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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第一部 第一章
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第十話 暗い部屋の男の子

「すいませんでしたッ!」


 あわてて頭を下げると、マリーの手を引っ張る。


「行くぞッ、マリー」

「えっ?」

「待って!」


 男の子がもう片方のマリーの手を掴む。

 そのままオヅマが気付かず歩き出そうとして、「痛ぁいいぃ」と、マリーが大声を上げた。

 バタバタと廊下から誰かが走ってくる。

 オヅマは見回して、咄嗟(とっさ)にベッドとサイドテーブルの間の暗がりへとマリーを連れて隠れた。


「どうかされましたか? 坊ちゃま」


 姿を現したのは女中頭(じょちゅうがしら)のアントンソン夫人だった。


「………なんでもない」


 男の子は沈んだ声で言った。「なんでもないんだよ。あっちに行って」


「でも、痛いと仰言(おっしゃ)っておられたようで…」

「痛いのはいつだって痛いさ! いいからもう放っておいてよ!」


 いきなり癇癪(かんしゃく)を起こす男の子に、アントンソン夫人は溜息を隠そうともしなかった。


「それでは失礼します」


 とりあえず形式的なお辞儀をして、早々に部屋から出て行った。

 再びシンとなって、男の子はベッドから降りてくると、テーブルの下にうずくまっていたオヅマ達をじっと見つめた。


「あなたはなんていうの?」


 マリーは緊張した空気を感じていないのか、ひょっこりとテーブルの上に顔を出して質問した。

 男の子はさっと顔を赤らめ小さな声で早口に言った。


「え? 聞こえなかった」


 マリーは()いながらテーブルの後ろから出て行く。

 オヅマはものすごく気まずい思いで、立ち上がり頭を下げた。


「すいません。あの…オリヴェル坊っちゃん」


 マリーがオヅマを振り返る。


「オリヴェル?」


 それから目の前の男の子を見た。


「オリヴェルっていうの?」


 男の子は頷いてから、反対に質問してきた。


「君たちは、いつからここに?」


 マリーは首をかしげてオヅマを見上げる。

 オヅマは頭の中で暦を繰った。


「えぇーと確か1ヶ月…くらい?」


 男の子はどんよりした顔になった。


「そんなこと、僕聞いてない…。誰も、教えてくれない…」


 オヅマはあわてて弁明した。


「いや。ただの使用人が入ったぐらいのこと、いちいち教えないって! マリーなんてこの通りだから、手伝いにもなんないし…」

「そんなことないもん! この前だってパウルお爺さんと一緒に草抜きして、肥料を花壇に()いて…ヘルカお婆さんだって食器を拭いたら助かったよって言ってくれたわ」

「わかったから…大声だすなって。あの野郎が来たらどうすんだよ?」

「…あの野郎って?」


 首を傾げて尋ねてくるオリヴェルにマリーは「ネストリさん」と事も無げに言う。しばらく狐につままれたような顔になった後、オリヴェルはこらえきれぬように笑った。


「わぁ! やっと笑ってくれた!」


 マリーが手を合わせて嬉しそうに言うと、オリヴェルは少しはにかみつつ微笑んだ。

 それから窓の方へと歩いていき、カーテンを開ける。

 (まぶ)しい光が一気に暗い部屋に入ってきた。

 窓の外は広いバルコニーになっていた。

 オリヴェルが大きな窓を開けてバルコニーへと出て行くと、オヅマとマリーもつられるように続く。

 柵のところまできて、オリヴェルは尋ねた。


「君たちって木登り得意?」

「うん! 大好き!!」


 オヅマが答えるより早く、マリーが言った。

 ミモザの木が葉を茂らせて、バルコニーにまで枝を伸ばしている。


「このミモザ、降りることはできる? 下はたぶん誰も来ないから」


 オヅマはバルコニーから少しだけ身を乗り出してみた。

 囲まれた木々と壁の間から、少しだけ修練場が見える。

 おそらく向こうから気付かれることはないし、館の裏側になるのか出入り口がさほどにないせいか人気(ひとけ)もない。

 ミモザの幹はちょうどいい太さで、マリーでも難なく降りていけそうだ。


「いけそうだ」


 オヅマはバルコニーに伸びた枝にヒラリと飛び乗った。マリーも乗ると、四つん這いになって幹の方へと向かう。

 そのまま降りようとして、オリヴェルが言った。


「ねぇ、また来てくれる?」

「………」


 オヅマは即答できなかった。

 ここに来てからは聞いてなかったが、まだ村にいた時に領主館の話をしていた大人が言っていた。

『領主様の息子は体が弱いらしい』…と。

 すっかり忘れていた。

 そもそもこの館の人達も、誰もヴァルナルの息子については教えてくれなかった。


「うん、いいよ」


 返事をしないオヅマの代わりに、あっさりとマリーが了承してしまった。

 正直、この事態はあまりよくない。

 下手すれば領主館から叩き出されるかもしれない。

 しかしどこか諦めたような目で、それでもじっと見つめてくるオリヴェルに否定的な言葉を言いたくなかった。


「……またな」


 小さく言って、オヅマはするするとミモザの木を降りていった。下にたどり着いてから見上げたが、バルコニーにもうオリヴェルの姿はなかった。


「マリー、お前…なんで『いい』なんて言うんだよ!」


 オヅマが怒ると、マリーはまた口をとがらせた。


「だって、可哀相だったんだもん」

「可哀相ってなぁ…あっちは領主様の息子なんだぞ」

「領主様の息子は可哀想じゃないの?」


 そう言われるとオヅマは口を閉じるしかなかった。

 食べる物にも着る物にも苦労しないで済む恵まれたお坊ちゃんであっても、不幸でないわけではない。

 今になって気付く。

 オリヴェルの部屋に充満していたニオイは、きっと薬か何かなのだろう。

 ずっとあの陰気な部屋で暮らして、自由のきかない体に支配されるのは、きっとつらい。自分がそうであったと考えるだけでも、憂鬱になる。


「お兄ちゃん、あの子が叫んでいる声を聞いた?」


 マリーがとても悲しそうな目でオヅマを見上げてくる。


「……聞いた」

「私、あの声を聞いたときに、リッツォを思い出したの。ホラ、村にいたヌオレラさんの子。時々、みんなで遊んでた…」


 ヌオレラさんはオヅマの父であったコスタスと同じ小作人だった。

 元は別の領地にいたらしいが、飢饉(ききん)でこちらに移住してきた人で、あまり村人と馴染んでいなかったせいか、家族は皆いつも暗い顔をしていた。

 家族の中の末っ子であったリッツォは、オヅマ達が遊んでいるのを遠くから見ていたので、声をかけて一緒に遊んだりしたものだ。

 だが、そうやって仲良くなって一月(ひとつき)もしないうちに、リッツォはいきなり死んでしまった。

 死因はよくわからなかった。

 ただ、ヌオレラさん一家はいつの間にか村から去っていった。


「リッツォ? なんで?」


 オヅマはいきなりマリーがリッツォのことを言い出したのがよくわからなかった。 

 オヅマとそう年も変わらぬように見えるオリヴェルに比べ、リッツォはもっと幼い。二人に共通点があるようには思えなかった。

 マリーはうつむいて、スカートをギュッと掴んだ。


「私、ヌオレラさんの家の前を夕方くらいに通ったことがあったの。そうしたら、中から大きな音がしたわ。それからリッツォが泣いていたの。叫んで泣いていたの。とても悲しそうな声だった。……怖かったの。私、怖くて逃げちゃった。そうしたら次の日にはリッツォが死んだって聞いたの」

「………」


 オヅマは無表情になった。

 大人の虐待で子供が死ぬのは、そうあることでもなかったが、珍しいことでもなかった。

 オヅマだって父からの暴力で死にかけたことは二度や三度ではない。

 雪の吹きすさぶ冬の真夜中に、外に放り出されたことだってある。


「マリー」


 オヅマは膝をついて、マリーの視線に合わせた。泣きそうな顔になっている。


「そんなことはお前のせいじゃないんだぞ」

「でも、()()()放っておきたくなかったの…」

「わかったけど、無茶したら駄目だ。とりあえず大丈夫だってわかったろ?」

「……でも、寂しそうだったよ」

「そうだな」

「今度、行ってあげようよ。私、お花見せてあげたい。あのお部屋のお花、枯れてたわ」

「………考えとく」


 脳裏にチラチラとネストリの顔が浮かぶ。

 あの男に見つかったら最後、領主様に言い訳もできないうちに領主館から叩き出されそうだ。


 オヅマはマリーを厨房(ちゅうぼう)まで送り届けた後で、あわてて騎士団の馬場に戻った。

 そろそろ皆が朝駆(あさが)けから戻ってくる。厩舎(きゅうしゃ)の掃除をしておかねば、大目玉をくらう。

 馬場を軽やかに駆けている黒角馬(くろつのうま)達の姿を見て、オヅマはホッとした。

 朝からえらいことになったが、とりあえず今日も仕事するだけだ。


「さて、やるか」

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