1話 どりーみんわーるど(1)
世の中には様々な夢がある、と思う。叶えたいとか、実現してほしいと願う空想も夢だし、毎夜のように見る嫌な光景だって夢だ。夢のような美しさ、という言葉だってある。
まぁ、結局“夢”というものは俺達が過ごすこの現実から離れたもの、そんな世界のことを言うのだろう。そうであれば、俺達が今から行く世界もやはり夢の世界だ。
『はぁーい、快適な睡眠への準備はオッケーデースか? 響介くん』
「……えぇ、バッチリです。自前の枕も持ってきましたし、今晩はぐっすりと眠れそうですよ」
ベッドサイドの小型スピーカーから聞こえてきた声に、俺は冗談を交えながら返した。
『ちょっと古都くん! まったく、今から死ぬかもしれない任務なのに、あなたに危機感ってものは無いのかしら?』
「……声が大きい、咲乃。それと危機感ならバッチリ携帯しているから大丈夫だ、問題ない」
『なら良いけど、、。とにかく、死んだら殺すわよ?』
「はいはい、死んでいる人間にオーバーキルを仕掛けるような恐ろしい遠海さんには逆らいませんよ」
若干一名ほど冗談の通じにくいやつもいるが、まぁこれも日常茶飯事だ。寝る前の冗談だというのに、いつもいつもこうして本気で怒ってくる。俺も咲乃の前では止めなければとは思っているのだが、それでもついつい冗談を挟んでしまう。たぶん不安の裏返し、とかなのだろうか。
「……そういやさー、響介。疑問なんだが、俺らって咲乃ちゃん抜きでやれんのかね?」
「咲乃は来ないんじゃなくて、遅れてくるってだけ。アイツらが活発になる真夜中までには合流できるから、問題ないと思う。それに、今夜は悪魔憑きの報告も入っていない。初級の夢獣だけなら、俺とハルの二人でも十分だよ」
「ヘヘッ、頼られるとちょっとかっこいいとこ見せたくなるな。……よっしゃ! やるぜ、響介。咲乃ちゃんとユメちゃん泣かせないためにも、絶対に生きて朝を迎えような」
ハルの相変わらず呑気な口ぶりに、俺はふとその少女の顔を思い浮かべた。
薄桃色の髪をボブぐらいの長さにした、いつもボーッとしている女の子。咲乃のような冷たい目でもハルのようないつも暑苦しい目でもなく、トロンとした眠そうな目をした女の子。今この部屋にはいないが、いつも戻ってきた俺たちをおっとりとした笑顔で出迎えてくれる。そんな緊張の無い表情にどれほど楽になれたことか。
そんな待ってくれているユメのためにも、確かに今夜で死ぬわけにはいかないな。俺はハルの言葉にフンッと笑みを浮かべた。
「当然だ。あと、ハル。その死亡フラグみたいなやつ、不安を煽るだけだから止めてくれっていつも言っているだろ?」
「あぁ、悪い悪い。次から気をつけるぜ!」
「……それもハルはいつも言ってる......っと、始まるみたいだ」
スッと部屋の明かりが消えた。余計なものは無い、必要な機械のみが集まった“白い部屋”。
そのベッドの上に俺とハルは横たわり、天井を見上げて目をつむった。もう何度も繰り返して慣れたと思っていたが、ただ眠るのとは違う感覚には今でも少し恐怖したりする。
でも、一人で夜の闇の中に目をつむるよりは、このほうが幾分かマシだ。
『……アーユーレディー?』
「オッケーです」「いいぜ、準備バッチシだ!」
俺達は小型スピーカーの声にコクリと答えて、気持ちを落ち着けるようにフゥーと息を吐いた。そして静かにしっかりと目をつむり、ボソッと呟いた。
「―――入眠開始ッ!」
そう呟いた途端、一気に意識が闇へと落ちていく。普段の“眠り”というものを、極限まで深く、限界まで早くする―――それが、この“エッグラプト”という機械だ。
そして、そうすることで俺達は“ここではないどこか”、現実から離れた“夢の世界”へと行けるのだ。
* * * *
パチっと目を覚ますと、その世界独特のヒヤッと冷たい空気が体を包む。その空気が緊張感を高めてくれる。が、同時に余計な感覚まで研ぎ澄まされるのは疲れるから止めて欲しいものだ。常に緊張しっぱなし、というのも案外疲れるのだから。
『おはよう、響介。よく眠れたか?』
「馬鹿を言うな、ハル。夢の世界におはようは無いだろ。まだ俺たちの肉体は現実世界で眠っているんだから」
『あー、そうだな! まぁ、こっちで起きる生活はしたくないよなぁ〜! よしっ、じゃあ向こうでパッチリ目を覚ますためにも、今夜もちゃっちゃと片付けちゃおうぜ』
「ハハッ、賛成。早く仕事を終わらせたら、その分夢の世界で自由時間が増える。それは願ったり叶ったりだ、、っと、早速俺の方は現れたみたいだ。念話、切るぞ?」
『タイミングバッチシ! ちょうど俺の方も現れたみたいだぜ。じゃあ、お互い良い眠りを』
「あぁ、健闘を祈っている。……さて、、」
ガサッと窓の外から聞こえてきた物音を受け、俺はスッとハルとの通信を切った。
ここは正真正銘、夢の世界だ。通称を『ワンダーランド』という。誰が名付けたか分からないが、驚きに満ちた世界という意味では案外的を得ていると思う。
俺はスッと立ち上がり、腰に刺した短剣と小銃に手を触れて、その存在を確認する。これらは一応の武器だが、確認を怠ればすなわち死に直結する。触るくらい、たったの一秒足らずで死を少し防げるのなら安いものだ。
「―――やるか」
フゥッと軽く息を吐き、俺は右手で左手首をガシッと掴んだ。と、同時にバキバキッと凄まじい断裂音と共に、家の壁が吹き飛ばされた。この家は俺の家でもハルの家でも、もちろん咲乃の家でもない、正直どうでもいい家。だが、こんなあっさりと壊してしまうのはそれでも勿体ないなぁ、とは思う。
そんなことを思っても、“夢の世界”ではどうせ数日もすれば修復力で再生しているのだろうが。
なんて、適当な事を考えていた脳から無駄な情報を追い出し、俺はグッと左手を握りしめた。
「……俺の左手は今、お前たち“夢獣”の腕だ」
右手は普通の細身一般男子高校生のもの。だが、今の俺の左手はザワザワと真っ黒な闇が波打つ、それはとうてい人間の物ではないおぞましいものだった。
そして、俺の目の前でついさっきこの家の壁を吹き飛ばした夢獣も、その見た目は決して美形とは言えない。むしろ、異形だから俺と同じでおぞましいものだろう。
「コロス、、コワス、、」
「なんとも物騒な寝言だな。だが、残念ながら俺はここで死ぬわけにはいかない。お前の目を覚ますのは......殺すのは、俺だ―――」
夢獣が俺を覗き込んでその顔を近づけた所を、逃さない。タイミングを合わせて、俺は夢獣と同じその左腕をブンッとその顔面に叩き込んだ。
手応え通り、その衝撃は夢獣にとって文字通り目の覚める一撃だったのだろう。フラフラと後ずさったかと思うと、サラサラと真っ黒な砂粒になって風に舞い、消えた。
「……サイズは初級、力はまだ簡易級ってところかな。まぁ、何にせよ夢獣は全て俺の敵だ」
スーッと左腕の闇を解き、元の人間の腕に戻した俺は感覚を確かめるように二三度ほど手をぐーぱーし、そして再びギュッと力強く握りしめた。
夢獣はこの世界、“夢の世界”に存在する怪異だ。普通は表の世界、俺達が普段暮らしている世界に直接干渉してくることはないのだが、人の見る夢を通して間接的に悪影響を及ぼしに来ることがある。
それに、ある程度大型の夢獣になると、2つの世界の決して壊れないはずの境界を無理に引き破って現実世界に侵入してこようとするのもいる。それを未然に防ぐのが、俺たち夢狩の役目だ。
「……さて、少しばかり見回りをするか」
夢の世界は近くに誰も居ないことが多いので、こうやって不意に独り言が漏れても恥ずかしい思いをしなくて済む。が、その謎のメリットにここの危険性が釣り合うかと言われたら、まぁ不釣り合いも良いところだろう。
『ちょっといいかしら、泡沫くん、古都くん』
その時、脳内に咲乃の声が響いた。ここは夢の世界。睡眠状態にある脳を現実世界の回路で繋ぎ、こうして念話のようなものを可能にしているのだった。まさに夢の世界ならではの不思議な力にもそろそろ慣れてきた。
「咲乃の声がするってことは、こっちに来れたんだな」
『えぇ、おかげさまで。迷惑かけちゃったわね、ふたりとも』
『まー、そんなに時間も経ってないし、俺は気にしてねぇぜ? なぁ、響介』
「俺も気にしていない。いつも咲乃には助けられているからな。そのお礼と思ってくれたら良い」
『ちょっ、二人共......褒めても何も出ないわよ?』
その声はどこか照れているように聞こえた。俺はフフッと笑い、
「よく知ってるよ」
そう答えた。あぁ、本当によく知っている。咲乃を褒めてなにか出てきた試しはない。からかった結果蔑む目で睨みつけられたことはあるが。
俺の言葉に、ハルや咲乃のクスクスとした笑い声も響いてきた。夢獣の脅威がある夢の世界でこうやって話したり笑ったりする余裕が出てきたのも、随分と依頼や実践をこなして経験を積んできた所以だろう。
だが、そんな今夜も夢獣は活動している。地球面積のおよそ半分が夜で、その多くが眠っている......いつ何時であれ眠り人が一人でもいるのなら、この夢の世界から夢獣の脅威は消えない。
そして、それは今夜とて同じこと。その時、不意にピピピッと緊張感を高める音が鳴った。
『……古都くん、泡沫くん。残念なお知らせよ。中級の夢獣が出現したわ』
「中級、か。……分かった。すぐに救援に向かうよ」
咲乃からの救援信号を受け取り、俺は表情をキッと真剣なものにして駆け出した。夢獣は本当にいつ何時も俺たちを休ませてくれないな。
『今夜は寝かさない』......そんなセリフは化け物にじゃなくて、女の子に言ってもらいたいものだ。
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