帰還
「……重いにゃ」
強化した手足が次第に戻り、倦怠感が全身を包みこむ。それと同時にルークの重みも増したが、ミーシャは休まず必死に足を走らせていた。
‘裁定者’のテリトリーから離れれば、おそらくすぐに魔獣が襲ってくる。それまでに、なんとか血の匂いを洗い流す場所を探さなくてはいけない。
ルークの血は……止まったのか乾いてきたが、先ほどから体がひどく冷たい。いや、平時でもルークの体は冷たかったような……?
混乱する頭を振り、耳をそばだてながら進むと、かすかな水音、続いて湿った匂いも感じられたので、すぐさまそちらへ向かうと、ほどなくして木々の合間にシダ類と大きな水面が現れた。
「ラッキーにゃ!」
草を掻き分け、急いでルークを泉の縁に下ろしてその体を洗い、傷口を見る。
「塞がってる……?」
竜人としての再生能力なのだろうか。傷口はすでになく、つるりと硬質な肌が見えるだけだったが、しかし、かすかに感じる息は浅く、予断は許されない。
「……甘かったにゃ。‘死’は、いつも身近にあると知っていたのに。こういった場所では」
ミーシャが後悔に苛まれていると、ふいに泉の奥から低い、男の声が上がった。
「くっそ、気に入りの場所が」
泉のほぼ中央、垂れ下がる大きなシダの葉の下で水を汲んでいた男が立ち上がり、そのままトントンと波紋を浮かばせながら歩いてこちらに来る。
「……死にかけてるのか。魔力切れだな」
びしょ濡れで、黒く垂れ下がった藻のような髪と、右目は水色、左目が半透明の白で奥が透けているという異様な相貌に、この迷宮でふざけているのかと思うような白いシャツとベスト、滑らかな革の黒いズボンの軽装。腰に下げた大きめの曲刀はしかし違和感なくそこに収まっていた。
あからさまに怪しいその男は、小さな革袋に何かの魔獣のものと思われる透明な雫のような魔晶石を入れて水を汲み、そのままルークにぶっかけた。
「はいもういっちょ」
自然体なのに隙もなく、しかも相手の力が格上すぎて、茫然と見守るしかないミーシャの前で、男はもう一度水を汲み、無理やりルークの口に袋を突っ込んだ。
ゲホ、ゴホッとルークが大きく咳をしたのを避けつつ、
「これでなんとかなるだろ。ああ、魔晶石のことなら気にすんな。腐るほど持ってる」
返事も待たず一気に告げ、さらに、ああそうだこれも、と指を鳴らして、辺り一帯に霧雨を降らせて去っていく。
雨でかすむ正体不明の相手の背を見送りながら、ルークの胸元が大きく上下し続けているのを確認して、
「……ひとまず助かったにゃ」
ミーシャは大きく息を吐いた。
……いろいろなことがあったにも関わらず、一夜明けると、ルークは驚くほど回復して、
「あれ、どうしたんだ、あの魔獣は!?」
寝起き一番に叫び声を上げ、ミーシャを閉口させた。
「……ルークが死にかけた後、無事乗り切ったにゃ」
ミーシャは、夜の塔の‘裁定者’と呼ばれる主との戦闘、そして、おそらく見逃されたこと、さらに、泉で出会った怪しい男のことなどをルークに説明した。
「ふぅん、俺が寝ている間にそんなことがあったのか」
全然覚えてねーや、と軽く笑うルーク。その様子に、一度ミーシャは目を伏せ、
「……悪かったのにゃ」
俯いた。
「え!?どうしたんだいきなり?」
驚いているルークに、ミーシャはもじもじと、
「えー、最近、ちょっと戦闘が楽勝すぎて油断してたにゃ。もう少し警戒していたら、きっとこんな事態にはならなかったのにゃ」
「なんだ、謝ることないのに!俺なんかなんも考えてなかったぞ。……なんなら今だって、むしろ体がすっきりしてるぐらいだ」
そう言って笑う。
「ルークはもうちょっと考えた方がいいのにゃ。このままだと、本当にいつか命を落とすにゃ」
「そうだな。俺も、強くならないと、とは思うんだが」
方法がわからねえ、と乾いた笑いを浮かべた。
ハーフだからか、組合案内所にいる周りの人間の雰囲気は冷たく、また、冒険者の等級が上の者たちは、時折何か言いたげにしてはいるものの、迷宮の攻略についてアドバイスをしてくれる者はほぼいないといってよく、手詰まり感が半端ない。
「まあ、ここで考えてもしょうがない。ほら、トリスが心配してるからさっさと戻るとするか」
そういってくったくなく笑うルークを、ミーシャは初めて、羨ましい、と思った。
門をくぐり、汚れた体をその辺の井戸で洗い落として組合案内所へ戻ると、入り口付近で待っていたらしいベアトリスが駆け寄ってきた。
「ルークさんミーシャさん!!……ああ、よかった」
抱きつこうとしたのをミーシャに避けられ、二人の手を取って握り締める。
「第一迷宮が、もうすぐ立入禁止にされるところだったんです。本当に、その前に間に合ってよかった。組合の人も、心配ないの一点張りで」
ベアトリスがぶんぶん腕を振る。
「なんだって?また何か事件でもあったのか?」
「……違いますよ。なんでも、しばらく前から第一迷宮で行方不明者が続いたとかで、その原因がとある上級の魔獣にある、と組合の上の人が突き止めたらしいんです。その魔獣討伐のために四日間は特等級と一等級、それに準ずる人たちだけで入るそうです。命の保証がないので入らないように、とのことでした」
「そんなことがあったのかにゃ……」
「あ、そうだ、あれは?黄金蟲は?無事納品できたのか?」
さすがに声を落としてルークが尋ねると、
「あーそのことなんですが……あれ、組合の依頼以外で取引禁止の品だったみたいです……おまけに、私の杖……危険物だったらしくて……一日拘束されて、その後解放されたと思ったらまたすぐ呼び出されて、お説教の嵐でした」
あまり思い出したくないことなのか、ベアトリスが目を泳がせる。
「え、まさかあれだけ苦労してタダ……!?」
悲壮な顔をするルークに、で、でも、とベアトリスが、
「今回は、初心者ということもあり、厳重注意だけで済みました!品物も、組合が引き取ってくれて、状態もいいので、組合ポイントとして加算されるそうですよ!見てくださいこれ!」
笑顔で三枚の高級料亭食事券を振る。
「二人が戻ってきたら一緒に行こうと思って、引き換えたんです。受付でポイントは確認できて、何に使えるかも教えてもらえるそうですよ!」
「おお、じゃあいってくるか」
「美味しいもののタダ券は欲しいにゃー」
二人が受付へ向かうまでもなく、なんと向こうからエレメナが小走りにやってきた。
「あ、お二人とも!ちょうどよかった」
「ああ、今行こうと思ってたところだ」
「そうだったんですね。もうベアトリスさんから聞いているとは思いますが、この際ですので、組合で定められた、迷宮及び組合の禁止事項をすべてお話させていただきますね。さあ、こちらへお願いします」
そう言って案内するエレメナの手には、とてつもなく分厚い冊子が握られていた……。
戻ったのは昼前のはずなのに、なぜか組合案内所を出る時にはとっぷり日が暮れていた。少し北東に入った通りの、ミーシャとルークがまったく入ったこともない少し高そうな料亭で券を渡すと、しばらくして、奥の個室に通される。
「すげえ……こんなところで食べたこともないぜ。しかも、ちゃんとメニューに一つ一つ詳しく説明がある」
これまでの店だと、獣肉、とか、魚、とだけあり、時折しか名前が載ってなかったのが、きちんと毛長牛の肩ロースソテーだの、縞エビのフリットだのと調理法や部位まで載っていて、その違いに戦慄していると、
「あの券は、一刻半無料で料理を注文できますので、どんどん食べてくださいね!」
さらにトリスが恐ろしいことをいったので、そこから無言で怒涛のように注文しては食べ、飲みを繰り返す時間が始まった。
「よし…これで……全メニュ―制覇……うぷ」
「あの……無理に食べなくてもよかったのでは……」
「こういう機会はほぼないからにゃ……貴重にゃ」
珍しく満面の笑顔でミーシャが、
「とろけるお肉……素敵にゃー」
まだまだいけるとばかりにお皿を空にする。
そんな時間が過ぎ、落ち着いたところでルークが、
「そういや、杖は取り上げられちゃったんだろ?今度はどんな武器にするんだ?」
「いいえ、その、しばらく迷宮に入るのはやめようかと思うんです」
妥当にゃ、とミーシャがうんうん頷き、ルークがえ、と驚いた。
「まず、これまで迷惑をかけた人たちにお詫びをして……どこかのお店で働いて、お金がたまって、もう一度迷宮に行く決心がついたら、改めてまた一から挑戦しようかと思っています。……ルークさんとミーシャさんには、とてもお世話になりました」
衝撃から持ち直したルークが、何かを言いかける前に、
「お二人と一緒に迷宮に入ってわかったんです。私、杖に頼ってばかりで、全然力不足だし、お二人の足を引っ張ってばかりでした。お二人なら、もっともっと先へ進む力があったはずなのに……本当にすみませんでした。あの、おこがましいかも知れませんが、お二人のこと、応援してます!がんばってください!そしてまた良ければ、パーティとか関係なく、一緒に美味しいお店に、食べにいってくださいね!」
爽やかな笑顔で、頭を下げた。
その後ベアトリスと店で別れてからしばらく、ルークとミーシャはあてもなくブラブラしていたが、ルークがぽつりと、
「また一緒に迷宮行こうぜとかって、言える雰囲気じゃなかった……」
そもそも、パーティ仲間を探していたはずなのに。
空気を読んで黙っている彼女に、
「ああくそ!どうしてこうなった!おい、二軒目行くぞ!」
「……ぶっ倒れないようにして欲しいにゃー」
あれだけ飲み食いした後だが、やけ酒と称していつもの安い酒場へとルークが向かい、それにやれやれと付き合うミーシャだった。




