第十九話 オヅマの覚悟
「オヅマ、領主様がお呼びだ」
三日寝込んだ後、快癒したオヅマに声をかけてきたのは騎士団の副官であり、アルベルトの兄でもあるカールだった。
オヅマにとっては剣術の師匠で、最近では親しくなって軽口も叩ける間柄だったが、その顔はいつになく暗く少し怖かった。
オヅマは直感した。
ずっと保留になっていたオリヴェルの部屋に忍び込んでいた件について、とうとう裁かれる日が来たのだ。
マリーはカールの顔を見た途端に、嫌な予感がしたのか、オヅマの腰に抱きついてくる。
「大丈夫だ」
オヅマはマリーの頭を撫でて笑ってみせた。
内心で、これからどうするかを素早く決める。
とにかくマリーと母だけはここで面倒を見てもらえるように、なんとしても頼みこまねば。
幸い、オリヴェルが母になついているらしい…とアルベルトから聞いていた。
オリヴェルの世話係として、母を置いてもらえる可能性はある。
自分はここから出されても文句は言えない。自分だけなら、どうにでもなる。
マリーはおそらくオヅマの決意を感じ取ったに違いなかった。より強く抱きついてくる。
「マリー、待たせたら怒られるよ。な? 掃除、お兄ちゃんの分もやっておいてくれるか?」
オヅマは箒をマリーに持たせた。
さっきまで久しぶりに小屋の掃除をしていたのだ。
「絶対に、戻ってきてよ!」
「………」
オヅマはこういう時、自分の妙に正直な性格を恨んだ。
絶対、と言われると頷くことができない。
あるいはもしかしたら激昂したヴァルナルが、騎士達に命じてオヅマを領主館から叩き出すことだって、ないこともない。
一瞬、想像してから首を振った。
いや、ヴァルナルは寛容な人間だ。せめて家族との別れぐらいはさせてくれるはずだ。
オヅマは微笑んでマリーに手を振ると、カールの後についていった。
◆
ヴァルナルの執務室に入ると、正面の大きな執務机を挟んでヴァルナルが座り、その背後にはパシリコが控え、机の手前にはネストリが姿勢正しく屹立して、入ってきたオヅマを横目で睨みつけていた。
「さて…何か言うことはあるか? オヅマ」
ヴァルナルは自分が呼びつけたが、その理由をオヅマに尋ねた。
すぐにオヅマは平伏した。
「申し訳ありません! 若君と会っていました!」
素直に告白すると、ネストリは前と同じように勝ち誇ったように叫んだ。
「私の言った通りでしょう!」
ズイとオヅマの前に進み出て、これみよがしに大仰な身振りでヴァルナルに訴える。
「誰の紹介もなく、卑しい親子などを簡単に雇うから…若君のお部屋に忍びこんだだけでなく、恐ろしい病気まで持ち込んで!」
ヴァルナルはしばらく黙ってオヅマを見つめていた。
「……オヅマ。オリヴェルとはいつ頃から仲良くなったのだ?」
ヴァルナルの問いかけにオヅマが答えるよりも早く、ネストリが裏返った声で遮る。
「領主様! そのようなこと、どうでもよろしいでしょう!!」
ヴァルナルは軽く息をついて、ネストリをたしなめた。
「必要があるから問うている。しばし口を閉じよ、ネストリ。――――で、どうなのだ? オヅマ」
「えっと…領主館に来てから一ヶ月くらいしてからだから…雪解け月の終わりくらい」
「む。かれこれ一月弱といったところか。マリーもか?」
「はい。でも、あの…皆に…大人には内緒にしようって言ったのは俺なんです。だから、マリーもオリヴェルも……若君も悪くないんです」
「なるほど。三人の中では一番の年長であるお前の責任は重いな」
「はい、そうです。だから二人は悪くありません。俺の言う通りにしただけです」
ヴァルナルは椅子の背にもたれかけて、愉しげな表情を浮かべる。
だが、平伏したオヅマには見えず、沈黙がただただ重い。
「息子は体が弱い。普通の子供のする遊びなどできないだろう。お前達、三人集まって何をしていたのだ?」
それはヴァルナルの単純な興味だったのだが、オヅマは質問の意図が読めずに困惑した。
「えっと…なんか絵札を使ったゲームとか、駒取りとかをオリヴェル…じゃなくて若君に教えてもらったり、マリーが綾取りを教えたり、俺がその…色々…騎士団の話とかして」
「騎士団の話? オリヴェルがそんなものを聞いて喜ぶとも思えないが…」
ヴァルナルが意外そうに言うと、オヅマは思わず顔を上げた。
「そんなことないです! オリヴェルはいつも聞きたがってました。領主様の戦った時の話とかしたら、すごく興奮して、誇らしげでした」
「………」
ヴァルナルはなんとも言えず、オヅマを静かに見つめる。
「お前がどうして領主様の戦っている時のことを知っているんだ?」
問うたのはカールだった。
オヅマの目が泳ぐ。
カールはフンと鼻をならすと、腕を組む。
「大方、ゴアンかサロモンあたりに吹き込まれたな。アイツらのことだから、それ以外のつまらん与太話も話しているんだろう…」
オヅマはとりあえず黙って、再び頭を下げる。
ここで余計なことは言うべきではない。下手すればゴアンとサロモンが鉄拳制裁を受けるかもしれない。
「オリヴェルがな…そうか…」
ヴァルナルは独り言ちた後、立ち上がってオヅマの前まで歩いてきた。
しゃがみこむと、オヅマの肩に手を置く。
「顔を上げなさい、オヅマ。どうやら息子と仲良くしてもらって、礼を言わねばならないようだ」
オヅマは戸惑ったように顔を上げたが、すぐに俯いてつぶやくように言った。
「でも…今は喧嘩して…まだ仲直りしてないし…」
「そう言えば、そんなことを言っていたな。あの息子が喧嘩とは…」
ヴァルナルにはいつも気弱そうに、白い顔をしてうつむきがちのオリヴェルの姿しか思い浮かばなかった。まさかオヅマと喧嘩ができるほど、元気になっていたとは。
「仲直りをする気はあるのだな」
ヴァルナルは朗らかな笑みを浮かべて立ち上がると、厳かに裁定を下した。
「息子と会ったことについては不問にする。但し、これまでと同じく息子に友情を持って接すること。いいな、オヅマ」
オヅマは信じられないようにヴァルナルを見つめた。
穏やかな表情のヴァルナルに泣きそうになる。
「はい!」
ありったけの大声で返事する。
ほぼ同時にネストリが引き攣った顔で、わななきながらヴァルナルに進言した。
「領主様…それでは下の者に示しがつきません! この者は決して若君に会ってはならぬという決まりを破ったのです! その上で若君に伝染病をうつして―――」
そこまで言った時に、バタンとドアが開いた。
その場にいた人間全員がドアの方を見れば、オリヴェルとマリーが顔をしわくちゃにして大泣きしている。
「ぼっ、僕が…っ…僕が悪いんだっ! マリーもオヅマも悪くない!!」
オリヴェルが泣きながら、必死に訴える。
横のマリーも必死に言葉を紡ごうとしていたが、しゃっくり返って言葉にならないようだった。
全員が唖然となって、しばらく執務室には子供の派手な泣き声だけが響いた。