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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第二章

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第二百二十一話 隠された恥辱

 ヴァルナルは言葉に詰まった。

 だが、こうして尋ねてくるということは、公爵もまた、疑念の範囲内であるということだろう。


「……ございません」


 しばし考えて答えたヴァルナルに、公爵は眉を寄せた。


「それがお前の選んだ()()か?」

「何のことを仰言(おっしゃ)っておられるのか、わかりかねます」

「ほぅ、そうか」


 公爵の顔はいつもよりも冷たく、声には苛立ちが含まれていた。

 吐き出した紫煙が天井へとたゆたって上りゆくのを見つめながら、公爵は独り言のようにつぶやいた。


「……十三年ほど前のことだったか。我が姉が不名誉な死を迎えたのは」


 ヴァルナルはいきなり公爵が始めた話に目をしばたかせた。


 公爵の姉・エレオノーレが貴婦人にあるまじき不行状によって、悲惨な死を迎えたことは、公爵家にとっては恥辱であり、語ることも許されぬ禁忌であった。

 ヴァルナルは当時、南部戦役に出征していたため、詳しいことはよくわからない。  

 ただ、ある時を境として、公爵を始めとして誰一人、エレオノーレに関することを話さなくなった。いや、なんであれば当初から公爵家に存在していなかったがごとき扱いであった。


 それなのに今、公爵が唐突にその姉の話を始めたことに、ヴァルナルは困惑するしかない。


「そなたは遠く南の戦で忙しかったゆえ、知らぬであろう? 我が姉が ――― いや、正式なる名前で呼ぶならば、エレオノーレ・モンテルソン()大公妃殿下の犯した恥ずべき罪が何であったか…」


 聞くほどに不気味で、ヴァルナルは答えを知りたくもなかったが、公爵の(とび)色の瞳は先を促すことを無言で訴えてくる。

 ヴァルナルは気を落ち着かせるように、一つ息をついてから尋ねた。


「何であったのでしょうか?」

「下賤の男共と遊び呆けた挙句、病に罹ったのだ」

「それは……」


 ヴァルナルは絶句した。

 その先の言葉は頭に浮かんだが、故人の、しかも元とはいえ大公妃殿下であった人のことである。口に出すのは憚られた。

 しかし公爵は無表情に言い放った。


瘡毒(そうどく)よ。見るも無惨な姿になる前に、自らを()じて死を選んだ。どちらにせよ、名誉なことではない。大公側からは長きに亘って姉の侍女を務めた者、姉に男を紹介していた仲介人らなどからの聞き取りで、結婚以前より姉にそうした()()があることがわかり、こちらに賠償を請求してきた。

『そのような荒淫なる女と大公を結婚させたのは、グレヴィリウスの落ち度である。あるいは大公殿下にも病の危険があったやもしれぬ』…とな。公爵家にとっては恥ずべき事態であるゆえ、すべてを秘匿するという条件もつけた上で、その代償としてエン=グラウザを差し出すしかなかった」


 南東にある島嶼(とうしょ)群の一つ、エン=グラウザ島は元はグレヴィリウス公爵家の所有であった。

 元は小さな漁村があるだけの貧しい島であったが、そこにある山がダイヤモンド鉱山であることがわかり、公爵家における重要な収入源の一つとなっていた。しかも南部戦役における補給路の一つとして港湾施設が整えられ、この十数年での発展はめざましい。


 ヴァルナルは公爵家の内政については無頓着であったので、詳しくは知らなかったが、大公家とグレヴィリウス公爵家間の微妙な確執については薄々感じていた。

 近いところで言うなら、小公爵であるアドリアンと大公家のシモン公子との(いさか)いがあったことで、家臣団の中には忌々しげに舌打ちして「()()()()()()()()大公家と!」と、声高に言う者もいたのだ。

 その時は大して気にも留めなかったが、今となれば彼らが過敏になって言い立てるのも無理ないことだった。


 だが今、そのことよりも問題とすべきは ――――


「それとミーナのことで何か関わりでもあると申されるのでしょうか?」


 思いきって尋ねたヴァルナルに、公爵は答えることなく、また全く別の話題を持ち出す。


「オヅマと言ったか? お前の新たな息子の名前は」

「は? あ……はい」

「肌の色と瞳の色は母親から引き継いだらしいな。確かに西方の民の血が混じっている。だが、髪は何処(いずこ)から引き継いだのか…当人も知らぬようだ」


 ヴァルナルの顔は強張った。自然と目を伏せてしまう。


「そなたも少しは覚えがあるのではないかな? 今のお姿が印象深いので忘れてしまうが、大公殿下もまた、あの者と同じような髪色をしていたのだ」

「それは…」


 言いよどむヴァルナルに代わって、ルーカスが首を傾げて尋ねた。


「恐れながら、閣下。さすがに髪色だけで類推するのは乱暴だと思いますがね。正直、オヅマの髪色はそう珍しくもないものですよ。閣下と小公爵のような髪色であれば、それは間違いなく親子であると認められるでしょうが」

「わかっている」


 否定されても、公爵の声に苛立ちはなかった。やや皮肉げな笑みを浮かべつつ、淡々と話を続ける。


「…ルーカス、男爵の新たな息子の年齢は?」

「十二と聞き及んでおります」

「我が姉が不行状によって亡くなったのは十三年前。その一年後に生まれた子供。母親の腹におる頃であれば、我が姉の亡くなった時期に重なる」

「それは、偶然でございましょう!」


 ヴァルナルはさすがに強く反論した。


 肝心なことに触れない公爵の真意については理解しても、先程聞いたばかりの公爵の姉・エレオノーレの自死とオヅマの誕生に関係があるなどとは思えない。

 しかし公爵はまた無表情となり、鳶色の瞳をすうっと細めた。


「そう…偶然だ。だが同時に、不思議なことよ。男爵夫人がそれまでの身分にそぐわぬほどの礼儀作法を身につけておるということが。正直に答えよ、ヴァルナル。今日のこの(もてな)し、お前の差配によるものか?」

「………いえ」


 ヴァルナルは苦しげに否定する。さっきルーカスにも言ったばかりだ。

 執事であるネストリのいない中、ミーナの采配によって、領主館はその客に相応(ふさわ)しい様相に作り変えられた。


 ありとあらゆる磨けるものは磨き抜かれ、手すりなどは木目の表情も判別できるほどつややかに、廊下を照らす銀の燭台一つ一つに至るまで徹底的に。

 館内の美術品や絵画などが飾られてあった広い廊下には、現グレヴィリウス公爵本人の肖像画と、それより幾分小さいヴァルナルの肖像画が掛けられ、その間にはヴァルナルが公爵から拝領した甲冑が飾られた。

 吹き抜けとなっている玄関広間中央の階段上からは、グレヴィリウス公爵家の紋章が染め抜かれた幕と、レーゲンブルト騎士団の幕が並んで垂らされており、これは公爵への歓迎と忠誠を示すものだった。

 この客室も、赤褐色であった絨毯は群青色の地味な柄のものに変えられ、カーテンなどの織物類も、同じ色合いの生地で揃えられてあった。家具は基本的に白を基調として統一してあるので、おそらく公爵家を象徴する色である青と白に合わせたのだろう。


「このような辺境で、こうまで行き届いた饗応を受けるとは思わなかった。先程の晩餐も…献立に合わせて使用する食器、燭台や花器の選別、配置に至るまで…よほどに有職(ゆうそく)に通じた者でなければ、用意できぬであろう。そう…たとえば皇宮の女官などのように」


 以前に弟にも言われたことだった。

 ヴァルナルは顔を固くしたまま、黙り込んだ。


 公爵は葉巻を(くゆ)らして返事を待っていたが、何も言わぬヴァルナルに軽く吐息をつくと、更に畳み掛けた。


「あの当時、姉の死についてこちらでも調査した。結局、我が姉の恥辱に(まみ)れた罪が覆ることはなかったが。姉の死に前後して、家令を始めとして数人の執事や従僕、下女なども問責を受けて解雇された。その後は行方をくらましたもの、()()()()()()()()を遂げたもの…様々だ。行方不明者の中には、大公家にて皇宮の女官とすべく養育されていた娘もいたらしい」


 ヴァルナルは息を呑んだ。

 ついに我慢ができずにその場に崩折れるように跪く。


「……公爵閣下、お許し下さい。今、私から申し上げることは、何もございません。ミーナは一生言わぬと決めています。私もまた、妻の選択を尊重します」

「…………」


 公爵は陰鬱な目でヴァルナルを見下ろした。


 ちょうどその時、ノックの音が響いた。

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