かがり火の下から
すみません、大変遅くなりました。
迷宮で初めて過ごす夜だが、ルークはいま一つ怖さを感じなかった。
遠くから魔獣が近づくたび、ピギィッ!だのギャヒィン!だの、悲鳴が上がり、すぐさま気配は遠ざかっていく。
時折勢いよく飛んでくる虫型の魔獣(魔蟲?)と戦闘になるが、思っていたほどの苦労はない。
「そういや、あの薬いつ切れるんだ?」
「きっともうすぐにゃ」
ミーシャはだいぶ前から鼻を鼻バサミで止めて備えている。
「そんなにくさいのか……?くさいんだろうなあ……」
そう言いながら、ルークも鼻バサミを取り出して、
「ブェッ!なんだこの臭い!」
自分の腕から漂う異臭に、鼻バサミを取り落とした。
「わざとやってないかにゃ……?そのボケは別に面白くないのにゃ」
「違うわッ。……どうやら薬の効き目が切れたみたいだな」
「弱くなっただけ。本当に効果が切れてたら吐くにゃ」
ミーシャはつまらなそうに鼻バサミを拾い、ルークに渡す。
「ほまえ、やけに詳しいじゃないか。そういや、おまえの父親、虹色黄金虫を採集したとかって言ってたが……これのどこが笑い話なんだよ」
先ほど吸い込んた臭気で涙目になりながら、ルークが問う。
ミーシャは渋い顔をして、
「別に父さんは虹色黄金虫を採集なんてしてないのにゃ。あの話は、組合の依頼で、同じパーティに騙されて利用され、臭いが染みついたまま飲食もままならず迷宮を彷徨っていた冒険者を助けた時の話にゃ」
『はは、虹色黄金虫を売った大金を手に意気揚々と帰るはずが、組合で取っ捕まりすべて台無しになった奴らのあの表情!あの歪んだ顔は、今でもはっきりと思い出せるよ。あれは傑作だった』
と、本当に楽しそうに話していたことを思い出す。
「父さんからは、迷宮の小ネタを面白ろおかしく聞かされたにゃ」
「……なんで肝心の、攻略とかの話を聞かなかったんだよ」
ルークがげんなりする。
「『ネタばらしは面白くない』といってたのと……迷宮の話を長々と話していると、危険なことが起こるのにゃ」
ミーシャは遠い目をする。
「父さんは……父さんが虹迷宮についての話をすると、始まりはどうであれ、必ず母さんとのノロケ話に行きつくのにゃ」
「ぶはッ……なんだそりゃ」
ルークが吹き出し、笑い出す。
『こんなことはあったが、やはりあの場所にいってよかったと思う。……なぜなら、ユリシーに会えたから』『あの白い毛並み!尻尾の付け根だけ色が違うんだ。そこも可愛い』
……こんな風にして、自分の世界に入ったら最後、出会いと、そしていかに母が可愛くて素晴らしいかを等々と語りだして止まらない。もう何十回何百回と聞かされたそれを防ぐためには、長引かないよう、話を逸らしたり打ち切ったりする努力が必要不可欠だった。
へたりと耳を伏せ、遠い目をするミーシャに、ルークも徐々に笑いを収め、
「まあ、そのミーシャの親父さんの話があったから備えができるんだけどな。火は、蟲や賢い魔獣を呼ぶから離すこと、」
さてできた、とかがり火を見上げると、それから数秒と経たないうちに、拳大の甲虫がどこからともなく羽音をさせて次々飛び込み、辺りは真っ暗になった。
「くそ……まったく」
虫除けの草と魔獣避けを自分とミーシャの周りに焚き、もう一度火をつける。
「まあ、しばらくは水場から離れないように。何回か洗って、運がよければ3日ぐらいで元通りにゃ」
「ああ。せっかく遠出できるんだから、塔をめざそうぜ」
ルークはくったくなく笑う。
ふぅ、とミーシャは溜息を吐いた。落ちていた枝を取り、遠くからの明かりがちらちらと映る地面に丸をいくつか描いて、線で繋ぐ。
「黒の塔……これまでの噂話から考えると、一番近い場所に一つ。そこから北西に一つ。さらにその北……北北西に一つ。意外にたくさんあるのにゃ」
「ああ。でも、一番近いところは入れないんだろ?」
「北西の塔も駄目みたいにゃ。組合で誰かが話をしているのを聞いたにゃ。ついでに、黒の塔は規則正しく並んでいるとも……そうすれば、南東と南南東が怪しいのにゃ」
「規則正しく……か。昔、そんな風に誰かが建てたんだろうか」
「さあ……」
ミーシャは首を振る。
「臭いが無くなると……夜はどんな魔獣がくるかわからないのにゃ……塔を探しにいくなら早い方がいいにゃ」
「あ、そうだな」
ルークは頷いて、店で買った丸薬のような携帯食料をぽいっと口に放り込んだ。
南南東の森林の中を、噎せ返るような自分の臭気に辟易しながら、水場に沿って歩いていくこと数日。少しずつ巨大昆虫以外にも魔獣が近くに現れるようになったが、まだ襲ってくる気配はない。
……ミーシャの、臭気がまだ続いているうちに塔を探したほうがいい、という言葉に従って、人を避けつつ塔を探すが、どういうわけかいつもより人の気配が近い。
「……なんでこんな時に限って人が多いんだ?」
「わからないにゃ。何か目当ての魔獣でも出たのかもしれないにゃ」
獣道を草と低木を刈りながら歩いていくと、木々のあいだに黒く異質な建物が見え隠れし始め、
「あ、あれだ」
ルークが声を上げる。
森の中、光を反射もせずそびえる漆黒の塔に、ぽつんと大きな何か黒い金属の扉が一つ。
「……うさんくさいな、コレ。そういえば出会った奴らの話でも他の噂でも、夜に近づかないことと、謎解きがあること以外一切不明なんだよな」
「いきなり命の危険にさらされたという話は聞かないから、一つ入ってみるのがいいかもにゃ」
「こんな状態でか?まあ、他にすることもないけどな……」
ルークは袋の栄養丸薬が三日分はあることを確認した。
「閉じ込められて出られないってことはないよな?」
「さあ……?聞いてはいないけど」
ミーシャはすました顔をする。
「ああーくそ、なんで近くに誰もいねえんだよ!普通こういうとこには見張りとか誰かいるだろ他に!」
「中にいるかもしれないにゃ」
「わかったよ、入ればいいんだろ入れば!」
どうにもつきまとう不安を振り捨て、ルークは鉄(?)の扉を開いた。真っ暗で、何も見えない……と思いきや、ミーシャとルークは二人で狭く薄暗い石造りの通路に立っていた。
続く壁にぼんやりと光る文字が浮かび上がっており、
‘この塔を、わが愛娘に捧ぐ'
読み終えたところで文字は消え、続いて新たにまた、
‘偽りを正せ さすれば道は開かれん’
と浮かび上がったが、それもしばらくして消え、元の濃灰色の石壁に戻る。
「‘偽りを正せ’か……」
塔の内部はひんやりとしていて、進むたびに明かりが灯っていく。後ろを振り返っても、入ってきた扉はそこにあり、
「念のため開けてみようぜ」
と開けると別世界……なんてことはなく、普通に元の森が広がっている。
「あー緊張してそんした」
「なんだかワクワクするにゃ」
耳をぴんと尖らせて、ミーシャが言う。内部は知るものが見れば、まさしく古い城塞の塔のようだと気づいただろうが、残念ながらルークもミーシャも城塞を見たことはない。
「お、扉だ」
左の扉を開けば、薄暗い部屋には朽ちた盾や錆びついた剣などが立てかけてあり、
「……ここは武器庫だったのかな?」
城についてそう詳しくはないが、ルークは呟いてみた。
だいぶ前から使われていなさそうな寝台、不要な毛布や物品が積まれた物置、いくつかの部屋を過ぎたがめぼしいものはない。何度目かの部屋から出て、また通路を歩いていくと、今度は向こうからがやがやと話し声と数人の足音が聞こえてきた。
「……どうする?」
「様子を見るにゃ。どうも魔獣ではなさそうにゃ」
ミーシャがげんなりして通路に立ち止まる。
「お、なんだお仲間か。お前たちもここを調べに来たんだろ?」
一番手前の、いかにも剣士、といった鎧姿のいかつい男が声をかけてくる。
「おあいにくさまーここには何もないよ!全部僕たちが貰っちゃったからねぇ」
軽装で小柄な青年と、その後ろは、なんだか奇妙な尖った帽子を被り、ローブ姿の女性が続く。
「なんなんだよ、おまえたち」
戸惑うルークに、まず先頭の剣士が、
「ああ、我らはオークジェリのパーティだ。俺がリーダーのチェロで、そっちが盗賊のジーンで魔法使いのエリー」
「こんにちは。あなたたちはこの塔に入るのは初めて?」
「待った……なんだこの臭い」
「……確かに臭う」
近づく……と思いきや、三人とも足を止め、鼻を覆って辺りを窺う。
「誰かその辺で糞でも垂れたのか?」
「ジーン!その言い方はちょっと」
ここで、正直に話すかそれとも……。
ルークとミーシャは一瞬目を見交わしたが、結局正直に話すことにした。
「ああその、悪い。多分俺たちだ。さっき森で腐った肉を踏んでしまってね」
まさかゴミ溜まりに突っ込んだとも言えず、そう説明すると、
「運悪ッ」
「それはなんというか……気の毒に」
エリーが同情の眼差しを向ける。ジーンなどは、オェッと吐く真似をして見せた。
「それじゃ困るだろ。これやるよ」
剣士……チェロが、鼻を覆いながら器用に片手でごそごそとカバンを探り、青銅の瓶を放り投げてくる。
「これは?」
「消臭ポーションだ。この狭い塔の中でそんな臭いバラまかれてみろ。最悪じゃないか。ああ、金はいらねえ、ただでやるよ」
そう言ってハハハと笑う。
「これが毒じゃないという保証はあるのかにゃ?」
ミーシャが冷静に問いかけた。彼女は先ほどから槍を構えて、警戒したままでいる。
「探索には何かと必要だからな。俺たちも使ってるやつだぞ」
ジーン、とチェロが声をかけると、ジーンが後ろに担いだ袋から、一抱えほどもあるネズミの死体を取り出した。チェロがナイフでそれに切りつけ、
「これを振りかけると……ほら、血の臭いが消えただろ?」
わざわざ実践してみせる。
ミーシャがふんふん、と匂いを嗅ぎ、
「特に何も匂わないけどにゃ……得体がしれないにゃ」
「まず俺が試してみる」
ルークが鱗のある皮膚に垂らし、しばらくして変化がないのを確認すると、全身に振りかけた。
「思い切りがいいいな。偽物だったらどうするんだ……まあ本物だけど」
ジーンの呆れた声。
「ミーシャはどうだ。まだ半分残ってるが……」
「嫌にゃ。半日ほどしてルークが無事だったら考えるにゃ」
「そうか?」
「はは、まあ警戒するのが普通だな。じゃあ、俺らはそろそろ失礼するか」
「……もう行くのか?」
ルークが尋ねると、まあ、あらかたかっさらっちまったからな、とリーダーが苦笑する。
狭い通路をすれ違うと、ポーションの効果か、三人からはまるで臭いがしなかった。
騒がしい一団が後ろに消え、再び湿った石の廊下を歩いていく。
「よくあんなすごい薬をただで……。おい、ミーシャ?どうした?」
「……ちょっと、今のパーティ変にゃ」
「変って、どこがだよ?」
「強いていうなら、全部」
「確かに変わり者のパーティだったが……」
倉庫、質素な厨房、使われていない牢屋、他にもいくつかの部屋があったが、なるほど先ほどのパーティの言ったとおりガラクタばっかりだった。途中の外側の壁に上がり階段があったが、素通りして廊下を歩き続けると、やがて見覚えのある扉の前に来た。
「本当に何もなかったな……くそ、やはりあいつらに全部取られたか」
「んー、魔獣がいないのも、こんなにすぐに戻ってこれるのも妙にゃ」
「確か、塔は迷路になっていて謎解きが、とかって話だったはずだな。まあ、一度上がってみるか……」
仕方なく階段まで戻り、上の階を目指すことにした。
「迷路とか謎解きはきっと次から始まるんだろうな」
窓のない階段を上りつつ、気を取り直して、ルークが言う。ほどなくして扉が近づき、取っ手を引くと、ギィ、という音とともに突然真っ白な光があふれ出した。
視界を覆う光が収まったころ、二人は、土と草と木々の匂いに包まれ、なぜか森の中に立っていた。




