バッテリーさえ交換すれば
公園のベンチに女が座っていた。見た目は若く、顔立ちやスタイルの整った美人だが、顔は不機嫌そうにしかめていて、見てわかるほどにいらついた雰囲気を漂わせていた。
もっとも、最初からむしゃくしゃしていたわけではない。五分ほど前、一緒にいたパートナーの男が公衆便所に行った時は、穏やかな様子だった。それから二分強が経過したころになって、急に気が立ち始めたのだ。
しばらくすると女は、少し離れたあたりで一人の少年がしゃがみ込んでいることに気がついた。女には背を向けている。横の地面にはラジコンのオフロードカーとプロポが置かれていた。
少年の前には一匹の猫が横たわっていた。ペットというわけではなさそうだ。瞼は閉じられ、体は微動だにしていない。おそらく呼吸すらしていないだろう。少年は猫の胴のあちこちを、ぺたぺたぺた、と両手で触っていた。
女は眉間を、きっ、といっそう険しくした。ベンチから立ち上がり、つかつかつか、と少年に近づいていく。「ねえ」後ろから声をかけた。「何をしているの」
少年は手を止め、振り返った。当たり前だが怪訝な表情を浮かべていて、女の全身を眺めた。「お姉さん、誰?」
「質問しているのはわたしのほうよ」女は片方の足の爪先で地面を叩きながら言った。「さっきから何をしているのよ。まさか、その猫がそうなったの、あなたのせいじゃないでしょうね」
少年はむっとすると、ぷいっと顔を前に向けた。「違うよ、これが動かなくなったのはぼくのせいじゃない。さっきまでは元気に走り回っていたんだけどね。急に倒れて、停止しちゃったんだ」再び猫の体を触り始めた。「たぶんバッテリー切れだと思う。ぼく、ちょうど今、ラジコンのバッテリーの予備を持っているから、交換してあげようと思って。そうしたらまた動きだすはずだから。それで、バッテリーボックスの蓋を探しているんだ」
そう少年が言った直後、女は目を釣り上げ、鼻の穴を膨らませ、口を半開きにした。それからみるみるうちに顔を真っ赤にし、「こんな考えの子供がいるだなんて!」と大声で喚いた。
少年は手を止め、振り返った。驚きの表情を浮かべている。少し離れたあたりにいる通行人たちも、何事かと言いたげな視線を遣ってきた。
「教育の質の劣化よ! ゲーム脳よ! 児童の倫理観の低下よ!」
少年は呆れ返った。顔を前に向け、またしても猫の体を触り始めた。
「まったくもう、親の顔が見てみたいわ! こんな子供がいるだなんて、この国の将来も心配でたまらないわよ!」
そこまで喚いたところで、「おいおい、いったいどうしたんだよ?」という声が聞こえてきた。パートナーの男が戻ってきたのだ。
「ちょっとちょっと、聞いてちょうだいよ!」女は少年の背に人差し指を突きつけた。「今ね、この子が馬鹿なことを言――」
ぱかっ、という音が鳴った。少年が猫の胴に付いていたバッテリーボックスの蓋を開けたのだ。
「……よし、予想どおりだ、この規格ならぼくの持っている予備が使えるね」
少年はボックスからバッテリーを取り外した。代わりにズボンのポケットから真新しいバッテリーを取り出し、セットする。蓋を閉め、猫から手を離した。
一秒後、猫はぱちりとまぶたを開いた。間髪入れずに少年の姿に驚く。あっという間に、たたたた、といずこへと逃げ去ってしまった。
少年は満足げな笑みを浮かべた。男が言う。「きみ、うちの連れが迷惑をかけたようだね」頭を下げた。「すまなかった」
少年はラジコンの道具一式を持って立ち上がり、振り返った。「いえ、別に気にしていませんよ。……それにしても」女の全身をまじまじと眺めた。「凄いですね」
「そうだろう?」男は誇らしげに胸を張った。「でも、まだいろいろと課題があってね。感情が制御できなくなってきているということは、そろそろかな」
そう言うと男は女の後頭部に手を遣り、バッテリーボックスの蓋を開けた。
〈了〉




