宵の口 2
遅くなりすみません。
ベアトリスはずっしりとした袋を抱きかかえながら走っていた。どうしても後から後からにじむ涙を振り払い、迷宮の草原を駆け抜ける。
―――どうして、こんな私を送り出してくれたのだろう?
ベアトリス自身は、迷宮で夜を過ごしたことは数回しかなく、それも所属していたパーティの仲間が自分より遥かに強く頼もしく、夜の闇の中でもそれほど恐怖を感じなかった。
―――守られていたのかもしれない。
仲間に甘えていたことに、独りきりになってやっと気づき出す。
「たぁッ」
前方に細く長い蛇の体を見つけ、杖を軸に横へ跳躍した。そのまま構わず、門へと走る。完全に夜が更ければ門は閉ざされ、すべてが無意味になってしまう。
陽が落ちていく山道を、杖の力を使い照らしながら走るが、その光は前の時よりずっと弱く揺らいでいる。
(杖が壊れたらどうしよう……)
今まで考えないようにしていた不安がまた湧き上がり、ぎゅ、と握る手に力を込めた。揺らぐ光を放つ魔石を見やる。罅割れた琥珀色の中で、影が不自然に蠢いた、気がした。
焦るから錯覚を起こすんだ、落ち着け、と自分に言い聞かせて、帰還の人たちでごったがえしている門までくると、一気に走り抜けた。
「おぅおぅ、どうした嬢ちゃんこんなところで」
「仲間とはぐれちゃったのかい?」
息を整え、袋と杖を握り締めているベアトリスに軽薄な声がかかった。
「何持ってるんだ。いいモン見つかったのかぁ?」
「ちょっと俺らに見せてみろよ」
迷宮で何も収穫がなかったのか、手ぶらで、柄のよくない冒険者が、ベアトリスの持つ袋を掴んだ。
「まっ……返してください!」
杖と袋を奪われ、向かっていくも、男たちに突き飛ばされ、石畳に倒れ込む。
「ははっ。何が入ってんだぁ。やたら重いなこりゃ」
「かえ、して……」
笑いながら、どれどれ、と袋の中身を確かめる男たちだが、いきなりその顔がのけぞった。
「く、くせェッ。なんだこれはッ」
一人は思いきり吸ってしまったのか、道端でゲェゲェと吐いている。
「な、なんてモンを……このクソアマがぁッ」
「か、勝手に取るから……なんですよッ」
ベアトリスは息を止めて杖と袋を掴み、すぐに閉じると、二人が回復する前にと、走り出した。
走って、走って、やっと組合に辿りつくと、そこは一番混み合う時間帯にも関わらず、数人しか人がいなかった。
ベアトリスが入ってくるのを見ると、なぜか緊張した面持ちで、壁際に下がったが、それを気に留めるほどの余裕はなく、すぐに納品カウンターに袋を下ろし、買い取りをお願いします……!!と告げた。
遅れて組合に入ってきた受付の青年と賢猫族のフリントが扉の前に立つ。
カウンターの女性は少し困ったような表情で首を傾げ、空中に何かを指で描いた。
「あの……虹黄金虫の、傷のない成体なんです。高く、買い取ってくれると……あと、あとそれから、どうしたらいいのか、まだ仲間が迷宮の中にいて……」
「それは、複雑なお話のようですね。奥で窺いましょうか」
女性が柔らかく微笑み、カウンターから奥の部屋へとベアトリスを案内した。
「杖はこちらで預かりますので」
「あ、はい」
部屋に入る前にそう言われ、特に疑問も持たず杖を渡す。
―――入るとそこは、真っ白な部屋だった。ぽつんと真ん中に椅子と机だけで他に何もない。
「それでは、ここでお待ちください」
案内の女性が、軽く会釈して扉を閉めようとする。
「あ、あの!急ぐんですけど、どれだけかかりますか!?」
「さあ……早くて一週間ほどでしょうか」
「えっ」
ベアトリスがその言葉の意味を理解する前に、バタンと扉は閉められた。
「……助かりましたわ。どこまで知っていらっしゃるかわからないですけど、とてもスムーズに事を運ぶことができました。今のところ、おかしな様子は見られませんでしたけど」
受付に立っていた女性……エミリアというのだが、そっと息を吐く。
「杖も、多少は使ったかもしれませんが、前のままです」
フリントが杖自体にもう一度強固な結界をかけながらも、ほっと息を吐いた。
「……まだ偽の可能性もある。気を抜くな。それと、フリント。おまえは一ヶ月減棒だぞ」
事務局長が厳しい顔を向ける。
「あ、はい」
「魚禁止……にしてもしょうがねえしな」
「報告を怠り、すみませんでした」
しゅん、と耳を伏せてもう一度頭を下げる。
事の起こりは、ほんの一日前―――。
その日フリントは、上機嫌だった。
組合の長は上位冒険者を集めて討伐チーム、護衛チームをそれぞれ派遣し、さらに特等級と呼ばれる者たちも動いている、との事務局長からの伝達。
やっとこの厄介な状況から開放される日も近い、と、雰囲気も明るい中帰宅準備をしながら、思いの外あの半賢猫族からもらった魚の燻製が美味しかった、今度休みが取れたら第1領域へ足を伸ばしてみるのもいい、なんて考えていた。
「あれ、何か忘れているような……」
小骨が刺さったかのようなもどかしい気配がフリントを襲った。突然バタンと休憩室のドアが開き、
「くそ、いいな帰宅組はよぉ」
グフタスがやってきた。ボサボサの茶髪と、髭も剃ってない中年男性だが、ここではまあまあベテランである。
「遅延している夜間の依頼の納品遅れ……クレーム対応……おまえら手伝う気ねえか?なあに、手紙を百通近く書くだけの簡単な仕事だ」
近くにいたロッタルクがブンブンと首を振る。
「そういやぁ見たぞフリント。おまえずいぶんご立派な付与を、新人の武器にくれてやっていたじゃないか。まさか賢猫族が人族の女になびくとはなぁ」
「はは、もちろんタダじゃないですよ」
「お?そうか?あんまり金持ってる風じゃなかったが……」
「上物の魚の燻製と等価交換でした」
ぶは、とが吹き出す。
「等価!あの付与が等価かよ!おめえ、気をつけるんだな。受付の賢猫族は食べ物をちらつかせたらサービスしてくれるだの、買い取りが甘くなるだの、噂が立つぞ」
「グフタスさん、それもう一部じゃ有名になってまして……手遅れだと思います」
ロッタルクが肩をすくめた。
「おいおい」
「いえ、さすがに僕もホイホイと付与をつけるような愚か者では」
ここでフリントの動きがピタリと止まった。
「ああ、そうだった……今思い出しました。そのパーティにいた、ベアトリスという冒険者の持っている武器の核である魔石に嫌な予感がしたんですよね」
「賢猫族の、‘叡智の囁き’か」
いわゆる虫の知らせ、に近い。
「その杖……大きな琥珀の魔石の目立たない位置に‘ディーパ’の刻印がありまして」
シン、と休憩室が静まり返る。
「待て。それは緊急案件じゃないのか?」
「琥珀の魔石はまずいですね」
ああこのクソ忙しい時に、とグフタスは呻いた。
「え、でも刻印は」
「刻印だけならまだしも、だ。半年前の事件覚えてねえの」
半年前……とフリントが呟き、
「あ」
「そうだよ、あのクソどもがバラ撒こうとした装飾品だ。買った奴を何人‘部屋’にぶち込む羽目になったか……結構大きな捕物だったぞ、忘れんなよ……」
「一応杖には結界を張っておいたので簡単には割れないはずですけど……確かにちょっと」
「ちょっとどころじゃねえ。すぐ局長に連絡入れるぞ。今夜帰れんのかな俺……」
グフタスはブツブツ言いながら部屋を出ていった。
上位の冒険者たちとの親睦会最中に連絡が入り、ダッシュで戻ってきた事務局長のマルクスにフリントはすぐに頭を下げる。
「すみませんでした」
「賢猫族はなぁ……興味がないことは頭から吹っ飛ぶからなぁ……」
話をグフタスから聞いた後、少しばかり魂を頭の上に飛ばしていた事務局長だが、すぐに我に返り、
「半年前クソどもの店がいくつか摘発された事件があった。奴らは違法改造された種子もしくは細胞を迷宮植物の樹液にくるんで魔石と見せかけ、普通の魔法装身具として売ろうとした。言うまでもなく、迷宮から生きているものは基本的には持ち出せない。ただ、例外がある」
「小さな内包物としてなら……種子、細胞、その他……状態が仮死か休眠のものは迷宮の結界に引っかからず通ってしまうこともある、という話ですよね」
「ああ。迷宮の外でも研究ができるのはありがたいが、あのクソどももそれを知っていて本当にえげつない手を使いやがる……。半年前に店で取り扱われていたのは蟲の卵だ。小さな、その存在すら感じ取れねえぐらいのな」
「ベアトリスとかいう女にも気をつけろ。万が一迷宮で孵化して棲家を取り換えていたらシャレにならねえ。本部、は人が今足りてねえからそう期待すんな。エレメナにも後から話す。メルリル、他の職員で手の空いている奴にも知らせて、当たらせろ。見つけたら念のため周囲に結界を張り、例の部屋へ連行するんだ」
「了解です」
「イエス、ボス」
「すぐに捜索します」
耳を伏せ気味でしょんぼりしているフリントの肩を、
「賢猫族は結界は得意なんだろ?挽回しないと」
ロッタルクが叩いた。
ちなみにエレメナは、問題を起こしそうなメルリルに代わって上位冒険者との連絡係を引き受け、その関係で親睦会にも事務局長と参加し、ほどほどで帰ろうかと考えていたが、突然事務局長が「後は任せた!」と出ていってしまったため、顔は見知ってはいるものの、曲者ぞろいの飲み会に一人取り残される羽目になっていた。




