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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第七章
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第百四十八話 女中エッラ

 時間は少しばかり戻る。


 騎士団での朝の仕事をひとまず終えた後、オヅマは学習室へと向かっていた。途中、階段から降りてくる(ミーナ)と行き合う。


「あら、オヅマ。今からお勉強の時間?」

「うん。母さんは?」

「私は、ちょっとお手伝いよ。お客様が沢山おみえだから、皆、色々と忙しいみたい」


 オヅマは眉を寄せた。

 東塔下に増築された別館で、黒角馬の研究の為にやってきた学者らが寝泊まりしているのは知っている。そのせいで、領主館の使用人たちがてんてこ舞いだということも。


 だが本来、ミーナはオリヴェルの世話係だ。


 最近、大勢の客が来て忙しいことにかこつけて、何かとミーナに仕事を頼んでくる人間が多い。ソニヤのように、本当に忙しいから頼んでくる者もいたが、中には元々厨房の下女であったミーナへの嫉みから、面倒を押し付けてくる者も多かった。


「誰に言われたの?」

「え? エッラからだけど」

「……無視しとけよ、そんなの」


 領主の部屋付き下女のエッラは、オヅマら親子が領主館で働き始めた頃から、何かと意地悪をしてくる性悪女だとオヅマは思っている。


 しかし、ミーナは首を振った。


「忙しいのよ、本当に。若君のお勉強の時間であれば、私の体は空いているから、その時ぐらいは手伝わないと」

「母さんが働いている間に、あの女はゆっくり茶でも飲んで悪口ばっかり言ってるさ」

「あの女、なんて言っては駄目でしょう! この前もジーモン先生に注意されていたじゃないの。気をつけなさい。じゃあ勉強、頑張ってね」


 ミーナはそれ以上オヅマに止められる前に、東塔の方角へと向かっていく。

 オヅマは釈然としないながらも、自分もまた授業の時間まで間もなかったので急いだ。


 学習室に着くと、既にオリヴェルが来ていて、今日勉強するルティルム語の予習をしていた。


「あ、オヅマ。おはよう」


 朗らかに朝の挨拶をしてくるオリヴェルの横に座りながら、オヅマは早口で尋ねた。


「オリヴェル。さっき母さんと会ったんだけどさ、エッラが何か言いに来たのか?」

「え? あぁ…うん。来てたよ。何か呼ばれてるから行ってきて欲しいって」

「呼ばれてる?」

「僕もちゃんと聞こえなかったけど、誰かがミーナを呼んでるから行ってきてほしい、って。僕もちょうど授業の始まる時だったから、二人で一緒に部屋を出て、途中で別れたけど……」


 オリヴェルは話しながら、どんどんオヅマの顔が険しくなっていくので、小さな声で尋ねた。


「なにか、いけなかった?」

「いや……」


 オヅマはしばらく考えこんだ後、立ち上がった。


「ちょっと行ってくる」

「え? なに? どうしたの?」

「ミドヴォア先生には、罰は後で受けますって言っておいてくれ」

「えぇ?!」


 オリヴェルが驚いている間に、オヅマは学習室を飛び出した。


 すぐに向かったのはリネン室横にあるちょっとした物置部屋だった。

 物置部屋といいながら、実のところ下女達の休憩室のようになっていて、中にはテーブルに椅子が四脚、仮眠用の寝椅子カウチまである。


 荒々しく扉を開けて入ってきたオヅマに、椅子に座ってのんびりお茶を飲んでいたエッラと、同じく下女のアグニがビクリと振り返った。


「ちょ…何よ、急に」

「母さんを呼んだのって、誰だ?」


 オヅマが尋ねると、アグニは首をかしげ、エッラはフンと鼻をならしてそっぽを向いた。

 オヅマはつかつかと中に入っていくと、エッラの前に立った。


「誰だ、って訊いてるんだよ」


 エッラはジロリと横目でオヅマを睨んだ後、ハア~といかにも面倒そうに溜息をつく。


「なんでアンタにそんなこと言われなきゃなんないのよ。領主様に気に入られてるからって、調子に乗るんじゃないわ。ここじゃ、アンタも、アンタの母親も新参者なんですからね」


 領主館に勤める地元の人間は概ねオヅマら親子に優しく、特にミーナの礼儀には見習うべきところが多かったので、好意的に接してくれていたが、中には例外もいる。エッラなどは、そうした者達の急先鋒とも言うべき存在で、日頃から何かと陰湿な嫌がらせをしてきた。


 オヅマはギリと歯噛みしたが、赤くなった顔はすぐに冷たく無表情になった。以前であれば怒り狂って、エッラに掴みかかるくらいのことはしていたが、アドリアンの言葉を思い出したのだ。


 まだアドリアンが領主館にいた頃、エッラがマリーの育てていた花をわざと枯らした――無論、当人はそんなことは認めなかったが――ことがあり、そのことでオヅマはエッラを責め立てた。

 それこそ飛びかかって殴りそうになったのだが、アドリアンは止めてオヅマを諌め、エッラに静かに警告したのだ。


「非道なことをした人間を、領主様が許すと思いますか?」


 結局、その後にエッラはネストリを通じてヴァルナルから譴責処分を受けた。


 この時アドリアンはオヅマに一つ助言した。


「オヅマ。彼らみたいな手合いはね、大して悪いことをしたと思ってないんだ。だから、自分が何をしたのか自覚させる方がいい」


 そのあとしばらくおとなしかったが、反省はしていなかったらしい。

 オヅマは冷たくエッラを見据えた。


「今、オリヴェルが倒れて世話係の母さんがすぐに駆けつけることもできなかった場合、領主様は理由を尋ねるだろうな。その時に俺はオマエに仕事を押し付けられたんだと言うことになる。それでいいわけだな?」

「なんですって!? 勝手なことを」

「勝手をしているのは誰だ? 母さんがオリヴェルの…若君の世話係をしているのは、領主様からの命令だ。その命令を無視して、勝手を言っているのはオマエの方だろう」


 エッラは真っ赤になってオヅマを睨みつけた。

 オヅマはチラと隣で気配を消そうとしているアグニを見る。あわてて視線を逸らしたアグニにも、冷たく言った。


「母さんに仕事押し付けて、ここで二人でのんびり茶を飲んでいたと、報告するからな」

「ちょっと! 私は関係ないわよ!!」


 アグニが怒鳴ると、オヅマはバン! とテーブルを叩いた。


「誰だ? 母さんを呼んだのは!?」

「…………ギョルム様よ」


 エッラは忌々しげに答えた。

 腕を組んで、オヅマと目を合わせようともしない。


「またあの野郎か…」


 オヅマは舌打ちした。


 ギョルムとかいう都から来た役人は、新たに東塔に作られた食堂で偶然にも手伝いに来ていたミーナを見かけ、その姿に惹かれたのであろう。たびたび、ミーナを呼びつけては用事を言いつけたり、オリヴェルやマリーらと一緒に庭を散策しているのを尾けたりと、何とも気持ち悪い男だった。


 呼ばれたと聞いた時からギョルムではないかと思っていたが、同じようにミーナの容姿に魅力を感じて言い寄ってくる男は少なくなかった。

 特に、この黒角馬の研究班でロクに仕事らしい仕事をしていないような奴ほど、しつこかった。マリーにまで歓心を買おうとすり寄ってくる奴もいたほどだ。

 まともに仕事している学者を除くこのテの奴らはとっとと帰ってほしい。


「ミーナ、やたらと気に入られてるみたいよ。この前にも呼ばれていたもの。淹れてくれるお茶が美味しいとかなんとか言って」


 アグニがご丁寧に教えてくれる。

 オヅマはすぐに出て行こうとしたが、エッラがフンと鼻を鳴らして蔑むように言った。


「アンタの母親も本当に大した女よね。領主様だけじゃなく、都のお役人連中にまで色目使って」

「…………」


 オヅマの頭の中で、エッラは首を絞め上げられ、壁に投げつけられていた。実際にしなかったのは、エッラの誹謗した相手である母が、心の中で必死にオヅマを止めたからだ。 


「今の言葉…忘れないからな」


 オヅマは静かに言った。怒りを押し殺した声音に、エッラもアグニもゾクリと背筋が凍ったが、もはや弁解する暇は与えられなかった。


 東塔まで走ってきて、オヅマは両手に書類をずっしり抱えたロジオーノに尋ねた。


「ギョルムっていう奴の部屋はどこだ?」


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