揺れ動く
大分お待たせしてすみません。
マチルダは組合本部の白い廊下を歩き、窓に茂る蔦をなんとなしに眺めながら考える。
組合のさらに外の外。……そこでは多くの者が未だ砂漠に点在する集落に閉じこもり、強大な魔獣たちに怯えているのだろう。交流も途絶えて久しいそこは、ハーフという存在自体が希少で異質な世界。
あいつらエルフも同じだった。巨大な世界樹の元の閉じた世界で暮らす奴らは、私の姿を目にすると皆一様に少しばかり目を見開き、それからこちらの存在自体を無いものとする。
そこまで考えて、マチルダは首を振る。いつもなら制御され凪いでいる感情が、さざ波立っている。
まあ、理解の及ばない次元の存在に出会い、平静でいられなくなっているのは、こちらも同じか……。
組合統括専用の書斎、その扉の前まできた。深呼吸し、気持ちを切り替えてノックを2回。
「マチルダです。ただいま戻りました」
「どうぞ。――開いていますよ」
扉を開くと、組合の長はちょうど窓からひょっこり出ている蔦の葉に魔力の込められた水をあげている最中で、マチルダが入ると同時にパタンと蔦を締め出し、振り向いた。
外の蔦―――おそらくは改良ドリアード―――が抗議のつもりなのかさわさわと揺れる。
「よく戻りました。無事に、欠けもなく何よりです」
お疲れさまでしたね、とまるで差し込む木漏れ日のように柔らかく微笑まれ、マチルダはしばし惚けた。同時に、彼女を憎悪に濁った目で睨み、ひたすら殺そうと考えていた遠い昔のことがちらりと頭をかすめて消える。
それからマチルダは膝をつき、
「……ありがとうございます。貴女は私に生きる意味を与えてくれました」
心の示すまま率直に礼を伝えた。
主との邂逅で、まだ死にたくない、と叫ぶ自分がいたことに驚いた。……過去にはなかった感情だ、とマチルダは苦笑する。
「今回の仕事は貴女に大きく負担をもたらすものだったかと思います。無理はしないでくださいね」
「ああそうでした、こちらを」
マチルダが麗しき統括にそっと手を差し出せば、きらきらと無邪気な笑みが美しいかんばせからこぼれていく。
「まあ……変わらず、義理堅いこと!」
覚えていてくださっただけでも嬉しいのに、と、統括がマチルダの指先を包むと、あの時からずっと指先にあったシトロンの雫のような宝石がコロンと離れて彼女の手のひらに転がり落ちる。それを大切そうに握り締め、そこからす、と笑みを消した。
「近々“虚ろ者”が、ここを訪ねてくることになっています」
「は」
マチルダは膝をついたまま、思わず声を漏らす。
“虚ろ者”―――DPAの上位を彼女はそう呼んでいる。
「その時は人払いをして、お人形を配置しますね」
だっておままごとが大好きなんですものね、ふさわしいおもてなしをしないと。
うふふふふ、と組合の最高責任者は、毒を含んだ表情で微笑んだ。
組合本部近くにある、正式な組合員のための依頼受付。いつも人と喧騒にあふれるその場所に、一人の男が訪れた。
立ち昇る濃い潮の香りとともにフロアはやや静まり、多くの者がそちらに目をやった。半透明と水色のオッドアイ、大きな曲刀、碧の革のジャケットに黒のズボンはお洒落だが場違いなほど軽装に見える。誰かが小さく、ロロディアめ、何しにきやがった、と聞こえぬように呟いた。
‘おおかたあれだろ。ほら、前も拝みに来ただの、とち狂ったこと言ってたぞあいつ’、とひそひそ。
「やあこんちは!君みたいな美しい人が受付だなんて、今日はラッキーだな!何かいい依頼はある?」
今日の受付はイグニカ。確かに美人だが、はちきれんばかりの筋肉をなんとか組合受付の制服(もちろん女性用)に押し込めて、そのうちボタンが跳ぶのではと見ている者がひやひやする装いをしている。
「すみませんが、第二出身の方は依頼が制限されています。一度に受けられる依頼はひとつまで。どうぞこちらからお選びください」
アルカイックスマイルをしながら本型の依頼ボードを開くイグニカに、ロロディアの眉根が下がり、
「……これだけかい?あまりにも少ないな。儲けもほとんどない」
「時折荒稼ぎをしてごっそり貨幣を持っていく方が第二出身にいらっしゃいまして、過剰な流出を防ぐための措置でございます」
(おめーのことだよ)
(いやそれ筆頭おまえだろ)
受付嬢と聞き耳を立てているその場の組合員兼冒険者たちの心は一つになった。
「そうか……なら仕方ない。じゃあこの飛竜亜種の討伐を受けるよ」
「ありがとうございます」
その中で比較的難しく一番価格の高い依頼を選んで受けてから、ロロディアは一つ息を吐き、すぅ、と深呼吸をした。
「それで……きょうはいないのかな。ほら……あの女神は」
手続きをしかけていたイグニカはまたアルカイックスマイルを彼に向けて、
「マチルダさんはいつも忙しく……今日もお見えになっていません」
「そうか……いや、いいよ。彼女のいた場所に、来ることができた、それだけで」
一度、ゆっくりと目に焼き付けるようにフロアを見渡し、目を閉じて胸に手を当て、しばらく佇んでから、彼は去っていく。
頑丈な扉からその姿が消えるのを見届けて、
「きッしょ!」
「だから避けられんだよあのクソ水妖、二度と来んな!」
……その場所に喧騒が再び舞い戻ってきた。
ミーシャとルークの二人は今日も今日とて細々した依頼をこなし、第一迷宮の塔に挑む通常の日々を送っていた。
相変わらず組合の総合受付の雰囲気は獣人ハーフには冷たく、未だ三人目の仲間もいない。ちらほらと何か言いたげな視線を感じる時もあるが……特に何かを話しかけられることもなく通り過ぎていく。
自分の成長の限界を感じながら、鬱々とした気持ちを隠してルークはわざと明るく、
「しかし驚いたな。まさか塔の部屋が対になっていたなんて」
「よくよく考えれば簡単な仕組みだったにゃ」
あの豪華な玄関ホールと応接室。それ以外にもいくつか部屋を回ったが、いつも同じ場所が二度現れることに気づいてからは早かった。
玄関ホールはシャンデリアの明かりが、応接室はティーセットがそれぞれ異なる存在であり、気づいたのなら、同じように合わせて動かせばいいだけだった。
シャンデリアの明かりをつけて、応接室のティーセットは片づけて。他の部屋も同じになるよう衝立や絵画を動かすなどして、それから扉を抜けると、そこは美しいステンドグラスのある広い礼拝堂になっていた。
ステンドグラスには剣を持つ女性の天使の絵姿。そして部屋の中央には太陽を模したランプが黄色い輝きを放っていて、礼拝堂の隅にはそれぞれ色合いの異なる明かりが設置されていた。
それらが何を意味するのか――――。
あれこれと相談しながら、昼過ぎという中途半端な時間のためかいつもより人が少ない受付まで依頼の薬草を持っていく。今日の受付当番はメルリルのようで、いつものポニーテールが勢いよく揺れる。
「あ、お疲れさまです。って、わざわざ持って来なくても迷宮内の組合ボックスも利用できますよ~」
「あれも不思議だよな。生き物は駄目なのに草はいいのか?」
「それはですね……植物としての分類なのか、魔獣としての分類なのかで判断されているんですよ~。最終的に勝手に増えたり、動いたり、人を襲ったりする草は駄目ですね」
「まあ、それはそうだろうな」
ルークが頷く横で、ミーシャが呆れたように首を振っている。
「あの……実はお二人にご相談したいことがあって。明日のお昼過ぎに“昼の兎亭”で待ち合わせしませんか?私、その日はお休みなので」
それから内緒話をするように顔を寄せて、
「今のお二人にぴったりのお話なんです」
小声で告げる。
「あ、次の方が来たのでこれで。どうぞこちらへー」
待ってますからね、とウインクまで貰った二人は、
「……どう思う?」
「聞くだけならタダにゃー。ひとまず会ってみるにゃー」
なんとも言えないが話を聞いてみることにしたようだった。
〈備考〉
・この世界ではエルフは類まれな美貌を持っており、その微笑みは至高の芸術品にも匹敵する。
※マチルダの組合統括に対する反応は、憧れも多分に含んではいますが、一般の美的感覚を持つ者がする普通の反応です。念のため。




