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ノエルの箱庭  作者: 渚咲 千桜
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第1話 「焦り」

 静かな朝だ。なにかやる気が起きるわけでもなく、ただひたすらに冷たく、透き通る空気が肌にふれ気持ちいい。


「ようやく9月か」


 訳もなくこの時期には秋を感じる。ひんやりとした澄んだ空気を吸っていると、まるで自分も空間の1部になっている気分だ。


 なぜ季節とは変わった瞬間に、気温や景色までもが変わってしまうのだろうか。

 変わることというのは到底悪い意味には聞こえない。しかしこれは一般的な視点から判断した時のみだ。

 観測者が変われば当然見方も変わる。例えていうなら視覚だろうか。視力が低い人には世界がぼやけて見えるが、当然そうでない人は視界良好、なんら疑問を抱くことなく生活している。


 これの問題としては、人によって見方が変わるということを、一部の人は理解できないということだ。


 観測者が状態の違いを確認し、変化したと認識することで初めて変化というものが成立する。言ってしまえば、変化とは差別だ。


 宝くじを当てて生活が裕福になるのも変化、逆に堕落して生活がままならなくなるのも変化、しかし変化したと判断する時というのは、どうしてか良い状態への変化をした時だ。


 一般的な視点というのは、悪い方向へと動いた変化から目を背けて成り立っている。悪い方向へ変化した時点で、一般というレールから外されてしまうのだ。それが今の世の中だと俺は思っている。

 この状態の変化に差をつけて考えるから立場が上というだけで神様気取りの人間が存在するのかもしれない。


 そもそも変化の定義自体人によって異なるものなのだ。押し付けてはいけない。


 誰にとっても悪い意味にならない変化というのは、人物が関与しない時だろうか。

 立場や容姿、財力など、差別や嫉妬が起こりうる変化の観測というものは、必ず人物が関与している気がする。いい方向でも悪い方向でも、定義が違う以上誰かにとっては悪い意味になってしまう、そうだ、言葉自体そういうものだった。


 長考の末に得た結論は、今までの人生を否定するようなものだった。ただ、その結論に満足したのか、俺の頭は考えることをやめていた。

 

「さてと…」


 ひとつため息をつき、シワのよった眉間から力を抜いた。考え事しすぎたかな、朝からよくもまあ頭が回ったもんだ。さて今日も一日…


「あ、やべ」


 今日も一日がんばろう!とかどこかの熱血教師じみたことを言おうとしたが、その今日をスマホで確認しようとした時、9という数字が脳内を埋めつくした。


 9月ですか、いい季節ですね。知ってましたか、夏休みって8月末までなんですよ。


 起きた時に秋を感じた時点で気づくべきだった、昨日の俺はなんで余裕ぶっこいて夜更かしなんてしていたのだろうか。9月じゃん


「ああ〜もう!!!」


 ピンチになると人は大声をだす。大声を出すと気合いが入る、という人もいるが本質は違う。反射的に出るもの、意図して出すもの、色々あるけど一貫して言えるのは、今起きた出来事を考えたくないあまり、少しでも過去に戻りたいという潜在意識がそうさせる。


 今、ものすごく昨日に戻りたい。


 さっきまでの眠気が、少しずつ焦燥感へと変換されていく。これまでの自分を塗りつぶすように、身体の細部にまで行き渡る焦りという感情は、いつだって人を急がせる。他の感情を押し退けてまで "急ぐ" という一点を目標に、脳の命令伝達速度を限りなく0秒に近づける。


 1度この状態になってしまえば人間は誰しも、限界と呼ばれる制御の壁を超えることが出来るのだ。


 限界を超えた状態にまかせて一瞬で身支度を済ませた、タイムロスのない完璧な時短だ。その勢いに任せて玄関へと足を運ぶ。ようやく家を出られると安堵したのか、感覚が徐々に戻ってきた。視覚、嗅覚、触覚、そして、聴覚。

 玄関につき扉を開けると、耳に入ってきたのはゴミ収集車の音だった。


 そこで俺は悟ったのだ。最初から起きる必要などなかった。


「日曜日かよ!!」


 ふざけるな、やっぱり寝起きで頭なんか回ってないわ。昨日の俺が夜更かししたのも多分これだろ、いや絶対これだわ。

 いきなり玄関から飛び出し、大声を荒らげた俺はやはり過去に戻りたいと思った。ご近所さんが驚いた表情でこちらを凝視しているという理由もある。恥ずかしいから戻ろう…


 仕方ないからもう1回寝とくか、と羞恥心を隠すべく再びベッドで横になり、宮浜結希(みやはまゆうき)は眠りについた。


 学校の帰りだろうか、俺は電車に乗っている。周りには当然知らない人がたくさん乗っている。

 俺は今一人になりたいんだ。そういってひとけを感じないために、イヤホンから音楽を流している。しかしなぜだろう、音は聞こえないみたいだ。


 ガタンゴトンと揺れる、電車の音をかき消すほどの大きな雨が降っている。耳はそっちに集中しているらしい。

 不規則なノイズを聞いていると、嫌なことを考えなくて済む。だから雨は好きだ。


 しかし自然現象というものはそうも都合よく感情に応じてくれる訳では無いらしい。

 電車がトンネルに入った、先程に比べて狭くなった空気の範囲が、音を通じて俺にそれを知らせる。雨の音も消え、電車が進む音も、質からまるで変わった。


 ずっと意識していたものが突然消え、俺のイヤホンは初めて音を流した。


 あれ、この曲懐かしいな。いつから聞いてなかったんだろう。


 耳に入る音が変化し、それに合わせて俺の行動も変化した。暗く俯いていたさっきまでの自分はどこへ行ったのだろうか、俺の心は再び光を宿した。


 変化した自分を確認できる気がして、俺はふと目の前の窓を見た。

 見知らぬ景色、見知らぬ姿、どう反射しても、映らない像がそこにはあった。


 ここは電車の中だ、周りからの干渉はそう受けないはずだろう。しかし


 それに疑問を抱くことも無く、俺の頭は考えることをやめていた。



 窓に映った俺は、首を吊っていた。



 トンネルを抜け、世界に色がついたことでようやく、停止していた思考が回り始めた。


 え、とひとこと、言葉がこぼれた。疲れていたのだろうか、一瞬すぎた出来事にあまりに衝撃を受け、気のせいだと脳内で処理されてしまうのも無理はなかった。


 それよりも、色のついた世界に、意識が上書きされたのだ。


 全くとして濁りのない鮮やかな水色。まるで自分が異物に思えてしまうほど透き通った海と空がそこにはあった。


「綺麗だ…」


 周りの目も気にせず、思わず口に出してしまった弱々しい声。視界に映る景色を表す言葉が見つからず、ただ綺麗だと一言零れてしまったのだ。

 弱々しいながらも、声量はそこそこあったのだ。だからこそ、零れたと言う言葉が相応しいだろう。

 いきなりこんなことをすれば、周りから悪い意味で注目を浴びることになるだろう。しかしこの行為に疑問を抱く人間は、誰一人としていなかった。


 そもそも、車内には誰もいなかった。


 そして俺もまた。人が元々いたことなど覚えていない。世界の青さに魅了されていた。


 少年がひとり、それを運ぶ電車のようなものは、空を走っている。下は一面が海だった。


 現実との相違からだろうか、脳が全力でこの景色を否定している。おそらくこれは夢なのだろう。そう結論づける間もないまま、拒否反応に応じてか、いつの間にか俺の景色は見慣れた部屋に切り替わっていた。


「なんだ…今の…」


 目が覚めてまず、今見た夢について考えた。というのも、その夢が異質すぎたからだ。


 実際に映った映像は僅か30秒ほどもない。にもかかわらず、夢の中で体感した時間は、軽く20倍を超えている。

 一番の問題は、景色を思い出せないことだ。人間の脳というのは、感情に呼応して景色を切り取る。その時感じたものの数々で記憶を構築しているのだ。


 それを記憶していなかったということは、俺は何も感じなかったのか?いや、俺は逸脱した景色を前に、綺麗だと、感じたことを口にこぼした。だからおかしいんだ。見たことも無い、想像もつかないほど美しい景色をなぜ夢に見た?


 おかしい、処理しきれない情報を構築できるはずがないんだ。


 ここまで気持ちの悪い感覚はいつぶりだろうか。上から下へ、鳥肌をつたって冷や汗が流れていく。しかし、こう嘆いていては求める答えなど手に入るはずもない。


 さて整理しよう。まず電車だ、なぜ俺は電車に乗っていた?学校からの帰りだろうか、いや、俺は電車通学などしていない。だけど制服を着ていたのは引っかかるな。


 学校帰りに遊びへ出かけていたのだろうか。俺の性格上1人で遊びに出向くことはない、あったとしても電車など利用しないのだ。

 だから、おそらくは友達と遊んでいたのだろう。その先で何かあって俺は落ち込んでいたのかもしれない。

 何があったかまでは情報が少なすぎて思いつかない。しかしこれで電車への疑問のひとつが解けた、あくまで仮定だけどな。


 次は音だな、いくら自然音に耳を傾けていたとしても、流石にイヤホンの音が聞こえないことは無いだろう。過集中していれば、とも考えたけどイヤホンで音楽ながしてたらそもそもほかの音に集中なんて出来ないだろう。それが普通だ。イヤホンから音楽が流れ出したのはトンネルに入ってからだよな、周りの音が変わったから自然音への集中が途切れたんだ。


 いや…そもそもそこで音楽が流れ始めたんじゃないか?どういう聞こえ方をしたか思い出せればすぐにわかるんだけど…無理だ。


 流石は夢、起きたら忘れることが多いぜ。トンネルの中で何があったかも覚えてないな。けど、トンネルを抜けた後のことは覚えている。

 考えることをやめていた頭がまた、考えたいと思い始めた。景色に魅了されたからだ。しかしその肝心な景色というのが、それだけがどうも思い出せない。記憶できなかったんだ。


 綺麗な空と海の青さはその車内にも映し出されていた気がする。その影響で車内を見たんだ。そうだ、誰もいなかった。なんで急に人が消えたんだ?乗った時は確かに大勢人がいたはずだ。あの時は景色に気を取られすぎて気づかなかったのか?いや、そもそも消えることを知っていたんじゃ…


 それにしてもよくもまあコロコロと場面が変わったもんだ。実際30秒ほどの映像だぞ?要素多すぎて頭パンクしそうだけど…


「あ、そういや…今何時だ!?」


 変なことを考えるもんじゃない、大きく時間を取られてしまった。しかしここまで中途半端に考えて諦めるというのは、あんまり気持ちよくない。ただこれは、じっくり時間をかけて考えるべきだ、とそう思った。というのも、寝る前の記憶が正しければ今日も学校へ行かなければならないからだ。そうだ、二度寝から目覚めたんだっけな。寝る前は9月1日の日曜日で…と考えながら、パッとデジタル時計に目を向けた。表示されていた四桁の数字は、まだだいぶ早朝を指していた。時間的にも余裕あるし、スマホでも開くかな。


「……は?」


 おかしい、状況的に今は、日曜日か月曜日でなければおかしい。しかし、何かしようと起動させたスマホの画面には、木曜日と表示されている。ましてや7月28日だ。まだ夏休みなのか?そもそも、二度寝をする前の記憶というのも夢なのだろうか…



 いや、おかしい。



 手が…違う…


 違和感しかない。スマホを握っている自分の手は明らかに、今までより小さかった。


「え…いつだ…これ…」


 スマホの電源を付けてから数秒、驚きにより身体が硬直していたために、操作などひとつも出来なかった。その結果スマホの画面は黒くなり、俺の姿を反射している。いやこれは、俺なのだろうか。確かに見覚えのある姿ではある。


 ああ、思い出した。少しずつ、感覚に記憶が注がれていく、画面に映し出された俺の姿は明らかに



 ーー幼かった



 この時、俺はある程度の仮説をたてた。今までの人生が全て夢だったのか、今見ている景色が夢なのか。

 しかし悲しいことに仮説というものは、混乱した脳を落ち着かせる魔剤にすぎないらしい。


 感覚的な事実が、それを俺に突きつけた。わかるんだ、今までの人生も、全てリアルだ。俺が生き、歩み、時には間違ったりもしてきた俺の人生だ。


 過去の記憶が真実だとするならば


 つまり、今俺は




 ーー過去に戻ったんだ

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