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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第九十八話 レーゲンブルト騎士団、動く

 少し時は戻る。



 領主館でオヅマ、アドリアン二人の不在に気付いたのは、食事を運びに来た従僕のロジオーノだった。


 明かりもついていない薄暗い部屋はシンとして誰のいる気配もない。

 少年二人が腹を空かせているだろうから…と、たっぷりのシチューとパン、ハムにキュウリのピクルスまで用意してワゴンに乗せてきていたロジオーノは驚愕し、すぐさま近くにいた騎士に知らせた。それはアルベルトで、すぐに部屋に向かい二人の不在を確認すると、珍しく領主館内を走って執務室にいたヴァルナルに報告した。


 ヴァルナルは即座に領主館内を手分けして探すように命じた後、カールとパシリコを伴ってオヅマ達に与えた客室へと向かった。

 暖炉の火もなく、静まり返った部屋は冷えていた。出て行って随分経ったらしい。


 カールが窓際のテーブルに置いてあった地図に気付く。


「シレントゥに印があります」

「シレントゥ?」

「それと…これは何でしょうか。すこし分厚いカードのような紙が…」


 パシリコが持ってきた白い紙を手に取り、ヴァルナルはしばらくまじまじと眺めた後、


「手拭いを濡らして、固く絞って持ってこい」


と指示する。


 パシリコは不思議に思いつつ、自分の手拭いを水差しに残っていた水で濡らすと、固く絞ってヴァルナルに渡した。 

 ヴァルナルはその手拭いで紙を覆い、少しだけ湿らせる。それから燭台に灯った蝋燭の上で炙るように細かく動かした。


「あっ!」


 パシリコが声を上げる。カールが得心したようにつぶやく。


「炙り出しインクですか…」

「そのようだ」


 相槌を打ちながら、ヴァルナルは紙に浮かび上がった簡易な地図と文字を読み取る。


『お友達を助けたいなら、シレントゥにある下記の場所まで来ること。但し、誰にも知られてはいけない』


 アドリアンを一人でおびき寄せるためだろう。

『誰にも知られてはいけない』という文字だけが、やたら大きく書かれていた。


 ヴァルナルは紙を握りしめると、静かに指示を下す。


「総員、騎乗準備。シレントゥに向かい、包囲せよ。一番隊は私と共に3番埠頭に向かう。館内に共犯者がいる可能性もある。表向きにはボーグ峠に山賊が現れたと布告せよ。道中で編成を行う」


 カールとパシリコの顔が一気に引き締まった。ハッ、と敬礼してすぐさま部屋を出て行く。


 ヴァルナルはしばらくその場に佇んでいたが、拳を握りしめたかと思いきや、地図の置かれたテーブルを思い切り殴った。一枚板で作られた頑丈なテーブルにミシミシと(ひび)が入る。


 怒りを孕んだグレーの瞳は、誰もいない暗い部屋の中で、見えない敵を睨みつけている。


 してやられた。

 一度ならず、二度、三度…いや幾重にも張り巡らされた計略。


 領主館の火事、アドリアンを狙った掏摸(スリ)、ミーナをおびき寄せた老婆、マリーとオリヴェルの誘拐。

 それでも小公爵(アドリアン)をこちらで確保している限り、奴らの思惑通りにいかないと…油断していた。

 まさかこんな形で、直接アドリアンに交渉していたとは。


 すべては、自分の慢心が招いたものだ。

 苦い自虐を呑み込んで、ヴァルナルは歩き出す。今は自分を責めて感傷に浸っている暇はない。


 扉を開けると、そこにはミーナが立っていた。

 青ざめた顔をしながらも、いつものように姿勢正しく、胸の前でしっかりと手を握り合わせている。


「ミーナ……」


 よりによって一番今、会うのがつらい相手であったが、おそらくミーナの心境はヴァルナルとは比較にもならないだろう。


 だがミーナは静かに謝った。


「オヅマがまた…勝手をしたようで申し訳ございません」


 その言葉を聞いて、ヴァルナルはギリと奥歯を噛み締めた。

 誰が言ったのだろう? アドリアンだけでなく、オヅマもまた行方不明であると。マリーだけでなく、オヅマもまた危険な状態であると知って、二人の母であるミーナが平静でいられるはずもないのに。


「オヅマは…放っておけなかったのだろう。きちんと彼に言い聞かせることが出来なかった私の責任だ。貴女(あなた)が謝ることではない」


 ミーナは俯けていた顔を上げると、真っ直ぐにヴァルナルを見つめた。


「どうか……助けて下さい」


 切実な声と、見る間に薄紫の瞳の中で震える涙に、ヴァルナルは胸が痛くなった。 

 ミーナは気丈に涙を必死で抑えて、もう一度訴えた。


「お願いします。子供達を助けて下さい………お願い…」


 ヴァルナルは唇を噛みしめると、そっとミーナの肩に手を置いた。


「必ず…」


 短くつぶやいて、ヴァルナルは足早に立ち去った。

 自分がいなくなれば、ミーナはその場に崩折れて泣くのだろう。

 それを慰める資格は自分にない。


「総員、揃いました」


 館前の広場に集った騎士達を見て、ヴァルナルは胸にある感傷を追いやった。

 用意されていた黒角馬のシェンスに跨ると、軽く手を上げて叫ぶ。


「征くぞ。皆、我に続け!」


 既に騎士団の山賊討伐が行われることは城下に知らされていた。大通りには人っ子一人いない。


 ヴァルナルは先頭で大通りを一気に駆け抜けた。城門を出てしばらく街道を走っていたが、分かれ道で急に馬を止めると、振り返って号令した。


「これよりシレントゥに向かう。包囲せよ。一番隊のみ我に続け」


 騎士達は一瞬だけザワついたが、副官以下の司令各員が既知であるように平静なのを見て、すぐに理解した。普段の演習においても、急な目的変更はよく行われることだ。


 ヴァルナルが走り出すと、カールとパシリコが各隊の長に短く指示を与え、騎士団はにわかに編成を組み直して動き出す。

 この最小限の伝達と、柔軟で迅速な陣形組成こそがレーゲンブルト騎士団をして、神速と呼ばしめるものだった。


 シレントゥまでの道は、より多く早く荷物の搬送をするために、ヴァルナルが数年かけて整備したため、いつもの朝駆けなどに比べれば平坦な道だった。

 夜となって最早通る人もいない道を、ヴァルナルは思いきりシェンスを走らせる。

 本気で走らせると、シェンスは見る間に後続を引き離していく。

 ヴァルナルの他には副官を始めとする一番隊の数名だけが黒角馬に騎乗していたが、同じ黒角馬であってもシェンスはやはり元々首領格であっただけに、その速さは群を抜いていた。


 土煙を上げてこちらに向かってくる異様な領主の姿と、その背後に連なる黒々とした集団を見て、倉庫の屋根で見張っていたエラルドジェイの雇った女楽師は、あわてて天窓を割って叫んだ。


「騎士団が来てる!」


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