更に今より、車に寄り添った世界で。
クソSFとして出発した短編と、繋ぎの一話、そして今作。理想郷というやつは、やはり書いていて楽しいものです。
ですが、クソSFとしては今作が最後。次回からは、2ndシーズンのような、ちょっと違う物語として力を入れたいと考えています。
具体的にはもっとライトに、イージーで、車は楽しいと思いっきり強調させて。
アサヒやソラ、ユウがもっともっと輝く世界へ。もしそれが余すこと無く描けたなら、作者冥利に尽くというものですから。
今後とも、双子座いすずをよろしくお願い致します。
そして世の旧車乗りに、幸あれ。
アサヒは午前4時に目が覚めてしまった。どうにも興奮が抑えきれないらしい。遠足前の小学生みたいだなと思いつつ、手探りで枕元に置いたカラビナを探す。ちゃきりと音を立てて持ち上げたカラビナには、カブのキーと、家のキー、それから一回り大きい、スバルと書かれたキー。昨日夕刻にそれを受け取ってから、まだ半日と経っていない。とりあえず少しでも寝とけ、と眼を閉じるのだが......
「寝られない......」
30秒と経たずにがばりと起きた。いそいそとパジャマから制服に着替え、まだ明けきっていない群青を背にインプレッサのエンジンを掛ける。
ギュココ、バボン。ドドドドド......
スバル製水平対向特有の、腹の底に響く重低音。昔乗った助手席ではもう少し静かであったのだが、エンジン音がビリビリと響いてくる感さえあるほどうるさいのは、WRX-RAで吸音材が省略されているからなのだろう。ソラがいつもやるように耳を研ぎ澄ませて暖気運転をするのだが、ブルーバードと比べて格段にけたたましいインプレッサでは、いまいちわかると言う気がしない。水温計の針が動き出す頃には、「なんかまぁ......いいか」と一人呟く程である。時刻は4時13分、ユウならSJ413とか言い出すなぁなどと、無駄に考えるアサヒである。
ボン、ボォォォォン、ゴコッ。
初心者特有の長い半クラ、2速のタイミングを間違えて揺れる車体。「初々しいねぇ」と微笑まれるであろう若干怪しい挙動を見せて、インプレッサは動き出す。
「ソラ、そろそろ暖気しなくていいのかい?なかなか切羽詰まるんじゃないか」
時計をちらりと見やった時雨は、随分とのんびりしているソラに問いかけた。用意は済ませているのにソファに寝っころがったままのソラは、今日ァいいんだ、とやる気ない返事。
「アサヒが送ってくれンだよ」
なるほどな、と合点の行った時雨は、それならとブルーバードのサブキーを用意する。
「ブルーバード、父さんが乗らせてもらうぞ」
「あぁ、わかった。いってらっしゃい」
ソラはヒラヒラと手を振りつつ、自身もそろそろかと起き上がる。初めて見るインプレッサに、ひさびさに座る助手席か。アイツの事だ、きっと朝早くから乗り出していることだろう。昔、早起きしすぎて眠い目擦りながら遠足に来ていたアサヒの事を思いだし、ソラは不意に少しだけ笑ってしまった。どうにも少し浮かれた気になってしまう。納車というものは、本人だけのイベントではないのである。
遠くから、ガボボとエンジン音が響いてきた。水平対向の音だ。ああ、やっぱりな。
人間というものは、そう簡単に変わるものではない。
「おはよう、ソラ」
「はよ。やっぱり乗り回してやがったな」
案の定眠たげなアサヒの顔を見て、ソラは若干の不安を覚えた。子供の遠足ならいざ知らず、運転での万が一は他者を巻き込む大事だ。ソラとて浮かれる気持ちはわかるので、あまりつまらない指摘はしないが。
「何時からやってた?」
「4時だよ、4時ちょい過ぎ」
「3時間か」
「くぁ......そうなるかな」
あくび一発、アサヒは答える。ソラの中で不安が膨らむ。しかし、10年以上の付き合いになるアサヒも馬鹿ではない。もう高校生なのだ、免許が取れるならリスクも十分承知のはず。居眠りなんかしないだろう。もし仮に居眠りこいたら、ブン殴ってでも起こしてやればいい。そう前向きに考えつつ、ソラは助手席のベルトを締める。
「ユウの奴、何て言うかな」
「伝えてねぇの?」
「言いそびれちゃったんだ」
「まぁアイツの事だ、骨付き骨付きうっせーけどな」
そしてインプレッサは走り出す。ソラの心配をよそに、あるいはそれが当然なのだが、会話が弾み始めれば居眠りなどは杞憂であった。しかし今度はベクトルを変えて、小さな不安がソラを襲う。
「なぁ、WRX-RAって、こんなうるさいもんなのか?本当に純マフ(※純正マフラー)かよ」
「うん純正。僕も暖気してる時、びっくりしちゃった」
やって来た時の音量は普通の車とそう変わらなかったのだが、いざ乗り込むと、室内で会話するには妙に気になるメカノイズ。通常の車では吸音材を介して聞いているそれは、ダイレクトに聞こえると案外とうるさく、小さな作動音すら異音のように聞こえるものだ。
特にミッション鳴きなど、クロスなギア比も相まってなかなかに喧しい。
「半クラ、なげぇなぁ」
「ハハ、まだエンスト怖くってさ」
「クラッチ無くなっちまうぜ」
「父さんにもそれ言われた」
「結局は慣れだけどな」
まぁ、頑張れよ。そう笑ったソラだったが、4速から3速のシフトショックでグイイとおもいっきりベルトに締め付けられ、思わずぐぇっと声を漏らして真顔に戻る。
「免許取り立たてはこんなもんだけどよ、女子とか乗せられねえな、これじゃ」
「うっ、うるさいな!そんな予定ないよ!」
不意に訪れた真面目な忠告に、自覚ありのアサヒは顔を真っ赤にして返答する。教習所で動かし方は習ったが、習えば完璧にこなせるというものではないし、教習所走りが乗り心地いいかというと、それもまた別の話である。シフトアップ。インプレッサはまたギシャリと揺れる。
「おいアサヒ、水くせぇぞ」
カレーパンをモグモグやりつつヤジを飛ばしてきたのはユウである。どうやら駐車中の姿を見ていたらしい。
「なんで言わねンだよ」
「ごめん、機会逃しちゃってさ。なんせ、昨日の夕方突発納車だったから」
お待たせしました。GCの方仕上がったんですけど、いつ納車にしましょう?そんな留守電を聞いたアサヒが急いで電話をかけ直し、今日これから行けますかと返答したのは夕方も17時半の事である。ご近所のソラには声を掛ける余裕があったが、隣町のユウまでわざわざ早駆けで伝えるほど余裕はなかったし、電話でわざわざ伝えるにはあまりにも私事な気がしていた。
いざ納車されてみれば、保険の手続きに用品の買い出しにと、やることは多い。なんせド田舎、用品店は数少なく、近くなければ閉店時間も早いし、慌ただしくバタバタとやっても距離が遠ければ帰宅も遅い。それに、どうせ翌日になればこうして顔を合わせるのである。
「それで、どうなんだよ?GC8」
席につくなり、前のめりなユウである。整備屋の血が騒ぐのだろうか、走行距離は?程度はどうなんだ、なんか特別装備とかついてんのかよと矢継ぎ早だ。
「GC8?」「お前マジか」と、普段会話しないクラスメートすら寄ってくる。アサヒとて逆の立場ならちょっと詳しく聞かせてよとすり寄っていくのだが、自分自身のこととなるとこそばゆい気持ちで溢れてしまう。
「そんな、そんな大それた車じゃない、普通だよ。普通のインプレッサ!」
照れ隠しに普通を強調すれば、車に詳しいメンツは「普通なら、NAの1.5のGC1の方じゃね?」と早くも誤解が生まれて。
「そこは2リッターのターボだけど」と弁明すれば、「やっぱWRXじゃん!!」とキラキラした目で返される。
乗せてくれよ、なんて言い出しそうな瞳から顔をそらせば、話しかけないまでも気になるらしいスポ車乗りからの憧憬の視線、あるいはつまらなそうな視線。
「しっかし、お高い奴を買ったもんだなぁ。金持ちなん?」
うっとたじろぐアサヒ。格安中古なんて言い出すのはどうにもカッコ悪い気がする。プライドって訳でもないが......
「そのへんにしとけ」
相変わらず茶々を入れるのが上手いのはソラだ。
「こいつ、免許ァ遅かったが、小学校上がる前から車貯金してたんだぞ。10年来の悲願達成って奴だ。軽くないぜ」
そうソラが言い放てば、騒いでいた連中も急に神妙な顔つきになってしまった。もはや乗せてくれとは言えない雰囲気。
「......ま、こいつのァ5年不動を起こした格安中古だし?」
「要らんことまで言わんでいいよ!」
一瞬だけカッコよかったのに、どうしてこの幼馴染みは。
思わず突っ伏してしまったアサヒに、ユウが真面目な口調で声を掛ける。
「それで、程度とか特別装備とか、どうなんだよ」
「知らないよぉ......」
まったく空気の読めない奴め。
「ん?コイツ......」
放課後、ユウはインプレッサを一目見るなり怪訝な顔をした。車に詳しいユウの事だ、何かが引っ掛かるのだろう。
「......APのバンパーポッド」
タイヤハウスを覗き込み、
「マッドフラップの取り付け跡」
それから車体下を見て、
「......スポット増しにサイドシルプレートだと?おい......」
ブツブツと何かを言っている。
「ユウ、どうかした?」
「アサヒ、ボンネット開けてくれよ」
「あッ」
「うん?」
「......一応その、秘密にしといてくれる?」
ボンネットを開いたアサヒは、コーションプレートを指差した。車に関しては察しのいいユウである、その正体を一瞬で見抜いた。
「WRX-RAか」
「うん、そうらしいんだ」
「初めて見たな」
それからいろんなタンクのキャップを開けたり、下廻りを入念に覗きこんだり。
「程度は悪くないな。5年不動とは思えない」
「それは何より」
「だけどコイツ、厄介だぜ」
ユウは急に声を潜める。
「シャブに知られたら絶対ダートラ引っ張り出される。一回RA持ちが居ると広まってみろ、高校ダートラのスポ根ガチ連中から四六時中シャブへの勧誘受けるぞ、お前」
「そいつはちょっと穏やかじゃないな」
アサヒは少なくともスポ根ではないし、このインプレッサはぶつけていい車でなければ、この車を競技用にするほどお金を持っている訳でもないのである。そうでないなら新車を買っている。インプレッサはまだ現行型なのだから。
「因みに、結構バレる感じ?」
「少なくともこのバンパーポッドはマズいな。やる気がありすぎる。......が、どうせ金無いんだろ?」
「うん......」
「ま、次の目標は中古の純正フォグだな。純正戻しされりゃあこんなの普通のWRXにしか見えんよ」
「中古で1万円くらい......だっけ?」
「安くてもそんくらいするな」
しっかし、変なタマ拾ってくんなぁ、とユウは肩をすくめて笑う。
「ところで、ソラの奴は?」
「ちょっと野暮用だってさ。多分図書室に本を返却してるんじゃない?」
「半分正解。もう終わったけどよ」
不意に後ろから声を掛けてきたのは、やっぱりソラだ。
「ついでに先生にちょっくら相談。まぁ、そっちが本命なんだがよ」
「何の相談?」
「内申点稼ぎ。俺ら、部活とかやってねえだろ?内申点稼がねえとと思ってよ。なんか自動車系のクラブでも作ってやろうかってね」
「自動車クラブ?シャブじゃなくて?」
「シャブはモータースポーツ過ぎんだろ。アサヒはともかく、俺とユウは門外漢も良いところだ」
「俺も参加確定かよ」
「まぁ聞けって。きっと参加したくなるぜ」
ソラはふふんと鼻を鳴らす。
「赤城高原高校ロードトリップ部。主な活動はドライブだ」
『乗った』
二人の声は同時に響く。夕焼け空は今日も晴れやかだ。