8話 ようこそ夢の世界へ(6) 〜侵入〜
ここまで遠海さんと泡沫の話を聞いて分かったことは、実のところそこまで無い。泡沫が言っていた“エッグラプト”というのも、遠海さんが言っていた“ナイトメア”なるものも俺には心当たりがなかった。
そして、“イディア”という単語も同じ。泡沫の口ぶりからそれはあの睡眠医療センターに関わる人間なら知っていて当たり前の基礎知識のようだが、残念ながら実際には部外者である俺に分かる由など無い。
セント・クリスティーナ睡眠医療センター、という今まさに直ぐ側まで来ている謎の施設がただの病院では無いことぐらい、すでに理解している。でも、具体的に何をやっているかまではまだ掴めていなかった。まぁ、だいたい“非合法の人体実験をしている”とか“睡眠に関する倫理的にヤバい研究を隠れて行っている”とかだとは思うが。秘密にするということは、そのレベルのことをやっているのだろう。
「……古都くん?」
っと、今はこんな事を考えている場合ではなかった。俺がすぐ目の前にある真実を掴むためには、ここに来て立ち塞がった泡沫の質問に答えなければならないのだ。
「それは、だな、、、」
言いづらい感を出して時間を稼ぐが、これでごまかしきれるほど優秀な手ではないことは重々分かる。ここをパッションで乗り切ろうものなら、さすがの泡沫も俺に疑いを持つだろう。せっかく信用十割にしたのに、それを最後の最後で台無しにするわけにはいかない。
だが、“イディア”とはなんだ......?
問題はそこだった。思いつく可能性はいくつかある。俺はラノベやらアニメやらで鍛えたと言っても過言ではない、空想と妄想には長けた脳をフル稼働させ、瞬時にその可能性を検証していく。
まず、“イディア”というのが何らかの形あるものを指している場合、だ。例えば定期ではないが身分証明のICカードだったり、警察手帳のような一目で『味方だ』、と安心できるもののことを“イディア”と呼ぶという可能性。
だが、それは薄いだろうな。もしも泡沫の言う“イディア”が形あるものなら、質問は『教えてくれないか?』ではなく、『見せてくれないか?』だろう。そこにスッと手を差し出す仕草があれば、より確実。
というわけで、“イディア”という単語が証明書のような形あるものを指しているという線は消えた。というか、消す。これで俺の中に残っている可能性は残り2つとなった。そして、ここからは厳しい話、“賭け”になる。
「……俺の“イディア”は......」
喉が乾いてカラカラだ。この一瞬で、随分と緊張してしまったようだ。おかげで、口の中の水分を殆ど持っていかれてしまったじゃないか。そんな俺の言葉に、泡沫はゴクリとつばを飲み込む。そんな、俺の発言に注視している泡沫の前で俺は覚悟を決めた。
賭けに対する覚悟を決め、言葉を発する......のではなく、肩の力を抜いてフッと笑った。
「……やめよう。ここでは言えない」
「言えない? 古都くん、それは一体どうしてなんだ?」
訝しげに眉をひそめる泡沫。その反応は正直想定通りだった。その疑いに、俺はしゃあしゃあと嘘を重ねる。
「俺のは言葉で説明するより、見てもらったほうがいいからさ。ほら、百聞は一見にしかずって言うだろ?」
「……そうだな。古都くんがそう言うなら、ワンダーランドでたっぷり見せてもらおうじゃん?」
泡沫は少し前の純粋な信じ切った目に戻り、ニッと笑った。その表情に俺は心のなかでホッと胸をなでおろす。良かった、乗り切った。“ワンダーランド”という不思議な言葉も増えたが、それでも窮地は脱したようだ。
俺が残る可能性として考えていたのは、“イディア”という言葉が俺の何らかの情報を示しているというものだ。教えてくれ、ということは“イディア”とは間違いなく俺に関わるブツだ。そして、この段階で俺の中には2つ、可能性があった。
ひとつは“ナンバー”。コードネーム、二つ名でも意味は同じだが、セント・クリスティーナ睡眠医療センターに関する人間にはそのような識別の名前、番号が割り振られているという可能性だ。そして、“イディア”という単語はそれを指し、泡沫は俺にその番号、名前を明かせと言っているのだという仮定。
そしてもうひとつは、“力”。身体能力、身体的特徴のことを“イディア”と呼んでいるのだという仮定。身長体重を明かせというのも変な話なので、例えばIQのような知能指数や握力のような身体指数だと思う。だが、わざわざ“イディア”なんて不思議な呼び名をするということは、もしかしたらその正体が『異能力』という可能性も......いや、これは流石にラノベの読み過ぎか。
その2つの可能性の内、俺に選べるのは一つしか無かった。もちろん、後者だ。前者の場合、まずナンバーを言うかコードネームを言うかというさらなる選択肢がある。それに、その行き先は膨大だ。適当に言って乗り切れる可能性、なんてゼロに近いだろう。
だから、俺は後者に賭けた。あえて『俺のは』と濁したのもそのためだ。後で見せる、と言ってこの場を乗り切る。そして、言葉の端に『力ですよね?』と理解している節を挟むことで、俺がこの場をすり抜けるためにごまかしていると気が付かれずにに済むのだ。
もしも『この場で見せてよ』と言われたとしても、俺には『機密なんだろ?』という盾があったので乗り切れることは確定だったのだが、泡沫はそれ以上俺になにか聞いてくることはなかった。そして、
「……行こうぜ。咲乃ちゃん待たせたらまたどやされるからな〜。あっ、咲乃ちゃん知ってる?」
「……名前くらいはな。俺たちの学年のマドンナなんだろ?」
「そうらしいな〜。まぁ、俺は仕事上咲乃ちゃんの本性知ってるから学校での彼女のギャップ、怖いったらありゃしねーんだけどさぁ〜」
まるで友達に接しているかのように泡沫は明るく笑った。この短時間で俺を信用してくれるとは、これは大成功と言っていいだろう。小鳥のことが片付いた将来は詐欺師にでもなるかな。
こうして、完全に俺への疑いを解いてくれた様子の泡沫と共に、俺は数日ぶりとなる睡眠医療センター内に足を踏み入れた。ウィーンと音を立てて開いた自動ドアを抜け、今度は泡沫がいるため堂々と階段を登って二階へと行くことが出来る。受付の看護婦が前回と変わっていたのは、ラッキーだった。これはやはり、ここまで来たら最後までやりなさいという神様からのお告げ、というものなのだろうか。
「どした?」
「……いや、何でも無いよ」
キョロキョロしすぎたのはやはり不自然だっただろうか。泡沫の不思議そうな言葉に、俺はニコリと笑ってごまかした。助っ人という設定なのだから、もっと堂々とした態度じゃないといけないのだったな。
そして、前回の来訪時には屈んで盗み聞きをした施設の二階の扉を、泡沫があっさりと開く。泡沫は俺を関係者と思い込んでいるわけだし、俺も関係者という設定でここにいるわけだ。だが、俺が探していた真実がこの扉の奥にあるのかと思うと、流石にドキドキと緊張し、俺はゴクリとつばを飲み込んだ。
「……こんばんは〜! クリスちゃん、助っ人呼んでくれてありがと、マジでっ!」
扉を開けて開口一番、泡沫がテンション高くそう口にした。扉の奥にあったのはモニタリングルームのような場所。大きなガラスに四方を囲まれた部屋が真ん中にあり、そこを取り囲むように何やら計器や画面等がズラーッと並んでいる、そんな場所。まさか、こんな不自然な部屋があるのは治療のためではないだろう。やっぱり、この病院はなにか隠していた。
そこに、この前俺と咲乃の間を仲裁したあの外国人女性もいた。
「ハーイ、ハルっち! 今日も少し遅刻してマースよ? これは感心できないデース―――」
クリス、と呼ばれたその女性はプンプンと頬を膨らませ、「悪い悪い!」と、さほど反省した様子もない軽い言葉を並べる泡沫に詰め寄っていた。そして、距離を詰めたことで必然的に泡沫の背中に隠れていた俺とも目が合う。
その瞬間、その目が「……!」と驚きに見開かれたのを見た。あんぐりと口を開き、ハッと息を呑む。驚きの仕草のオンパレードを見せた外国人女性に、泡沫が「?」という反応を見せる。まぁ、何が起きているのか理解できないだろうな。
「……ごめん、泡沫」
「はっ?」
そろそろ、か。呆然とする泡沫を押しのけ、俺はその女性の前にズイッと身を晒した。ここまで入り込めれば、もう大丈夫だ。潜入は成功。隠密行動が目的なのではなく、こうしてこの施設の内部に入り込むことこそが重要だったのだから。
「あ、あなたは、、!」
「……数日ぶり、ですね。すみません、関わるとろくなことがないと忠告してもらった所申し訳ないのですが、来てしまいました」
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