その1の2「心層ダンジョンと劣等生」
イツキの精神体、マインドボディが、心層世界に出現した。
誰でも出来る、心層への移動。
レイヤーシフトだった。
1969年の11月に、人々は、突然にその力を身につけた。
世界と共に、人々も変わってしまった。
自分の意思で、心層と行き来ができる。
そのような生き物になっていた。
突然の変化に、世の中は混乱した。
だが、人々はやがて、新たな世界に順応した。
心層の正体も分からぬまま、人々はそれを利用するようになった。
イツキもまた、心層を利用しようとする者の1人だった。
目的が有る。
細かい理屈などは、どうでも良かった。
イツキの体は、現実と同じ制服を身にまとっていた。
現実の制服が、心層にやって来た……わけでは無い。
イツキのイメージが作り出した、仮初めの衣装だった。
イツキ
「…………」
ダンジョンの頂上を、イツキの両足が踏みしめた。
ダンジョンは、外見上は、レンガのような質感をしていた。
実際は、もう少し頑丈で硬い。
アンコ
「…………」
イツキの眼前に、アンコの姿が有った。
イツキとは違い、体が半透明になっていた。
通常のマインドボディでは無い。
イツキはそれを見ても、感情を動かすことは無かった。
見慣れた光景だった。
イツキ
「お邪魔します」
イツキは、半透明のアンコに頭を下げた。
アンコ
「止めろって言ってるだろ?」
アンコ
「……頭、下げるなよ」
若干の後ろめたさと共に、アンコは顔をしかめた。
イツキ
「ここは、先生のダンジョンですからね」
2人が居るのは、アンコの『領地』だった。
人は皆、心層に、自身の領地を持つ。
そして、領地に、ダンジョンを持っている。
ダンジョンは、心の一部だとも言われている。
彼らが立っているのは、アンコのダンジョンの、最上部だった。
ダンジョン最上部には、ダンジョン攻略のための、入り口が有る。
『パーソナルダンジョン』の出入り口は、1つだけだ。
最上部以外からは、ダンジョンには侵入出来ない。
ダンジョンは、遠くから見ると、角張ったキノコのように見える。
最上部は、広く平ら。
そこから下に、細長い本体が伸びていた。
ダンジョンは、ぼんやりと発光していた。
ダンジョン頂上から、下を見下ろすと、そこには地面が有る。
草一本生えない、不毛の大地だ。
まるで、D兵器を投下されたヒロシマのように。
アンコのダンジョンの周囲には、多数のダンジョンが生えているのが見える。
自分のモノでは無い、誰かのダンジョンだ。
赤の他人のダンジョンだ。
全人類のダンジョンが、この心層世界には有った。
並び立っていた。
荒れた地面と、キノコのようなダンジョンの群れ。
そして、空に見える星々。
それが精神の世界と言われる、心層世界の景色だった。
アンコ
「別に、ダンジョンに人を招くくらい、誰でもやってんだからさ」
イツキ
「俺は……」
イツキ
「俺にはダンジョンが有りませんから」
言葉の通り。
全世界でイツキだけが、心層にダンジョンを持たなかった。
その理由は、イツキ本人にも分からない。
イツキ
「自分に出来ない事を、やってもらっているんです」
イツキ
「頭を下げるくらい、させて下さい」
アンコ
「ブン殴るぞアマノ」
イツキ
「えっ」
アンコ
「冗談だ。生徒殴ったら減給だからな」
イツキ
「クビだと思いますよ」
アンコ
「えっ」
イツキ
「行きますよ」
イツキは、ダンジョン入り口の階段へ、足を向けた。
アンコもイツキの後に続いた。
アンコ
「悪いな。見てるだけで」
アンコは今、ハーフシフトと呼ばれる、特殊な状態に有った。
現実で意識を保ちながら、精神の一部だけを、心層に移動させる。
そんな特殊技術だった。
現実で活動出来る代わりに、心層での戦闘能力は低い。
ダンジョン実習では役立たずだ。
実質、イツキのパーティは、1人きり。
イツキは単身で、アンコのダンジョンに潜らなくてはならなかった。
イツキ
「いえ」
イツキ
「皆から、目をはなすわけにはいきませんからね」
レイヤーシフト中は、肉体が無防備になる。
そんな生徒たちを守るのも、教師の仕事だった。
イツキには、アンコを責める理由は無い。
だが、アンコには、イツキに対する精神的な借りが有った。
教師なのに、イツキの苦境を野放しにしている。
アンコはドライだが、血も涙もないというわけでは無い。
イツキの何気ない言動に、少々の心苦しさを感じていた。
そんな彼女の心中は、イツキには分からない。
授業の単位さえ貰えれば良い。
そう思っていた。
イツキは淡々と、歩を進めた。
2人は階段を降り、ダンジョンへと入っていった。
ダンジョン内部の壁面は、外観と大差無い。
レンガのような見た目をしていた。
やがて、イツキは階段を下りきった。
ダンジョン攻略の始まりだった。
大ネズミ
「…………」
イツキ
(さっそくか)
ダンジョンに入るとすぐ、ネズミ型の魔獣が見えた。
迷宮に住む魔獣は、『迷獣-ダンジョンビースト-』と呼ばれる。
心層に住む『3つの魔獣』のうちの、1種だった。
残りの2種は、迷宮には居ない。
それらは天に住んでいた。
大ネズミ
「…………」
大ネズミは、イツキに視線を向けた。
その視線からは、邪悪さは感じられなかった。
大ネズミが放つ気は、もっとまっすぐで、機能的ですらあった。
ただ、純粋な殺意が、イツキへと向けられていた。
ダンジョンに挑む者を、討ち倒す。
それが、迷獣の本能だった。
イツキ
「…………」
迷獣が来る。
そう思ったイツキは、自身の影に手を伸ばした。
その影は、光源によって出来たモノでは無い。
現実とは違い、マインドボディは、光源による影を作らない。
イツキが手を伸ばした影は、世界の変化と共に生まれたモノ。
意思の方角を向く、『セカンドシャドウ』だ。
今、影はネズミの方へと向けられていた。
イツキの戦意が向かう方角だった。
イツキ
(来い……!)
イツキが念じると、影から飛び出す物が有った。
『マインドアーム』。
人が心中に隠し持つ、武器だった。
心層では、誰もがマインドアームを呼び出し、戦うことが出来る。
人それぞれ、マインドアームの形状は異なる。
イツキのマインドアームは、木刀だった。
イツキは木刀を手に取り、構えた。
アンコ
「…………」
アンコは背後から、イツキを冷静に観察していた。
アンコ
(ダンジョンは無いってのに、マインドアームは出せるんだよな)
アンコ
(いったいどうなってやがるんだか)
アンコ
(後は、強力な『スキル』でも有れば良かったんだがな……)
人は、マインドアームから、特殊な力であるスキルを放つことが出来る。
過酷なダンジョンの攻略には、強力なスキルが必要不可欠だ。
だがアンコは、イツキがスキルを発動する姿を、見たことが無かった。
使えないのか。
それとも、使っても意味が無いほどに弱いのか。
ダンジョン探索者として、イツキの前途は、有望とは言い難い。
この時のアンコは、そう考えていた。
……。
イツキ
「ふっ!」
黄狼A
「ギャウッ!?」
アンコのダンジョン、第18層。
イツキの木刀が、黄色い狼を叩き伏せた。
黄狼B
「グァウ!?」
イツキは、さらにもう1体を、返す刃で跳ね飛ばした。
狼が、壁面に激しく叩きつけられた。
黄狼C
「ガァッ!?」
続いて襲いかかった3体目も、イツキの木刀に返り討ちにされた。
だが……。
黄狼D
「グルウッ!」
イツキ
「…………!」
もう1体の黄狼が、イツキの脚に噛み付いていた。
3体目を倒した時に、隙が出来ていた。
その隙を突かれた。
アンコ
(辛いわなぁ。多対一は)
イツキ
「はっ!」
脚を噛まれても、イツキは怯まなかった。
残りの黄狼の首に、木刀を突きこんだ。
黄狼D
「グウッ!?」
4体目の黄狼も倒れた。
迷獣は、死体を残さない。
静かに消え、時が経てば、また産まれてくる。
絶命した迷獣たちは、光を放ち、消滅していった。
戦いは、イツキの勝利だった。
だが……。
アンコ
「限界だな」
イツキ
「…………」
イツキの腕輪、リンカーが光った。
リンカーは、『オリハルコン』製の腕輪だ。
オリハルコンは、精神体を持つ金属だ。
そのように言われていた。
その精神体を、現実から心層に、持ち込むことが出来る。
また、『刻印』を行うことで、機械のような機能を持たせることも出来た。
リンカーには、たくさんの機能が有る。
その中に、基本と言える2つの機能が有った。
1つは、マスターリンカーを装着した人のダンジョンに、スレイブリンカーの装着者を転移させること。
つまり、他人のダンジョンを訪れるための機能だ。
リンカーが有れば、誰でも気軽に他人のダンジョンを攻略出来る。
もう1つの機能は、安全装置だった。
心層の体、マインドボディが死亡すれば、精神が死んでしまう。
その前に、一定のダメージを受けたマインドボディを、心層から脱出させる。
リンカーには、そういう機能が有った。
イツキは、黄狼からダメージを受けてしまっていた。
イツキのマインドボディが、心層から排出されようとしていた。
アンコ
(剣の腕は悪くないんだがな……)
アンコ
(いや、妙な癖を除けば、むしろ良すぎると言っても良い)
リタイアが確定したイツキを見ながら、アンコはそう考えた。
アンコ
(けど、1人じゃ20層も超えられないってんじゃ、どうせ先は無い)
アンコはとっくの前に、イツキを切り捨てていた。
イツキには、才能が無いと思っていた。
それは、クラスの問題に介入しなかった理由の1つでも有る。
ダンジョン攻略は、仲良しこよしの世界では無い。
プロを育てるのが、アンコの役目だ。
芽の出ない生徒を切り捨てるのは、仕方が無いと思っていた。
リンカーの機能により、イツキの体が輝いた。
そして、消えた。
マインドボディが心層から排出された。
強制排出。
『ベイルアウト』だ。
今回のダンジョン攻略は失敗。
そういうことだった。
アンコ
「…………」
アンコは目を閉じて、心層からの脱出を念じた。
アンコの体が輝いた。
アンコのダンジョンから、人の気配が消えた。
それと同時……。
???
「…………」
アンコのダンジョンに着陸したモノが居た。