その31「決別と新たな力」
イツキ
「え……?」
ノハラ
「…………」
イツキ
「どういう……ことだよ?」
カゲト
「分からないか?」
イツキ
「何だよ? はっきり言ってくれよ」
カゲト
「…………」
カゲト
「ノハラは、表情を失った」
イツキ
「…………?」
イツキ
「……どういう意味だ?」
カゲトの言葉は、イツキには、漠然としているように思えた。
何かの比喩なのだろうか。
そのときのイツキには、分からなかった。
カゲト
「そのままの意味だ」
カゲト
「ダンジョンコアを傷つけられたせいで、ノハラは感情を、顔に出せなくなった」
イツキ
「…………!?」
イツキ
「っ……俺のせいで……」
ノハラ
「別に」
感情の無い顔で、ノハラは言った。
ノハラ
「イツキのせいじゃ……」
カゲト
「ノハラ。こいつを甘やかすな」
カゲト
「イツキ、お前は、救助に必要なリンカーを、1つ独占した」
カゲト
「ノハラのダンジョンに、シフト出来る人数が、1人減ったってことだ」
カゲト
「お前が余計な事をしなければ、夢魔退治は、もっと迅速に進んだはずだ」
カゲト
「お前が居なければ、ノハラは表情を失わずに済んだんだよ」
違う。
イツキが居なければ、夢魔はもっと早く、コアにたどり着いていただろう。
カゲトは、あの惨劇を見ていなかったから、分からないのか。
それとも、分かっていて、詭弁を弄しているのか。
イツキには分からなかった。
だが、イツキには1つだけ、分かっていることが有った。
ノハラをこうした凶器は、自分だ。
だから、何も言えなかった。
ノハラ
「カゲト」
カゲト
「それと、もう1つ言っておくことが有る」
イツキ
「…………?」
カゲト
「俺とノハラは、恋人同士になった」
イツキ
「え……?」
ノハラ
「…………」
イツキ
「そうなのか? ノハラ」
ノハラ
「……うん」
イツキ
「好きだったのか。カゲトのことが」
ノハラ
「彼は、命の恩人だから」
イツキ
「恩人?」
ノハラ
「シフターズが来てくれたのは、彼のおかげ」
ノハラ
「カゲトが、助けてくれた」
イツキ
「そうか……」
イツキ
(カゲトの家は、夢魔狩りの会社だったな)
イツキ
(親に頼んで、来てもらったってわけか)
カゲト
「そういうわけだから、今までみたいに、ノハラに近寄るのは止めてくれ」
カゲト
「恋人に、他の男とベタベタされるのは、あまり気分が良くない」
カゲト
「ノハラから笑顔を奪ったお前が、そんな恥知らずな事、出来ればの話だがな」
イツキ
「……分かった」
反論は無かった。
イツキがノハラを傷つけた。
それは、彼にとっては真実だった。
それに、ノハラがカゲトを好いているなら、それを止める理由も無かった。
イツキはノハラのことが好きだ。
大好きだ。
それはエゴであり、権利では無かった。
イツキは自身のエゴを、心の奥へとしまい込んだ。
カゲト
「……素直だな。まあ良い」
カゲト
「行くぞ。ノハラ」
カゲトはノハラの手を引いた。
ノハラ
「あっ……」
ノハラはカゲトに引っ張られ、病室を出て行った。
イツキ
(腕……引っ張るなよ……)
そんな想いを、口に出すことは出来なかった。
もう、そんな権利は無い。
誰よりもノハラを傷つけたのは、自分なのだから。
イツキは病室で、1人になった。
彼はベッドの上で丸まった。
イツキ
「…………ぅ」
イツキ
「うぅ……うぁぁ……」
イツキはすすり泣いた。
体が痛いからなのか。
悲しいからなのか。
イツキ自身にも分からなかった。
やがて扉が開き、イツキの両親が入ってきた。
ヤーコフ
「イツキ……」
ヤーコフはじっと、イツキが泣き止むまで待った。
イツキは泣き止むと、体を起こし、ヤーコフに話しかけた。
イツキ
「父さん……」
イツキ
「俺……強くなりたいよ……」
ヤーコフ
「……ああ」
ヤーコフ
「だが、まずは体を治せ。話はそれからだ」
イツキ
「痛くない……!」
イツキ、歯を食いしばりながら、左拳を突き出した。
イツキ
「もう治った……!」
ヤーコフ
「そうか」
ヤーコフ
「けど、少しだけ休め。そうしたら、俺がお前を鍛えてやる」
ナツキ
「あなた……」
ヤーコフ
「ナツキ」
ヤーコフ
「今挫けたら、イツキは2度と、上を向けなくなる」
ヤーコフ
「頑張らせてやってくれ」
ナツキ
「……うん」
それから1ヶ月、ヤーコフは姿を見せなかった。
1ヶ月の間、イツキは何も出来なかった。
ただ、激痛に耐えた。
地獄のような一ヶ月が、過ぎ去っていった。
1ヶ月後、ヤーコフは、金属の小瓶を持って現れた。
ヤーコフ
「よっ」
イツキ
「父さん、痩せた?」
イツキの言葉通り、ヤーコフは頬がこけていた。
そのうえ目の下には、病的な色合いの隈が有った。
ヤーコフ
「ちょっと仕事が忙しくてな」
イツキ
「そうらしいね」
ヤーコフ
「元気か?」
イツキ
「元気だよ」
イツキは、平然と言った。
肩と腹の痛みは、業火のように、イツキを焼いていた。
だが、痛みを他人に気付かれれば、退院が長引く。
そう考えていた。
イツキ
「だから、とっとと退院させて欲しいんだけど」
ヤーコフ
「もうじきだ」
イツキ
「それっていつさ?」
ヤーコフ
「飲め」
ヤーコフは、イツキに小瓶を渡した。
イツキ
「これは?」
ヤーコフ
「薬だ」
イツキ
「ふーん……?」
ヤーコフ
「絶対こぼすなよ。高いんだからなソレ」
イツキ
「うん……」
イツキは瓶の蓋を開けた。
そして、中身を見た。
イツキ
「中身無いよ?」
ヤーコフ
「1滴だけ入ってる」
イツキ
「1滴って。効くの? それ」
ヤーコフ
「良いから飲め」
イツキ
「うん」
イツキは瓶に口をつけ、傾けた。
ほんの少しの潤いが、イツキの舌に触れた。
今までにない甘みが、イツキの舌に広がった。
イツキ
「……!?」
イツキは驚きと共に、唾液を飲み込んだ。
そして……。
イツキ
「痛みが……」
イツキの体の痛みが、大幅に軽減されていた。
ヤーコフ
「楽になったか?」
イツキ
「大分……」
そう言って、イツキはしまったといった感じの顔になった。
イツキ
「ううん。別に元々、痛くなんて無かったけど」
ヤーコフ
「そうか。良かった」
イツキ
「この薬、何?」
ヤーコフ
「ダンジョンで取れる薬だ」
イツキ
「ふーん……?」
イツキ
「これ、もう1つ欲しいんだけど」
ヤーコフ
「まだ痛むか?」
イツキ
「そうじゃないよ」
イツキ
「これ、ノハラにも効くかなって思って」
イツキ
「もう1つ買ってきてよ。お金は、大人になったら払うよ」
ヤーコフ
「もう、無いんだ」
イツキ
「え……?」
ヤーコフ
「その薬は、もう手に入らない」
それを聞いて、イツキは不機嫌そうな顔を見せた。
イツキ
「なんだよ……」
イツキ
「そうと知ってたら、飲まなかったのに」
イツキ
「ノハラにあげたのに」
ヤーコフ
「ごめんな」
ヤーコフは、イツキを抱きしめた。
イツキ
「父さんのバカ」
ヤーコフ
「ごめんな」
ヤーコフの顔は、イツキには見えなかった。
薬の名は、エリクサー。
そのときのイツキは、それを知らなかった。
……。
イツキは退院した。
痛みは完全には、消えなかった。
だが、耐えられないほどでは、なくなっていた。
1ヶ月ぶりに、イツキは登校した。
久々の学校で、イツキは1人だった。
誰も、イツキに話しかけては来なかった。
ノハラも。
ノハラはイツキの方を見ず、カゲトと何かを話していた。
他のクラスメイトが、イツキの噂話をした。
「アイツのせいで、キノシタが笑えなくなったんだって?」
「どのツラ下げて、登校して来てんだか」
「おい、止めろよ」
「あ?」
「アイツの親、マジでヤバい奴なんだって」
「親て。ダッサ……」
イツキ
「…………」
イツキ
(学校って、こんなにつまらなかったっけ?)
久々の学校は、面白くなかった。
つまらない時間に耐え、イツキは帰宅した。
玄関奥の廊下で、妹がニコニコとして、イツキに話しかけてきた。
アキヒメ
「お兄ちゃん」
イツキ
「ん?」
アキヒメ
「お兄ちゃん、ノハラお姉ちゃんとケンカしたんでしょ?」
アキヒメ
「仲直りするまでの間、私がお兄ちゃんと遊んであげる」
イツキ
「…………」
イツキ
(ニヤニヤしやがって。何が楽しいんだ? コイツ)
イツキ
「いらねえよ」
イツキは冷たい目で、アキヒメを睨んだ。
これまでのイツキは、妹に優しかった。
見下したような目を向けるのは、初めてのことだった。
アキヒメ
「えっ……」
ぞっとするような視線を受け、アキヒメから笑顔が消えた。
イツキ
「遊びとか、どうでも良いから」
そう吐き捨てて、イツキは自分の部屋に入っていった。
廊下にアキヒメが残された。
アキヒメ
「お兄ちゃん……」
アキヒメ
「お兄ちゃんの……バカ……」
夕食になった。
イツキとアキヒメは、暗い顔で、黙々と箸を進めていた。
ヤーコフ
「イツキ」
ヤーコフ
「メシ食い終わったら、俺のダンジョンに来い」
イツキ
「……分かった」
食後。
イツキは、ヤーコフのダンジョンに、シフトした。
イツキは、ヤーコフと向き合った。
ヤーコフの手には、細長い布包みが、握られていた。
イツキ
「父さん」
ヤーコフ
「お前さ、ヒメと喧嘩したらしいな?」
イツキ
「別に」
ヤーコフ
「強くなりたいなら、ヒメにも優しくしろ」
イツキ
「どうして?」
ヤーコフ
「自分の妹すら、守れないような奴が、好きな女を守れるかよ」
イツキ
「好きって……」
イツキ
「別に……。ノハラはカゲトと付き合ってるし……」
ヤーコフ
「口答えすんな」
イツキ
「……分かったよ」
イツキ
「それで? 何をしたら良いの?」
ヤーコフ
「まずはマインドアームを見せてみろ」
イツキ
「うん」
イツキはセカンドシャドウに手を伸ばした。
そして、木刀を召喚した。
ヤーコフ
「木刀か」
ヤーコフ
「そいつで夢魔と戦ったのか?」
イツキ
「うん……。全然効かなかったけど……」
ヤーコフ
「そうか」
ヤーコフ
「受け取れ。これはお前の物だ」
ヤーコフは、布包みを投げた。
イツキ
「わっ!」
イツキは包みを受け取った。
転びそうになったが、なんとか体勢を立て直した。
そして、布包みを解いた。
イツキ
「これは……?」
中から出てきた物は、アシハラ刀、サムライソードのように見えた。
ヤーコフ
「オリハルコンの刀だ」
イツキ
「どうしたのコレ?」
ヤーコフ
「細かいことは気にするな」
イツキ
「細かいかな……? 高かったでしょ? これ」
ヤーコフ
「俺は、それなりに高給取りだ」
イツキ
「ふーん……?」
ヤーコフ
「とにかくそいつなら、夢魔に手傷くらいは、負わせられるはずだ」
イツキ
「ありがとう」
イツキ
「……これを渡すために、俺を呼んだの?」
ヤーコフ
「いや。これからが本番だ」
ヤーコフは、ポケットに手を入れた。
そして、小さなナイフを取り出した。
イツキ
「それもオリハルコン?」
ヤーコフ
「まあな」
イツキ
「どうするの?」
ヤーコフ
「こうする」
ヤーコフは、自分の手首を切った。
手首から、マインドブラッドが流れた。
イツキ
「えっ!? 何やってるの!?」
ヤーコフ
「落ち着け」
ヤーコフの血が、ダンジョンの頂上に垂れた。
ヤーコフ
「俺の血で、夢魔を引き寄せる」
イツキ
「…………?」
ヤーコフ
「マインドブラッドは、夢魔を引き寄せる」
ヤーコフ
「寄ってきた夢魔を、俺とお前で倒す」
ヤーコフ
「それが今日の本題だ」
ヤーコフ
「夢魔を倒すと、ほんの僅かだが、マインドボディが強くなるらしい」
ヤーコフ
「ダンジョン無しのお前を、強くするには、多分これくらいしか、方法が無い」
イツキ
「危なく無いの?」
ヤーコフ
「危ないに決まってる」
ヤーコフ
「……さっそく来たぞ。覚悟を決めろ。イツキ」
イツキ
「分かった……!」
イツキは上空に、視線を向けた。
そこに、夢魔の姿が有った。
イツキは刀を抜こうとした。
刀を扱うのは、初めてのことだ。
正しい使い方など、分からなかった。
だが……。
するりと。
刀自身が望んだかのように、刃が鞘から抜け出した。