謎の男性
前回、撃たれる覚悟も無く撃ってしまったら見事に撃ち返されたので今度は覚悟を持って撃つことにしました。
少女は泣くのを止め、ポカンとした表情で振り向いた。頭上から聞こえた男性の声。
数秒の思考の後、ようやく自分が呼ばれていたことに気づく。
「ああいや、僕は怪しい人じゃないよ! まあ自分から『私は怪しい人です』なんて言う人はいないだろうけど……」
男性はまだ新品同様に綺麗な茶色のスーツを着ており、手には白い手套をはめている。近隣に住むような住民に比べるとどこか高級そうで、自分とは住むところが違う上流階級の人だと一目で分かった。
「大丈夫なら別にいいんだけど……。いやね、こんな街中で、しかも早朝に女の子が泣いているなんてただ事じゃないだろう? 何かあったんじゃないかと心配になってさ。もしかして親と喧嘩でもして来たのかい?」
「あ、ええと……」
私と全く身分の違う人に、しかも初対面の人に話しかけられ緊張で言葉が詰まる。それと同時に、さっきまで泣いていたところを見られていたことに気づき顔が火照るのを感じた。
『どーすんの?』
頭の中のワタシが尋ねてくる。
「え、あ、えっとどうしよう?」
「焦らないでいいよ。ゆっくり考えてくれればいいさ」
「あ、そっちの話じゃなくて、いや、そうじゃなくてこっちの話ですっ!」
「?」
男性は怪訝そうに首を傾げる。そんな彼の目に丁度太陽の光が差し込み、彼は一度目をそらす。
私は小声でワタシに話しかける。
「どうしよう?」
『うーん、私はアリだと思う。たしかに怪しさは少しあるけど、とりあえず今は落ち着けるところが欲しいし。それに他に行くアテはあるの?』
「うっ……」
確かにこんな手ぶらの状態でお家に帰ったら、今度こそお父さんになにをされるかわからない。もしかしたら家を追い出されるかもしれない。それなら今行った方が痛い思いをせずに済む。ただタイミングが早まるだけだ。お父さんと分かれるのは悲しいけど……、今はもう一人じゃないし、やらないといけない事もできた。
『じゃあ、決まりだね』
「うん」
私とワタシは決心しその場に立ち上がった。
「お、決まったかい?」
男性はポケットに手を入れ、寒そうに体を縮こませていた。
お父さん、ごめんなさい
心の中で誰に言うわけでもなくそう呟いた私は目尻についたままの涙を拭き、服にかかった雪を手で軽く払って頭を深々と下げる。
「はい。どうかよろしくお願いします」
「いやー、よかったよかった。もしこのまま断られたらただの不審者で終わるところだったよ」
私は彼のあとをついて行きながら大通りを歩く。
お日さまも昇り、道を行く人々の姿も増えてきた。大人たちは皆一様に新年のあいさつを交わし、子供たちは昨夜降り積もった雪で雪遊びをしている。
そんな平和な光景を見ていると、まるで昨日の出来事が夢のようにも思えた。でも、今もまだ聞こえてくるこのワタシの声とこの胸の中のポカポカした暖かさ。それが夢なんかでなく現実であることをしっかりと告げていた。
「それにしてもよかったんですか? お友達の方、道の真ん中で眠ったままでしたけど」
「いいんだよ。多分いつも通り目が覚めればちゃんと家に帰るさ。キミこそ服をそんなススまみれにしてどうしたんだい? まるで火事場から逃げてきたような恰好じゃないか」
ギクリ、という音が聞こえた気がした。
「あ、え~とその……」
私は俯いてワタシに語り掛ける。
「どうする? 正直に言ったらだめだよね?」
『うん。さすがに信じないとは思うけど、言うことでこの人にも危害が加わる可能性が出来るわけだし、ここはそれっぽい嘘でやり過ごそう。暖炉の中を大掃除していたとかね』
「わかった」
『それより、悪い人じゃなさそうだね。まだ絶対に安心とは言えないけど』
「さすがに疑い過ぎじゃ無いかな……?」
とても慎重なワタシの言葉につい苦笑いを浮かべてしまう。
「あの~……」
「ひゃっ! あっ、何でもないです。すみません!」
「まあ人には言えない事情とかもあるもんね……それならそれで大丈夫だよ。話せるときになったらで大丈夫だ」
男性はハハハと声に出して微笑んだ。
「す、すみません……」
「いやいや謝らなくていいよ。もし僕に話すのが嫌なら同居人にでも話してみたらいい。彼女はとても頼りになるぞお」
自分のことのように自慢げにそう話し、男性は腰に手を当てて胸を張った。
「同居人……ですか?」
「ああ。正確には『メイド』ってことになっているんだけど、僕は彼女のことをそう見たくなくてね。だから外では便宜上、同居人って呼んでいるんだ。彼女は僕と違って何でもできてとても頼りになる。彼女の作る料理がこれまた美味いのなんの!」
彼は意気揚々とその同居人のことについて語りだす。
「彼女とはもともと幼馴染で、実は僕が子供の時に雪山の中で遭難したのをたった一人で助けに来てくれたこともあるんだ! 街のみんなは僕のことを死んだと思っていたんだが、彼女だけはどうしてもそれを信じられなかったらしい。それから“僕を一人にしておくとまた消えてしまいそうで怖い”ってことで“僕のメイドになる”って言いだしたんだよ。それだけじゃなく彼女はさ――」
まるで何かのスイッチが入ってしまったようにその『同居人』のことをペラペラと語る男性。そんな姿を見て子供ながら、「この人はその同居人のことを愛しているんだ」と理解した。
心の中のワタシがニヤニヤしながら腕を組み頷いているような気がした。
「大好きなんですね。その同居人さんのこと」
「ああ、勿論さ。心の底から愛している! ――と、言うわけでここが僕の家だ」
大声で言い放ったと同時に男性は立ち止まり左手の方を指差した。
そこは街の大通りに隣接して建てられているレンガで出来た二階建ての集合住宅。おそらく最近建てられた新しい建物だ。
一見、普通の家庭の家のようにも見えるが、外から見てもすぐ分かるようにここの玄関と隣の玄関までの幅がとても長い。一部屋一部屋がとても広く作られている建物であり、とても高級な住宅であることが分かった。
「うわあ……!」
「遠慮しないでいいからね。たっだいまー!」
男性はニコニコと満面の笑顔で玄関前の階段に足をかけた。
その時だった。
ガコーン!
「ふげらっ!!!!」
重厚で低い金属音が鳴り響くとともに、男性の正面から何かがものすごい速さで飛んできて、額にダイレクトヒットした。
男性は何て言ったか分からないような短い悲鳴を上げ、まるで限界まで引き絞った弓のように身体をのけぞらせて新雪の上に倒れた。
「え」
私はあまりの突然の出来事につい立ち尽くす。
ただ一つ彼の正面から飛んできた硬いモノ。それはどこの家庭にもある、私も使ったことがあるような一般的なフライパンであることだけは見逃さなかった。
そのフライパンはまるで鐘のようにガランガランと音を立てながら淵の部分で回転しながら道路の上に転がった。
「帰りが遅いと思ったら朝帰りですか。しかも帰ってきたと思ったら人通りもたくさんある家の前で、中まで聞こえるぐらい大きな声で愛の告白をするなんて殺す気ですか? 馬鹿なんですか? 一回死にますか?」
状況を飲み込めず立ち尽くしていると、家の中から顔を真っ赤にさせながら、しかし淡々と冷静に話しながら女性が姿を現した。
真っ黒のワンピースに白いフリルが付いたエプロンドレス。
その姿はまさしく「メイド」そのものだった。
『この人が同居人さん……でいいんだよね?』
いつも自身満々なワタシもどこか不安げに尋ねてくる。
「ん?」
そのメイド姿の同居人(仮)さんと目が合う。
まるで今にも男性を殺さんばかりなその鋭い目つきに身震いしてしまう。
私は無言でとりあえず礼をする。
その礼には「よろしくお願いします」という挨拶の意味となぜか「すみません」という謝罪の意味が込められていた。
同居人さんは私の方をジーっと凝視した後、何かを理解したのか口を「あ」の形に開いた。
よかった、なんとか理解してくれたみたい。
私はそれに対して笑顔で返す。
すると同居人さんは階段を降りて、自分の投げた剛速球のフライパンに当たって倒れた男性の傍に駆け寄り――――
胸ぐらをつかんで顔面を殴り始めた。
「『えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?』」
「なるほど、朝帰りだけに飽き足らずこんな幼い女の子にまで手を出していたんですね。しかもこんなに汚して。心の底から軽蔑します。いっそ本当に殺してあげましょうか? 安心してください。あなたを殺した後、私も主殺しのメイドという汚名を被って地獄までお供しますから」
「ちょっと待っげふっ! 誤解だってゲルダ、ちゃんと話をあげっ! 帰りが遅ぶはっ! ……悪かっぐほっ! …………流石に痛ぐぇっ!」
口を一回開くごとに一発ずつ放たれる拳。
そんな光景が道の真ん中で繰り広げられ、街行く人は「またか」、「新年早々元気だな」といった様子で微笑みながら通り過ぎていく。
「『と、止まって~!!』」
私たちは声を合わせながら慌てて止めることしか出来なかった。
アンデルセンはいいぞ