始まらない物語が始まっていた話について
人間、生きていれば誰しも一度は憧れたことがあるだろう。
そう、例えば。変身して悪をくじくヒーローにヒロイン。彼ら彼女らには皆、共通点があった。その身に不可思議な力を宿し、その力をもってして悪をくじくのだ。
不可思議な力は、彼ら彼女らが登場する作品によって千差万別だ。可愛らしい妖精に力を与えられたり、先祖代々脈々と受け継いでいたり、普通ではない自然災害や事故に巻き込まれていたり、はたまた神様に力を与えられたりしている。
きっかけはどうであれ、彼ら彼女らは、物語開始早々、魔法や超能力と呼ばれるたぐいの不可思議な力をその身に宿しているのは間違いない。
不可思議な力を身に宿し、彼ら彼女らは正義の名のもと、弱きを助け悪をくじき、ときには悪を改心させ、世界を平和に導いていくのだ。
不可思議な力は、ヒーローやヒロインによる勧善懲悪のストーリーにはかかせないのだ。
そんな物語に憧れることは、だいたい成長とともに薄れていくか、拗らせて強まるかの二択だ。
……だが、何事にも例外はある。薄れさせる、拗らせるという現実逃避ができない立場だってあるのだ。
稲屋敷ひびきは、声を大にして言いたい。許されるならば、メガホンやら拡声器やらマイクやらで徹底的に叫びたい。
――んなわけあるか、と。勧善懲悪なんかねぇよ、と。
彼女は、ごくごく普通のサラリーマンの家庭に産まれた、ごくごく普通の女性ではなかった。
父も母もサラリーマン、父方も母方も親戚は農家かサラリーマン。芸能人なんていないし、不可思議な力なんて誰も持っていない。美形ではないし、文武両道ではないし、黒髪黒目以外の容姿でもないし、突出した才能や偏った才能なんてない。
ごく普通の家庭環境、ごく普通の家族構成、ごく普通の親戚構成。成績も文武どちらも可でもなく不可でもない。ついでに容姿も可でもなく不可でもない。しいていうなら、姓が変わっているくらい。
しかし、稲屋敷ひびきはは普通であって普通ではなかった。
(……あの人は、五歳鯖読んでる)
ごく普通の大きくもなく小さくもない企業にて、事務職についているひびきは、いま休憩室にてコンビニ弁当を食べていた。回りを見てもだいたいコンビニ弁当かカップラーメンか持参の弁当かのいずれかだから、ごく一般的な昼食といえた。同世代や若いの女子社員は圧倒的に自作の弁当だったが。ただ、ひびきはコンビニ弁当派閥なだけである。決してものぐさからではない、決して朝早くに起きるのが嫌なわけじゃないのだ。
古びたテレビには、ドラマの作製記者会見が映し出されていた。最近オーディションで発掘したという全くの無名の新人だという。
その新人は、二十歳だと紹介されていた――が、ひびきの目は誤魔化せない。新人女優の顔ををふと見たとたん、
――25歳
という情報が脳内に閃くのだ。
(芸能人ってば、ほんと懲りないよね?)
芸能人と年齢詐称。本人が内緒にしているのか、はたまたそういう事務所の売り方なのかは知らないが、芸能人の年齢詐称は昔から無くならない噂だ。
ひびきは、年齢詐称に関してだけは真贋を発揮できる。
いつからかは、本人にもわからない。いつの間にか当たり前にあって、人間に息の吸い方が本能で無意識に備わっているように、ひびきには人間の年齢が直感的に閃くのだ。
写真だろうが、映像だろうが、直接だろうが関係ない。写真や映像なら撮影された当時の年齢が、直接ならいまの年齢が閃く。
年齢の真贋がわかる、それ以上も以下もない、ただそれだけの不可思議な力。しいていうなら、芸能人の鯖読みしか効果を発揮しない、ひびきにとってメリットもデメリットもない、毒にも薬にもならない力だ。
よく物語で、平々凡々な主人公が実は特別な力を……という展開や、役立たずなな力だと思われていたのに、実は……という展開はひびきにはない。
不可思議な力があるからって、現実には物語は始まらないのだ。
実は凄かった力で無双したりしないし、トラブルは起きないから巻き込まれたりしないし、ライバルもいないし、力を見下してくる同級生ないし同僚もいないし、もちろん不可思議な力をもつ仲間も、サポートする妖精や、凄いご先祖もいたりしない。
ただ、年齢の真贋がわかるだけのアラサーからアラフォーに差し掛かりかけた、次期お局の最有力候補なだけだ……年齢イコール恋人いない歴の。
……しいていうなら、一度だけ、明らかにやべぇ年齢の人を写真で見たことがあるだけだ。父方の親戚の蔵で、親戚のガキともども遊んでいるときに見た、白黒の大正時代の写真で、明らかに桁が四桁いってる、実年齢ならあちらに逝っちゃってないとおかしい人外(推測)が。
当時五、六歳ぐらいだったひびきは、よく人を見ては実年齢を言い当てる少し不気味な子で、ようやく自分の力やばくね? 隠した方がよくね? と気づき始めた辺りであった。
そんなおりかな、あまりにもヤバい実年齢に理解力がオーバーヒートして、「写真のイケメン軍人やべぇ」と口走りながら三日間ぐらい高熱を出した。
夢の中でイケメン軍人が出てきて、ニコニコした彼となにかを約束したような気がしないでもないが、ひびきとしてはあまり思い出したくない思い出だ。
それ以外ヤバい年齢は見なかったし、年齢の真贋は相変わらず百発百中ではあった。
……この日までは。
朝起きてコンビニよって昼飯買って会社に出社して、仕事して定時より少し遅く退社して、スーパーよって夕飯買って帰って、風呂入って寝る。
それが稲屋敷ひびきのルーチン。たまに数少ない友人に会ったり連絡したり、たまに一人で居酒屋で飲んだりするだけ。
そんなひびきが、何故か仕事帰りに、何故か簡単な見合いの席にいる。
何故か。簡単だ。職場のおせっかいな後輩(来月寿退社予定)に
拉致られた、それだけ。
ひびきに断る隙も与えず、パリピな後輩はぐいぐいと会社の目の前にある、彼らの会社の社員なら皆が誰しも常連な居酒屋に拉致ったのだ。拉致の現場が行き慣れた場所であったため、勢いに流されてしまったのである。ひびきが無気力ゆえの無抵抗だったり、パリピでめんどくさい後輩との関係こじらせたらめんどくさいってわけじゃないのだ。勢いに流されてしまっただけである。
「せんぱい、ここはアタシらの奢りで!」
「さあさせんぱい、ほらほら!」
来月には夫婦になる後輩たちは、無理やりひびきを個室にぶちこんだ。ちなみに拉致の犯人は新婦(予定)であり、拉致先に共犯の新郎(予定)がいたのである。奇しくも未来の夫婦の共同作業であった。
彼ら未来の夫婦からしたら、入社時に世話になった(ひびきは人事担当の事務員)仕事ができる独身のせんぱいに、新婦が在籍中に恩返し(夫婦目線)したかったという、完全に善からの拉致であった。善だろうが、ひびきには拉致には変わりないが。
そんなこんなんで設けられた、簡単な見合いの席。
あとは若いお二人でー! と一方通行に仕掛人夫婦は無責任に消え、残されたのは見合い相手と若くないひびき。
「げ」
向かいに座るのは、背が高くがっしりとした、切れ長な一重がなんとも色気たっぷりな、三十路を越したくらいの色男だった。ニコニコとひびきを見る目は、心なしか笑っていない……というよりも、獲物を前にした肉食獣の目だ。
「……約束しましたから、待っていましたのに。なかなか訪れてくれないものだから、来てしまいましたよ?」
かつて写真で見て、夢で会ったあの実年齢四桁いってるイケメン軍人は、ひびきの頬に手を添わせ、顔を寄せた。
とてつもない至近距離に、もちろん免疫のないひびきはというと――……
「あらら。気を失いましたか。それでも貴女は可愛らしい」
キャパオーバーからの気絶のひびきを、スーツ姿の軍人イケメンはいとおしそうに見つめていた。
この時のひびきは、自分が奇眼なる中二的な魔眼の一種を持っていて、使い方をきちんと習得すれば年齢はおろか、ゲームでいうステータスを見抜ける力だとはもちろん知らないし、イケメン軍人が実は神様で嫁に(五歳児を)見初めたということも知らない。