


 豆猿たちからの稽古は慣れないものであったから仕方ない、と誤魔化せたが、走る訓練はレーゲンブルト騎士団にいた頃からやってきたことだった。それもオヅマには自信があったのだ。

 しかし、ハルカの脚力はオヅマの想像を遥かに超えていた。


 小川を軽く飛び越え、坂道を駆け上り、険しく足場の悪い獣道でも、一向に速度が落ちることはない。ほとんど壁のようになっている岩場もあったが、這い登るのも降りるのも、それこそ猿のように速かった。

 それに健脚であるという以上に、身体をそこまで酷使しても、ハルカが息を乱すことはほぼなかった。

 心肺機能の鍛え方が違うのだ。しかし ――――


「これって……『澄眼』に関係あるんですか?」


 オヅマが尋ねると、ルミアはフフンと笑った。


「訓練を()()()のと、()()は違うんだよ。何のためかは、自分で考えな」


 言い捨てて、ルミアはオヅマに背を向ける。


「…クソ…っ」


 オヅマは自分がみっともなくて、苛立った。

 ルミアはオヅマが迷っていることに気付いているのだ。

 豆猿たちからの稽古にしろ、この走練にしろ、いったい何のためにやっているのかわからない。

 その上、その与えられた課題を、何一つ満足にこなせていない自分…。


 黙念と地面に座り込んでいるオヅマの前に、いつの間にかハルカが立っていた。

 顔を上げると、やっぱり表情のない一重の瞳が、オヅマをじっと見つめていた。


「なんだ…?」


 問いかけると、ボソリとハルカが言う。


「……なれ」

「なれ?」


 問い返すオヅマにハルカは頷いた。

 もう一度言う。


「なれ。なれる」

「なれる…?」


 ハルカは頷くと、オヅマの()ってきた薪を運んでいく。

 オヅマもノロノロと立ち上がると、薪を運びながらつぶやいた。


「なれ…なれ…なれる…馴れる…?」


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