汚泥と腹の内
戦闘とわりとグロい描写があります。ご注意ください。
※繊細な方は食事中に閲覧をお控えください。
迫り上がった山から’巨大な泥が流れ落ちると下から黄土と茶まだらのボコボコした皮膚が現れた。
「……大蝦蟇蛙か」
うげえ、とばかりにジョシュアが吐き捨てる。
離れすぎて視線の合わない目玉、巨大な口に長い舌。常にぬめっている肌は、致命傷を与えにくい上に毒がある。
「めんどくせえ。さっさと終わらせっぞ」
「…………」
元より返事など期待してはいないだろう。ティティムはなるべく射程距離外に逃れるようゆっくりと後退る。
「はははッ」
ジョシュアが笑う。地面を蹴り、二人は’同時に前、そして後方へとそれぞれ跳ぶ。巨大蛙の大口が開かれ、舌が伸びてうかつにも近づいてきた獲物の腕を狙う。
が、バシィ、と剣を叩きつけられ慌てて引っ込めるも、すでに遅く、あいだを詰めてジョシュアは舌を絡め、ぐいっと引いた。緑色の体液が飛ぶ。
痛みにグェエエエ、と巨大蛙がうめき声を上げた。
通常なら斬りにくいはずの粘膜を傷つけたのは、大剣をまるでノコギリのように細かくく生えた刃。よくよく見なければわからないそれは、斬るではなく皮膚を抉り肉をこそぎとるおぞましい武器。
さすがにティテイムにそこまではわからないが、何か剣に細工をしているのだろう、ということは読み取れた。
蛙が標的を変え、その巨体からは意外なほどの俊敏な動作で土を蹴って跳ねる。
「逃げればいいものを」
フン、とジョシュアがせせら笑う。
蛙の狙いはティティムだが、彼は動きを予知し、すでにその場にはいなかった。
――――この迷宮は、力で溢れている。薄く、あるいは濃く、魔素とも、魔粒とも呼ばれる力の流れ。
ティティムには、それが大気の中に、渦巻くのがくっきりと見えていた。魔物は、大きければ大きいほど顕著に、その流れの濃い方へと動きやすい。
「いいぞ、そのまま引きつけてろ!!」
ジョシュアが蝦蟇の背に斬りつけた。どろりと毒混じりの体液が飛び散るが、構わず剣を引く。よほど痛いのだろう、グゲェェと何度も叫びながら身をよじり、ジョシュアを潰そうとするが、すでに彼は退いている。
辺りはティティムの眼にははっきりと毒混じりの紫が映る。蝦蟇が向きを変えた。なるべく姿勢を低く、目立たぬようにしているこちらへと。
痛みにか激しく跳ねながら襲い来る魔物を、軌道を読みながらなんとか避けようとするが、元より暗い足場の悪い森の中、毒混じりの泥の地面に、背後は沼地。すぐそこまで毒の粘液をまき散らし、舌を伸ばして逃げ道を塞ぎながら、蛙が迫っている。
これは、死ぬ。――――視えていてもなんの役にも立たない。
ティティムは悔しさと悲しさがないまぜになった表情で、バシャバシャと泥を跳ね飛ばしながら近づく巨大蝦蟇蛙を見ていた。
ああ、でも、泥――――――水か。水の扱いなら。
ティティムが蛙を強く睨みつけると、その感情に反応して、足元の泥が波打った。
(重い……)
第一で使うのは初めてだったが迷っている暇はない。
異様な気配を悟ったのか、巨大蝦蟇が足を止め、伸びる舌での攻撃に切り替えた。その舌を、ティティムの足元から噴き上がった泥の壁がバシャリと遮った。
「気持ち悪いんだよ、この醜悪が!!」
叫びとともに泥の刃が、蛙の皮膚を切り裂き、走り抜ける。
「よくやった」
その隙を逃さず、巨大蝦蟇蛙の腹が、ザザザザシュッ、と奇妙な音を立て、ジョシュアによって掻っ捌かれ、グゲェ、と鳴き声を上げて、蛙は泥の地面へ倒れた。
「は、はぁはぁ」
まだ呼吸の荒いティティムを脇に、横倒しになったビッグマウスの腹から、大剣を振り払い、ジョシュアは笑う。
「やはりか。おまえ、第二出身だろ」
「………」
確信を持って聞いてくるジョシュアを、ただ睨みつけることしかできず、
‘水の祝福’に、その眼の能力もそうだ。あっちだと祝福持ちが生まれやすいと聞くからな」
「だから、どうだと」
青褪めた顔で、きつく睨みつける彼をよそに、ジョシュアはもう一度大剣で蛙の腹を抉り、その中身を引きずり出す。
「見ろよ、これ」
「うッ………うぇえええッ」
ぬめって光る白い腹から引き出された黒い髪の毛と変色したバラバラの骨。むせかえる悪臭に、それまでの精神的ダメージも相まって、ティティムは傍の大木にしがみつき、嘔吐する。
「波長が弱かった理由はこれか……だいぶ破損しているな」
ちょいちょい、と大剣の先で、体液にまみれた骨とさまざまな色の髪の毛が絡まり合った隙から覗く、ひしゃげたタグを突つきながらジョシュア。
「ん……数が合わねえ」
「ケホッ……な、何がで、す」
もはや土気色に近い顔を持ち上げ、尋ねるティティム。
「ほら見ろ。この髪と骨の量。人数に対してタグが少なすぎだろ。これはあれだ、タグ狙いかな」
たまにいるんだよな、光り物好きが、とジョシュアは呟く。
知らないし、返事ができる状態でもない。
それなのに話を続けるジョシュアに、やっとティティムも悟った。――――どうでもいいのだ、他人など。その気持ちを理解することも、慮ることも、この男にはない。
「ほれ、立てよ。もうすぐ宵闇だ。おまえの命なんて掻き消されちまうぞ」
太ももを狙った蹴りをなんとか避け、ティティムはふらふらと立ち上がった。
夜になる前に、ここを出なければ――――。
そのだいぶ前。ルークたちは夜が迫る前にと、早めに迷宮から町へ戻ってきていた。
「結局、めぼしい収穫はなかったな」
夜が来る前にさっさと迷宮を抜け出し、組合で小さな鱗や採取した草などの換金を済ませた帰り道。
太陽は西に傾き、そろそろ店を畳む準備を始めた市場を照らしている。
人でごった返す通りの中、ふと、ミーシャがピクリと耳を動かし、続いてトリスが何かに気づいたかのように顔を上げた。
「あ、すみません。私急用があったのを忘れてましたッ。また明日ギルドで」
最後はささやくように告げると、灰色のフードを目深にかぶり、人混みの中へ身をひるがえして駆け込んでいく。
「おい――――」
とそこでルークも気づいた。下働き風の男が二人、ベアトリスの消えた方へ急いでいる。
「待っ、たっ」
ここで止められれば格好良かったのだが、ルークが捉えた、と思った腕はスカッと空を掴み、男たちは雑踏の中へ足早に消えていく。
「おいミーシャ。追うぞ」
「え、なんでにゃ。意味がないにゃ」
「明らかに怪しいだろ。あいつら――――」
「怪しいのはトリスも同じにゃ。ていうか必要なら助けを求めてくるはずにゃ」
「ぐっ………」
正論だった。が、ルークは気になって仕方なく、ベアトリスと男たちが去った方向を振り返る。
……しかし時すでに遅く、彼らは影も形も見えなかった。




