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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第五章

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第百十一話 ひとまずの帰結

「あの時の金貨かどうかはわからないけど、確かにダニエル・プリグルスが渡していたのは、十ゼラ金貨が二十枚入った箱だった。相手の男が確認していたから、間違いないよ」


 アドリアンはオッケの持っていた袋に入っていた金貨を見て言った。


 平民の子供であれば十ゼラ金貨など見たこともないのでわからなかったろうが、アドリアンはさすがに授業で習っていたこともあって、ダニエルが見せた金貨を見た瞬間にそれが十ゼラ金貨であると認識していた。


「……わかりました。ありがとうございます」


 ヴァルナルが丁寧に礼を言うと、アドリアンは尋ねた。


「火事の下手人が見つかったと聞いたけど…」

「……おそらくそうではないかという人物は見つかりました」

「誰だ、その裏切者は?」


 アドリアンの声が鋭く響く。

 ヴァルナルは眉を顰め、パシリコとカールは無表情に黙り込んだままだった。


「裏切者と呼ぶのは難しいでしょう」


 ややあってヴァルナルが重々しく口を開くと、今度はアドリアンが眉を寄せる。


「どういうことだ?」

「彼がそれを裏切行為だと思ってやっていた確証がないのです。あるいは全くの善意であったかもしれない…」

「それは…どういう…?」


 アドリアンは、ますます意味がわからない。重ねて問うと、ヴァルナルは溜息をついて頭を振った。


「彼は死亡しました。おそらく深夜から夜明け間近。酔っ払って、足を滑らせて庭の石に頭を強く打ちつけて…」


 アドリアンはすぐに朝の騒動を思い出す。


「確か、下男が一人死んだと…」

「えぇ。この袋が彼のポケットに入っていました。どうやら買収されたようです」

「そんな…。まさか殺されたのか?」

「それはないでしょう。口封じであるなら、なにも領主館で殺す必要はない」


 オッケの仕事の一つに、肥樽から集めた糞尿を発酵させて作った肥料を、近隣の農家に運ぶというのがある。

 途中には人気ひとけのない道などもあるのだから、始末するならそちらで殺した方が、よっぽどラクな上に、犯人についても野盗の類と思われて余計なことで疑われずに済む。

 それともそうした余裕もないほど急いでいた…?

 オッケが悔悛し自白するとでも言い出して、衝動的に殺してしまったか…?


 だがその場合であれば、金貨の入った袋をそのままにしておくのはおかしい。

 もしオッケがこの金貨を持っていなければ、ただの酒に酔った上での不幸な事故で処理されていたはずだ。

 二十(ゼラ)もの大金をオッケが持っていたことで、かえって事件化している。犯人がいるのであれば、なぜわざわざ不審感を持たせて自らを危機に追い込むのか…それとも捜査されようが自分は捕まらないという絶対的な自信があるのだろうか。だとすれば、随分と大胆不敵な人間だ。


「……いずれにしろ、彼は既に死亡しました。無論、彼がダニエルや雀の面の男と会っていた形跡がないかは調べますが、それでも最終的な因果関係を掴むのは難しいでしょう」


 ヴァルナルの結論に、アドリアンは子供とは思えぬ皮肉げな笑みを浮かべた。


「結局、今回も()()()()は出て来ないということか」

「アドリアン様…」

「ヴァルナル。今回のこと、もう父上には伝えたのか?」

「すでに早馬を出しております」

「………そうか」


 アドリアンは一気に暗い顔になって、うつむいた。再び顔をあげると、いつもの無表情に戻っている。


「じゃあ、もういいだろうか? オヅマを一人にしておきたくないんだ。また起きて、おかしなことになるかもしれないから」

「勿論。あまり無理をされぬよう」

「わかってる」


 アドリアンは頷いて執務室から出て行った。


 バタン、とドアが閉まると、ヴァルナルは背凭れに背を投げ出して、眉間を揉んだ。


「さすがは公爵閣下のご令息でいらっしゃいますね」


 カールはふぅと大きく息を吐く。「あの静かな威圧感というか…」


「怒りを内に秘める方々だからな…」


 ヴァルナルは公爵がダニエルに対して激怒した時のことを思い出す。

 あの時ですらも、激昂して声を荒らげるようなことはしない。それくらい自制をするように、幼い頃から矯正されているのだ、あの人達は。


 ヴァルナルはいついかなる時であっても表情を動かすことのしない公爵が、奥方の前だけは少年のように戸惑っていたのを思い出す。

 もし、奥方が―――リーディエ様が生きていらっしゃれば、こんな状況になることもなかったろうに。


 だがヴァルナルはすぐに気を引き締めた。今はそんな感傷に浸っている場合ではない。


「それで、オッケとダニエルらの繋がりは?」


 ヴァルナルが尋ねると、パシリコが首を振る。


「オッケがよく行っていたという飲み屋(バル)などにも聞いて回りましたが、これというのは。特にこの一月(ひとつき)は大帝生誕祭もあるので、異郷からの商人や旅芸人などの出入りも激しく…」

「例の雀の面…もうつけてないだろうが……掏摸(スリ)の男は?」

「こちらもこれといった情報はございません。あの時シレントゥを囲みましたが、出てきたのは在来の商人らだけで」


 パシリコが難しい顔で答えた後に、カールが続ける。


「舟でドゥラッパ川から逃げた可能性もありますので、近隣の川沿いの町も探索に当たらせていますが…やはりこの月というのは、馴染みでない人間が多く流入するので、特定は難しいかと…」



 後になって。


 起き上がって話せるまでに回復したオリヴェルからも誘拐された時のことを聞いたが、決定的な情報は得られなかった。


 ミーナが老婆を追いかけていくのを見送った後、フードを被った男に「ここを大きな荷車が通るので、少し道の端に寄ってもらいたい」と頼まれ、その男がやや強引にオリヴェルの車椅子を押してゆき、マリーはあわてて追いかけた。

 そうして広場の隅の方に辿り着くと、いきなり紙のお面のようなものを被され、ツンと鼻にくる臭いがしたと思った途端に気を失った。どうやらその面に即効性の気絶薬が仕込まれていたらしい。マリーも同様であったようだ。


 ミーナにも老婆の特徴などを訊いたが、フードを被っていて影になっていたので、顔がよく見れなかったのもあり、特定はできなかった。

 そもそも本当に老婆であったのか、という問題もある。

 これが計画の一部であるなら、変装した共犯者である可能性の方が高い。


 現場での聞き込みなども行ったが、祭りが終わると同時に別の土地へと行ってしまった露天商も多く、領民達も賑わい中で、小さなスリ事件を覚えている人間は少なかった。


 これで事件はひとまずの帰結を迎えるしかなかった。

 首謀者であるダニエル・プリグルスが死んだことで、すべては推論の域を出なかった。


 唯一、この件について詳しく知っているはずの雀の面を被っていた男の行方は杳として知れず、オヅマは時折寝言でその名を呼んでいたが、それがまさか騎士団が血眼で追っている男だとは誰も気付かなかった。

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