予兆
「……なんで閉めたにゃ」
「いや、なんとなく」
ルークが再び扉を開けると、そこは最初に入った部屋とまったく同じ造りの玄関ホールだが、まるでルークとミーシャを歓迎しているかのように明るく輝いていた。
「わけがわからないな……とりあえず手近な扉を開けてみるか」
ホールを突っ切って扉を開けると、そこは暖炉の前にソファとテーブルのある客間となっていた。テーブルの上に置かれたランプが部屋を照らしていて、向こう側にはまた扉がある。
一度閉めて、玄関ホールの違う扉を開けると、そこもまったく同じ、暖炉の前にソファとテーブルのある客間。置いてあるものも、扉の位置も同じ。
……どの部屋も同じなので、ルークとミーシャはそのうちの部屋の一つに入り、いろいろと調べてみた。特に何もない。
「どうする?先へ進むか、戻るか」
「一応先へ進んでみるにゃ」
あんまり進展しそうでもないけどにゃ、とミーシャがぼやく。部屋を横切り扉を開けると、そこは広い灰色の階段になっていた。二人が階段に入った途端、扉が消え、壁となる。
「マジかよ……」
撫でたり叩いたり、ミーシャが槍でつついたりしたが、ただの壁である。
「掘ってみるにゃ」
ガキィン、ガキィン!と掘る音がうるさく響き、壁に多少穴が開いたが、それだけだった。
「……上か下、どちらにいくにゃ」
「上だと戻っちまうだろ。下に行こうぜ」
ルークとミーシャが歩いていくと、途中でミーシャが、頭を押さえて蹲る。
「う……気持ち悪ぃ……妙な感じがするにゃ」
「大丈夫か?少し休もう」
階段の途中で座り込み、ルークが水を取り出す。
「あ、そういえばこの薬まだ入ってた」
「…………貸すにゃ」
「飲むのか!?」
「こうなったらもう毒でも薬でもかまわないにゃ……解毒薬も一応あるにゃ」
ルークが消臭剤を渡すと、ミーシャが耳を伏せながら飲み干し、しばらくして、ふんふんと自分の匂いを嗅ぎ、立ち上がった。
「とりあえず、きつい臭いは収まったにゃ」
「やべえ、全然意識してなかった。もう鼻やられてんな」
ルークが苦笑してふと横を見やり……顔を強張らせた。
「あれ……この階段、こんなに狭かったっけ」
「にゃ、動いてるにゃ!壁が!」
よく注意してみなければわからないほどの遅さで、壁が迫ってきている。
「駆け下りろ!」
ひたすら走り下りていくと、目の前に簡素な木の扉が現れ、拍子抜けするほど軽く開いた。その向こうには、石の長い長い通路が続いている。
咄嗟に狭くはないがさほど広くもない通路の壁に手をやると、やはりこちらもじりじりと狭まってきていた。
「ルーク、走るにゃ!」
「くそッたれ!」
二人がひたすら走る、そのあいだにも並べるほどだった通路は徐々に縮まり、二人が一列になったところで、前方に階段が見えた。
罠だとかそんなことを気にする余裕もなく階段を駆け上がり、その上の金属性の扉を開ける。二人が体をひねり、狭い中なんとか外へ飛び出した瞬間、扉は締まり、ゆっくりと消えて地面と同化した。
「どうなってるんだ……」
木々の合間から見える空はまるで炎のように、あらゆるものを鼓舞しているのか、それとも燃やし尽くそうとしているのか。
「また森か」
「前とは位置が違うにゃ。匂いが違う」
ヒクヒクとミーシャが鼻を動かす。
「くそ、扉はどこいった」
ルークがそこらの地面や茂みを探り出す。
「……そんなもの見つからない方に賭けるにゃ」
ミーシャも耳をそばだて警戒しつつ、地面や周囲に何か脅威となるものがないかを調べていく。
「あったぞ!この茂みの下に扉がある!」
ほどなくして、ルークが嬉しそうに叫んだ。
「えー……」
「見つけたぞ、入り口を!」
ルークが茂みの中から探しあてたのは、丸い金属製ハッチだった。
「ちょっと待つにゃ。あの遺跡とは雰囲気が全然違う––––––」
ミーシャは言葉半ばで、咄嗟に体を伏せた。
ドゴォッ!
「ち、外したか」
ミーシャの頭上をかすめたトマホークが勢いよく幹に刺さった。革と金属の鎧を身に纏う髭面の男がこちらを睨んでいる。続いて、噎せ返るような麝香に混じり血の匂いと、何か重いものを引きずる音が聞こえてきた。
「ちょっとジャックー、重いんだけどー」
「待て、古巣にねずみだ。先に片付けてしまおう」
二つ目の手斧を構える男の後ろから、仕留めたと思われる獣を引きずりながら、革と鎖と金属プレートを組み合わせて作ったような装備の少女が現れる。
おそらく染めているのだろう、白髪に緋色の入り混じる髪に、耳には三連ピアス
「いや、悪かった。ちょっと勘違いしてたみたいだ」
「ルーク、ここは逃げるにゃ」
冷や汗をかきながら、ルークとミーシャが慌ててハッチから、走って遠ざかる。背後から、
「待て、コラこのコソ泥が!」
「ほっとこうよ装備も貧弱だし、どうせ貧乏人じゃん。それより早く入らないと…」
との声が聞こえてきた。
彼らが追ってこない理由はすぐにわかった。辺りに撒かれた血の匂いに、魔獣たちが集まり始めている。
「奴らそのままかよ!」
「すぐここを離れて、なるべく安全な場所を探すにゃ!」
少しずつ視界の悪くなる中、ミーシャはルークを気遣う。自分は暗視が効くが––––––。
血の匂いに集まる小型で毛の生えたトカゲ型魔獣の群れをやり過ごし、なるべく遠くへと向かう。
グォオオオオォン!!
木立を震わせるような凄まじい咆哮が響いた。早くも縄張り争いを始めているらしい。そして、魔獣の気配が次々と増えてくる。
……もはや、匂いでは魔獣たちをごまかせなくなったミーシャとルークは慎重に茂みと木々のあいだを抜け、魔獣たちの少ない方へ、少ない方へと進んでいく。
「妙だにゃ……ここに道がある」
しゃがみながら進み続けているうちに、姿を隠すための木々や茂みが減り始め、細い通り道らしきものが現れた。前方に魔獣の気配はない。あれほどすぐ近くに感じていた気配も、背後の唸り声とざわめきも、次第に遠くなっていく。
あまりに静かすぎることに、恐れを抱き始めるが、引き返そうにもどうやらまだ魔獣たちが多数うろうろしている気配も感じられる。迷い進むうちに突然道が開け、ここが崖下にある森だということがわかると同時に、二人はなぜここに魔獣が近寄らないかを理解した。
太陽はとうに沈み、空は黒ずみ始めている。崖下の少しばかりの空間に出たミーシャとルークの目の前に、薄闇より黒々とした、あの試練の塔が、半ば岩壁に埋もれるようにして存在していた。




