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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第五章

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第百十六話 懐かしい人の夢

「ところでオヅマも寝込んでいるって聞いたけど、どうしたの? まさかオヅマもあの時一緒に来ていたの?」


 オリヴェルに尋ねられて、アドリアンはふっと目を伏せる。

 考えてみれば、あの時オリヴェルは気を失って倒れていたから、オヅマがダニエルの首を落としたことは知らないのだろう。


 マリーがギュッとアドリアンの手を握ってくる。小さく震えていた。


「マリー、大丈夫だよ」


 アドリアンはマリーの頭を撫でてやってから、オリヴェルに簡単に事情を話した。


「オヅマは僕の後に来たみたいなんだ。それで…僕達に剣を向けてきた男がいたろう? あいつがマリーを襲おうとしたのを止めたんだよ」

「なんだって? あのクソ野郎…」


 オリヴェルは貴族の若君にあるまじき言葉を吐いたが、アドリアンは注意する気はなかった。内心、アドリアンとてそう言いたい気分だった。


「マリーを襲うなんて、なんて卑怯な男なんだ。でも……どうしてマリーを?…あの時、僕らは逃げて…」


 オリヴェルが当時のことを思い出そうとするのを遮るように、マリーはまた急に机の方へと向かうと、紙に何かを書いて持ってくる。



 ―――――お兄ちゃんに会いたい。



「僕も会いたい。いいかな? お見舞いに行っても?」


 オリヴェルも言い出して、アドリアンはしばし考え込んだ。


「……オヅマは、静養中なんだ。今はずっと寝てて…」

「絶対に騒いだりしないから! 顔を見るだけでいいんだ」


 オリヴェルが懇願すると、マリーもうんうんと頷いて、緑の瞳でじいーっとアドリアンを見つめてくる。


「うーん…じゃあ…あの、ひとつだけいい?」

「なに?」

「オヅマ…時々、おかしな夢を見てるみたいで、うなされたり、いきなり飛び起きて…ちょっと、妙なことになったりするんだ。今はほとんどないんだけど。だから、もし、そういうことになっても、あんまり驚かないでくれるかい?」


 マリーとオリヴェルはきょとんとしながらも、とりあえず了承した。


 アドリアンに連れられて、オヅマの眠っている部屋にやって来たマリーは、寝台に眠る兄のあまりに青白く、生気のない顔を見て、途端にボロボロ泣き始めた。


「マリー…大丈夫だよ。ちゃんと静養したら…よく寝たら、治るって領主様も言ってるからね」

「どうしてこんな…。あの男がやったのか?」


 オリヴェルは怒りながらも信じられなかった。


 騎士団の訓練を度々見に行っていたオリヴェルは、マッケネンやその他の騎士が、オヅマが子供ながらに剣の才能がズバ抜けていると、こっそり喋っているのを何度か耳にしていた。

 特にアドリアンと一緒に訓練するようになってからは、アドリアンの正確な剣技を模倣し、すぐさま身に着けていった。


 マッケネン曰く、剣技が正確であれば無駄な力が入らず、より伸びやかで鋭い剣使いとなるらしい。

 事実、オヅマと立ち合った騎士の何人かが、ただでさえ素早いオヅマの動きに翻弄され、鋭く正確な剣捌きに、たちまちやられて降参することは珍しくなかったのだ。


 だから見るからに鈍重そうなあの酔っぱらいの男に、オヅマがやられたとはとても思えなかった。


「いや…オヅマが体を悪くしたのは、稀能を使った…らしいんだ」

「稀能!?」


 オリヴェルは思わず大きな声を出して、あわてて口を押さえる。


「稀能って…あの…父上が使えるっていう……?」


 コソコソとアドリアンに尋ねると、アドリアンは困ったように首を振った。


「僕も詳しくは教えてもらえなかった。ただ、オヅマが相当に無理をしてしまって、体が耐えきれなかった…ってことらしい」


 オリヴェルは泣きそうになって、オヅマの寝顔を見つめた。


 あの時―――アドリアンに逃げるように言われ、オリヴェルはマリーを引っ張って、部屋から飛び出した。

 薄暗く空気の澱んだ地下を走り、ようやく階段のところまで来たところで、オリヴェルは急に脱力感に襲われた。トトトト、といきなり奇妙な動悸がしたかと思うと、目の前は真っ暗になった。


 マリーは倒れたオリヴェルを放っておけなかったのだ。

 そこで足止めされている間に、あの男はマリーに襲いかかってきたのだろう。それを見たオヅマは怒り狂い、我を忘れた。―――


 自分が無事にマリーをあの地下から連れ出していれば、マリーが危険な目に遭うことも、オヅマがマリーの為に無理することもなかったろうに。

 あぁ…なんて自分は無力で情けない存在なのだろう。いつも守られてばかり。小さいマリーにすらも、守られている。


 一方、アドリアンは今更ながら、自分の選択肢が間違っていたことに苦い気持ちを噛みしめる。


 犯人に呼び出されて領主館から出るとき、オヅマの首に刺したのは一時的に相手の意識を失わせる、針のついた護身用指輪だった。だいたい目覚める時間も半刻~一刻弱(30~50分間)ほどとわかっていたので、そのくらいに目覚めたオヅマがヴァルナルに知らせて、シレントゥに向かってくれるものと考えていたのだ。


 だが、オヅマはあのメモの文句を見ていた。


『誰にも知られてはならない』。


 だから、誰にも知らせずにアドリアンの後を追ってやって来たのだろう。

 誰よりマリーの安全を考えるオヅマであれば、そういう行動に出ることは十分に考えられることだったのに。


「………う…」


 オヅマは三人の気配に気付いたのだろうか、うっすらと目を開いた。


「オヅマ!」

「オヅマ!」


 オリヴェルとアドリアンが声をかけ、マリーは兄の手を握りしめる。


 オヅマはしばらくぼんやりと天井を見上げていた。

 やがて自分の手が握られていることに気づくと、目線をマリーに向ける。だが、虚ろな目はマリーを見ていなかった。


「……マリー」


 掠れた声で妹の名を呼ぶ。


「…………」


 マリーは「お兄ちゃん」と呼ぶことが出来なかったが、ギュッと手に力をこめた。オヅマはマリーの手を握り返して、力なく微笑む。


「マリー……久しぶりに……エラ……ジェイに…会った」


 マリーは首をかしげた。

 誰かの名前のようだが、マリーには聞き覚えがない。


 だが、オヅマはうっすら笑ったまま言う。


「懐かしい…よな。……相変わらず……胡桃……持って…んの…かな……」


 それからオヅマは瞼を閉じて、再び眠りに落ちた。


「胡桃?」

「なんのことだろう? また夢かな」


 オリヴェルとアドリアンは不思議がった。

 マリーにも意味がわからなかったが、穏やかな兄の顔を見て、きっとその人がいい人なのだろうと思った。

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